第二章①

 とんでもなく忙しかった。息つく暇も無いという言葉があるが、まさにその通りだった。休憩時間はほぼ無い。一応あるにはあったが、それも次から次へと押し寄せる仕事に消え、最終的には常にカウンターか、この図書館内を走り回る羽目になってしまっていた。

 既に陽は沈み、図書館には人一人いない。あれだけ騒がしかったことが嘘のように、今ではただ静けさだけが空間を支配している。


「ようやく終わったな。どうだった? 誰もが憧れる図書館で働いた感想は」


 沈黙の中、トゥーラの声が響く。

 今朝別れたばかりだったが、久しぶりに再会した気分だ。それほどまでに今日という日が長く感じた。


「もの凄く大変だな。正直、ここまでだとは思いもしなかった」


 カラドは素直に苦笑いで返す。楽しいことは楽しかった。普段利用していた方からでは見ることが出来ない部分を見ることが出来たし、様々な人と話せて悪い気はしなかった。

 ただ、想像していたよりも重労働だった。それにきちんと仕事をするのは久しぶりすぎて、全身クタクタだ。これ以上何かする体力とやる気は、残されていない。


「まあ当然だろうな。寧ろ初日にそこまで働ければ大したものだ。まだ仕事は残っているが、少しだけ休憩がてら話をしよう」

「話?」

「まあこんな所ではなんだから中へ入ろう」


 連れて行かれたのは昨夜、カラドが寝泊まりした応接室のような場所だった。相も変わらず紙が散乱しており、本が雑多に積み上げられている。

 トゥーラに促され、カラドとレイエルは椅子に座る。


「とりあえず、カラド君。一先ずはお疲れ様と言っておこうか」

「そりゃどうも」


 トゥーラ自身座ることなく、立ったまま話を続ける。


「レイエルはもう既に知っているが、試験を受けずに入ったカラド君のため、もう一度図書館について話そうと思う」

「……そうですね。私自身復習にもなりますし、司書官として知らなくちゃいけないことですよね」


 二人の視線がカラドに向かう。一体何の話なのか、全く見当もつかない。ただ司書官としては当然の知識が今から語られる。カラドの身は自然と硬くなっていた。


「図書館というのはな、人々に癒しと知識、そして娯楽を与える場であることは知っているだろう?」

「俺自身そうやって今まで利用してきたから、今更そんな確認されてもって感じだけどな」

「それでいい。そのイメージを壊さないことが大切なんだ。そのイメージを持ったまま聞いてほしい」


 トゥーラが一冊の本を取り出した。その際積み上げられた本が床に散らばったが、そんなことを気にした様子も無く、トゥーラはその本を開いた。


「魔導書は知っているな。まあその指輪をしているから知っているだろう。カラド君は魔導書が一体どういうものなのか、知っているか?」

「……いや、詳しくは知らねえな。人を選んで現れるってことぐらいで。俺が魔導書に出会ったのも偶然だし」


 それは実家の蔵にあった。遊び半分で入っていて、見つけようと思って見つけたのではなく、気付けば目に入っていて、無意識にそれを手に取っていたのだ。

 何故自分が魔導書に選ばれたか分からない。聖霊のルシファーとは仲が良いが、知らないことが多いことに今更ながらに気付く。


「普通の知識としてはその程度のものだろうな。魔導書なんて、まず普通に生活していれば出会えない。随分と昔からその記録もあるが、未だに全てのことが中途半端にしか解明されていない。図書館はその魔導書について研究する機関でもあるんだよ」

「魔導書を? そんなの研究のしようもねえんじゃ……」


 体験したことがあるから分かる。魔導書は手に取り開いた瞬間、導かれるようにその内容に引き込まれてしまう。比喩では無く、実際に本の中に入るのだ。そして内容を、物語をなぞる。そうすることが魔導書を読み、知るということである。

 それを、触れれば意識ごと引っ張り込まれるその魔導書を、一体どうやって研究するというのか。そんなカラドの疑問を見透かしたように、トゥーラは笑う。


「研究方法は実は確立されている。今ここでは上手く言えないが。だからだ。古くより存在する神、聖霊、または英雄。そういった存在を呼ぶための書物は、誰だって興味を持つ代物だし、脅威になり得る。不安要素は少しでも減らす。それが人々のより良い生活に繋がるんだとさ」

「なるほどな。それだけ聞くと図書館は市民が力を付けることを恐れてる、っていう風に聞こえるけどな」

「……中々察しが良いじゃないか」

「下手な兵器なんかよりもよっぽど強力だからな、これ」


 カラドは自分の指輪に視線を落とす。何の変哲も無い指輪。その中には先程トゥーラの言っていた類の存在が眠っている。

 トゥーラの言葉の通り、図書館に従ずる人間は少しでも不安要素を取り除きたいのだろう。図書館は各国でその権限を握り、図書館を中心に国が出来るほどだ。他の追随は許さない。全ての役割、全ての力を行使する立場だ。


 しかし、独裁政権というわけではない。市民の支持があるからこそ、ここまで発展し、こうして国を築き上げるにまで至っている。

 その図書館が最も危惧するべきことは何か。上り詰めた地位を失うこと。それだけでは無いだろうが、それも心配事の一つだろう。

 ただ軍事力そのものすらも図書館が握っている。よって注意すべきは図書館による内紛、つまりは司書官の反乱。そして、支持されている民衆による反乱、この二つなのだろう。


 司書官の反乱は鎮圧が容易だろうが、絶対数が圧倒的に多い市民の反逆を察知し、抑えるのは骨が折れる。そうならないために、図書館は市民に武器になり得る力が行き渡るのを防いでいるのだろう。


「そのために武器を大量に手に入れたのなら分かりやすいが、魔導書はその力の割には入手が密やか過ぎる。だから図書館は恐れているんだよ。今の世界を失うことを。市民が世界を変えることを」

「――で、俺にもその考えを押し付けようって話か?」

「別にそうは言っていない」


 その返答に少しカラドは眉を顰めた。てっきり教団か何かのように他人の主義主張を無視して、良いように使われるものだと思っていた。それに素直に従うつもりも無かったが、今までの言い回しの所為で肩透かしというか拍子抜けしてしまった。

 それでも、トゥーラの面持ちは硬いままで、崩れることはない。


「そう言った考えがあるということだ。強制はしないが、出来るだけ魔導書の収集、それに対する意気込みぐらいは見せておいてほしい。上に睨まれると厄介だからな」

「まあ俺も今日から司書官の一員みたいなもんだからな。それぐらいならわけねえが」

「……そうか、君が話の分かる人間で良かった」


 その了承だけで、トゥーラの表情が和らいだ。トゥーラは図書館に通じる方とは別の、事務室へと続いている扉に手を掛ける。


「いや本当に良かった。君がそれさえ守ってくれるのなら安心だ。こればっかりは言っておかなければ駄目なんだ」

「ええっと……。話ってのははそれだけか?」

「ああそれだけだ。手間を取らせたな。二人とも残った仕事に戻ってくれ。レイエルは、しっかり先輩らしく教えるんだぞ」


 そう言うとトゥーラは部屋から出て行った。残されたカラドとレイエルの間に沈黙が訪れる。今朝と似た状況だ。ただ、あの時と比べて、多少は距離感も縮まっているとは思う。

 カラドは特に深く考えることなく、彼女に話し掛ける。


「そんじゃ、残った仕事ってのを教えて――」

「図書の整理はやりましたから予約されている図書の確認ですそれを朝取り出しやすいようにカウンターに持って行ってくださいリストはカウンターに置いてありますから。私は書庫にいますので!!」


 口早に仕事内容を告げ、逃げるように書架へと向かっていった。

 思っていた以上に溝は深いようだ。カラドはため息交じりに、レイエルの後を追った。

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