第一章⑦

 思わず絶句してしまった。

 山積みにされている本の多さに。その雑多さに。一瞬、放心状態となってしまっていた。


 無駄に時間を掛けてまた機嫌を損ねられると面倒くさいので、カラドは出来るだけ素早く着替えて戻った。レイエルに、ついて来てくださいと言われ素直について行けば、そこは明かりの無い部屋だった。

 部屋が真っ暗であるのは、ただ単に照明をつけていないだけらしく、レイエルがその明かりを点けた瞬間、その光景が視界に飛び込んでくる。


 そこにあるのは本、本、本。本の山だった。決して比喩表現など用いて、今この光景を表しているわけでは無く、本当に、本で山が形作られていた。


「何だよ、この大量の本は……!!」

「何言ってんですか。図書館なんだから当たり前でしょう」


 そういうことを言っているわけではない。図書館に本が溢れかえっているなんて、誰がどう考えても想像出来る。しかし、この惨状とも言える有り様はどう考えても常人が考える図書館の姿では無かった。


「こんなもんですよ。普段見えない仕事なんて。街の人達は本を借りて返すだけ。私たちはそれを気持ちよく、スムーズに行える場に整えなくちゃいけないんです」


 言われて気付く。ここは本を返すポストと繋がる部屋なのだ。

 カラドは利用したことが無かったが、図書館に備え付けられているポストは、返却日を過ぎたり、忙しくてわざわざ立ち止まる暇が無かったり、図書館が閉まっている時に返さなければいけない人達のために設けられているものらしい。その本が、一夜でこれだけ積まれているということはそれだけの人がここを活用しているということだ。


 正直、意味があるのか疑問ではあった。ポストに入れなければならないほど忙しい時に、わざわざ本を返しに行こうと思い至る人は、圧倒的に少ないだろうと思っていたのだ。しかし、実際に見てみれば、本が山になるほどに利用している人が多かった。

 カラドは純粋に、そのことに驚く。


「とりあえずこの本の返却手続きをしないとですね。やり方教えるんで、そのカゴ持ってきてください」

「え……、このカゴ?」


 レイエルが指差し、カラドの視線に映るカゴには大量の本が積まれている。大きめのカゴではあるがそこから本は溢れかえっており、とてもそれら全部を運べそうにない。


「そうですよ。それ無いと出来ないじゃないですか。もしかして、運べないんですか? 私でも運べるのに? 男なのに、ださいですね」


 もうその言葉に怒りを覚えることはしない。寧ろ彼女の言う通りだと思う。これが運べないなんて話にならない。意を決し、カラドはカゴを持とうとする。しかし、幾ら力を加えても、案の定持ち上がることは無い。


「――って、持ち上がるわけねえだろ!!」


 どんなに軽い一枚の紙でも、それが束ねられ本となればそれなりの質量を持つ。それが山積みとなれば、その重さは計り知れない。出来るだけ持ち上げようと努力したが、想像通り無理だった。


「えーっと、台車ありますけど」

「あるなら言えよっ。なんで俺今頑張ってたんだよ」

「いえ。男ならいけるかな、って思ったんですけど」


 男という生きものを一体なんだと思っているのか。軽々しく言ってのけるレイエルに若干苛立つが、楽に運べるのならそちらの方が良い。カラドは二つ返事で台車を使うことにする。というより、それ以外に選択肢はない。


「いや、本当に楽だな。台車の発明者には感謝してもし切れねえ」


 程なくして、図書館のカウンターへと運び終えたカラドは辺りを見回す。

 ブリューゼル第八図書館には来たことは無かった。

 図書館なんてどこもそんなに変わらないし、置いてある本の種類も大差はない。それなら図書館巡りなどせず、素直に最寄りの図書館に通った方が効率的だ。というより、普通はそうするだろう。


 しかし、こうして改めて来たことの無い図書館を見てみると、図書館を巡るという行為をしてもいいと思ってしまう。

 置いてある本の数、本の種類は同じはずなのに、配置、色、建物独自の空気が違えば、まるでその中にある本までも、違って見えてくる。それぞれ、図書館の特色に対応するように、本も変わり、雰囲気も変わってくる。

 恐らく、よく行く図書館も、そして、カラドが今いるブリューゼル第八図書館も、行ったことの無い別の図書館も、場所によって全く違う空間が形成されているはずだ。それを見て回るのも、楽しそうだと思える。


 もう何度も、この本で溢れかえっている空間を見たことがあるというのに、全く飽きることは無い。それどころか、日々来るたびに常に新しい発見を見つけさせてくれる。

 多分、毎日ここで寝泊まりしても新鮮味を忘れることは無いだろう。本というものはそれほど魅力的で、図書館という場所はそれほどまでにその中身を変化させ続けている。

 ただし、それまでのものが消えることは有り得ない。全てを残したまま、図書館は新しくなり続けるのだ。


 図書館はこの世の知識の粋を寄せ集めた場所。それまでのことを何処ぞの誰かが書き記した人類のための知恵が眠る場所であり、残す場所である。

 しかし、そこまで神聖とも言える場所であるにもかかわらず、その場所は街の人々が多く活用する場であり、大衆に親しまれた場所でもある。


 知は平等であり、人々はその知をさらに深めていく。

 それが本という存在であり、図書館という空間だ。

 そんな図書館に、カラドはこれから務めることになる。苦労も絶えないだろうが、本に囲まれているだけで癒されるカラドにとって、これ以上ない職場だった。


「どこ見てんですか? とっとと始めないと開館時間が来ちゃいますよ」

「ああ、悪い」

「……何ニヤニヤしてんですか、気持ち悪いですよ」


 紆余曲折あったが、ここで働くことが出来るのは嬉しい。後ろめたくもあるが、少なからず自分も抱いていた夢の一つだったので、やはり今の感情を占めるのは嬉しさの比率が大きい。レイエルの吐く暴言も気にならないほどに、今のカラドは寛容になっていた。


「それじゃあ、始めますか。あなたは手伝わなくても構いませんよ、邪魔ですから」


 レイエルはカゴから一冊の本を取り出し、脇へと置き、またカゴから取り出して脇へと置いた。それを慣れた手つきで繰り返していく。

 あっという間に何十もの数の本の束が出来た。何も説明を受けず、言われた通りただその光景を眺めているだけだったが、一段落ついたのか、作業を止め、レイエルはカラドの方へと振り返る。

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