第一章⑥

 聖霊。

 神だとか天使だとか英雄だとか、昔の人間が崇め奉った存在をそう呼んでいる。それは天地を創った神や、神に反逆を起こした天使、それら全てを含んだもので、伝説の中に生きる者たちであったことは間違いない。

 万が一にも、この世に、しかも今人々がそれなりの文化を発展させている中に現れることは無い。伝説であり、シンボル的な存在のそれらは具象せず、ただ人々の伝承の中でだけ生きていなければならない。


 しかし、その伝説的存在である彼らを具象させる方法があった。方法がある、というよりもそういった事実が確認されている、と言った方が正しいだろう。

 これは誰にでも出来るわけでもなく、ただ自然と、誰の意志も介さず選ばれ、具象させるのだから。


 魔導書。

 それが先祖伝承において語られる、ある存在を具象化させるアイテムであり、きっかけだった。普通に暮らしていれば、まずそれとの出会いはない。ある条件下でのみ、魔導書を見つけることが出来るのだ。

 その条件は幾つかあり、本が好きであること、正しい道を歩んでいること、とてつもない願望を抱えていること、など様々だ。


 要するに魔導書は見つけようと思って見つかるものでは無いということだ。中にはそうすることで発見される魔導書もあるかもしれないが、今まで発見された事例から、魔導書は個人の想いを頼りに、その姿を見せると言われている。


 本が意志を持つ。何とも馬鹿げた話ではあるかもしれないが、何より、普通の本には収まらない代物だ。それぐらいの怪奇が起こっても不思議では無い。本を選ぶはずの人間が、本に選ばれる。それが魔導書だ。

 そして、ただ選ばれるだけでは、神や天使を具象化するには至らない。


 魔導書とて本である。その中身、その内容を読まなければ魔導書を知った、ということにはならない。そしてここでもまた、普通の本には納まらないのが魔導書の魔導書たる所以だろう。魔導書の場合に限り、読むという行為は、その全てを体験するという行為に等しい。

 簡潔に言えば、その魔導書の中に入る、ということである。


 魔導書、と一口に言ってもその中身は様々だ。名前からして、禍々しい、邪へと導かれる書だと思うかもしれないが、それは違う。

 冒険活劇もあれば、近未来を描いたもの、男女の恋を描いたもの、事実を描いたものもある。同じものは決して無い。世に出回っている膨大な一般書のように、全てが異なった内容だ。


 その世界、その物語で、認めてもらう。もし万が一認めてもらえなかった場合、その人間は魔導書の一部、物語の一部となってしまう。それほどのリスクを、魔導書を読むという行為は背負っている。

 中に入って、そうして初めて、魔導書を知ったと言える。そうして初めてその神、その天使、その英雄を知ったと、言えるのだ。だから誰にでも、その魔導書を見られるわけではないし、知れるわけでもない。それこそ、魔導所に選ばれなければならないのだ。


 そして、選ばれた者には魔導書の代わりに、その指に指輪が嵌められる。何の変哲も無い宝石付きの指輪に見える装飾だが、その中には魔導書そのもの、つまり神、天使といった伝説が詰まっている。


 それは魔の装飾品と言われる。魔導書に見初められるなど、過去の人々にとっては呪い以外の何ものでもなかった、という名残である。今ではその指輪を付けていても何も変に思われない。それどころか名誉なことだとさえ言われることがある。

 それは何も魔導書に認められた、というだけではない。今この世界で最も精力的で、憧れられていて、信用のある職業である司書官。その全員がそれを有しているからでもあった。


 もちろんレイエルも例外では無い。彼女の左人差し指には燦々と煌めく宝石の付いた指輪が嵌められている。それは紛れも無く、魔の装飾品だった。

 そして、カラドもまたその指輪を有していた。そこに宿るのは、古くからの友人とも言える付き合いの聖霊だった。


 司書官でも無い人間が魔の装飾品を持っていること自体が珍しいので、レイエルがどの部分に驚いているのか見当がつく。

 本来、その指輪を持たず、司書官になろうという人間は、半強制的に、魔導書の中に入ることとなる。それが司書官になるための最終試験であり、それに認められなければ司書官になることは無いと言われている。


 だから、尚のこと、レイエルは驚いているし、怒りを覚えているのだろう。司書官になるなんて並大抵の努力では出来ない。それにあっさりとなられたら、誰だって苛立ちを覚えるはずだ。


「どうして、あなたなんかが聖霊を……」

「そんなこと、俺に聞かれても知らねえよ。聖霊にでも聞いてくれ。そんなことより、とっとと朝の業務を教えてくれねえか? このままじゃほんとにマズイぞ」

「え? あっ、ああそうですね。それじゃ――って、まだ着替えても無いじゃないですか。早く着替えて来て下さい」


 今のカラドに出来ることは、レイエルを刺激しないように仕事に取り掛かることだ。時間も差し迫っているので、これ以上のタイムロスは惜しい。

 まあ流石に開館直前にまで罵倒をし続けるほど馬鹿でもないと思うので、考えすぎかもしれないが、不安要素は少ない方がいい。


 彼女に言われた通り、カラドは着替えに行く。彼の聖霊であるシャルは無言で、その隣を歩いている。何はともあれ、あの幼稚とも言える喧嘩を止めたのは紛れも無くシャルのおかげだ。シャルが出てこなければ、本当にギリギリまで喧嘩していて、しかも最悪の状態から始まることは目に見えている。

 取り敢えず、その功績を労うため、言葉と共に、頭をポンポンと優しく叩く。


「結果的に、お前が出て来てくれてよかったってわけだ。悪いな」

「い、いえ。その、あの。け、喧嘩。止まってよかったです。も、もう喧嘩はしないでほしいです」

「ああ分かってるよ。もうあいつと喧嘩はしねえ。何よりめんどくせえしな」


 気軽に叩いているが、カラドはそのシャルの変化に気付かない。一目見れば風邪かと勘違いしそうなほど、顔を真っ赤にさせていた。

 カラドは、シャルが消える最後までそのことに気付かず、更衣室に入っていった。

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