第一章⑤

「よし。それさえあれば、正規の手続きが無くても働けるだろう。――と、悪いが私はこれで失礼させてもらう。こう見えても忙しい身でね」

「えっ? トゥーラさん手伝ってくれないんですか?」

「何を言ってるんだ。一年も働いてきて職場の説明が出来ないなんてことはないだろう。ここではレイエル、君が先輩なんだから色々と教えてやれ。別に高レベルなことを教えろと言っているわけじゃないんだ。あくまでもいつもやっていることをすればいい」


 レイエルの不安を含んだ言葉に、平然とそう返したトゥーラは、素早く手荷物を小さめのカバンに押し込む。そのまま扉を開き、何か思い出したように、カラド達の方へと振り返った。


「二人とも、仲良くやるんだぞ」


 念を押すように出された言葉を最後に、トゥーラの姿は扉の向こうへと消え、途端に、静かになった。気まずい、というわけでは無かったが、レイエルは今朝の一件から、敵意剥き出しでカラドに接している。

 カラドからすればこれからここで働いていくことになるので、仲良くしていきたいのだが、そんな思いが目の前にいる少女に伝わるはずもない。

 とにかく何か話して、そこから良好な関係へのきっかけ作りとしていこうと、カラドの口が開かれる。


「とりあえず、これから色々と教えてもらうわけだ。迷惑かけるかもしれねえけど、よろしくな」

「……」


 返事が無い。

 ろくに自己紹介も出来ていなかったので、簡単な挨拶のつもりで、それと同時に仲良くしていこうという気持ちを表した言葉だったのだが、レイエルからそれに対する反応はない。今も相変わらずそっぽを向けたままカラドとは目も合わせようともしない。


 完璧に、完全な、無視だった。

 折角この空気と関係を解消しようと歩み寄ったのに、この少女は未だに今朝のことを引きずっているらしい。

 乙女心とかそういう類のものなのだろうか。生憎、カラドにはそういった女性の考え方には疎く、レイエルの態度はただの我が儘にしか映らない。


 そしてその態度に、徐々に苛立ちが募り始める。多少強引にでも、話し合わなければ何も進まない。カラドはレイエルの意識をこちらに向かせるために、肩に手を置いて対話を試みる。


「なあ、話ぐらい聞いて――」

「触んないで下さい、変態」


 カラドの表情が固まる。ようやく会話が成立したと思えば、肩に置いた手は払われ、そんな不名誉なレッテルを貼られた。

 誰が好き好んで、あんな恰好を見ると思っているのか、何時まで根に持っているのか、ちゃんと話さないとどうしようもない。言いたいことは山のようにあったが、それらを口に出す前に、レイエルが発話する。


「というか、何馴れ馴れしくしてんですかね、変態のくせに。少し年が上ってだけで経験豊富な私より偉いなんてありえません。もしかしてそんな簡単なことも分かんないんですか。変態の上にバカなんですね。そ、それに私のは、裸まで……っ。最低ですねっ、この変態」


 カラドの反応など気に留めた様子も無く、レイエルは尚も罵倒の言葉を並べる。


知の探求者ブックイーターの協力者だとか、そんなことはどうだっていいんです。そもそもいきなり司書官になれるっていうのがおかしな話なんですよ。こっちは汗水流して、血の滲むような努力を重ねて、やっとのことで司書官になれたっていうのに。なんですか、コネでも使ったんですか。サイテーですね全く。変態で、バカで、サイテーとか、生きてて恥ずかしくならないんですか?」


 ギリギリで理性と感情の均衡を保たせていたカラドだったが、続けざまに放たれる罵倒の数々に、抑えていた苛立ちを爆発させる。


「黙って聞いてりゃあ人を変態だのバカだのサイテーだの、好き勝手言ってんじゃねえよ。朝のことは事故だって何度も言ったし謝っただろうが。人の話をちゃんと聞けっての。ったくどいつもこいつも、人のこと無視して喋るだけ喋りやがって。だから経験が無いとか言われるんだろ」

「なっ……、何を変態で、バカで、サイテーで、後輩の癖に偉そうに語ってんですか。あなたみたいな人、トゥーラさんに言われなかったら即刻牢屋に幽閉してやるところなんですが。社会的地位でもこの場においても、あなたより私の方が偉いですよ。まあ認めたくはないんでしょうけど」

「ああ。その点で言えば、俺はお前より下に位置してるだろうな。ここでは俺が部下でお前が上司なんだからよ。だからこそ、お前がそんな態度で構えてちゃ駄目だろ。こんなことで言い争いなんてするつもりも無かった。お前が突っかかってこなけりゃ平和的かつ良好な関係が築けてただろうな」

「あるわけないでしょ」

「お前、俺の話聞いてたか?」


 売り言葉に買い言葉。二人は睨み合い、纏う空気はさらに険悪なものへとなっていく。年上のカラドがもう少し大人になれば良かったのかもしれないが、罵倒しかしないレイエルに、つい感情的になってしまっていた。

 喧嘩は平行線を辿っていた。もうこのまま日が暮れるのではないかと、そう思えるほど、二人は幼稚な口喧嘩を続けていた。


 しかし、それもあっさりと幕を閉じることとなった。具体的にどちらかが何かアクションを起こしたわけではない。謝ったわけでも、喧嘩に疲れたわけでもない。

 それは一瞬。カラドの指輪が閃光を放ったことによって起こった。


「け、喧嘩はよくありません」


 それと同時に聞こえてきた声。オドオドと、自信がなさそうに放たれたその声は、少女の声だった。

 と言っても、レイエルでは無い。彼女は突如部屋に響いた声に驚き、そして、ある一点に視線を向けていた。


 少女がそこにいた。特に変わったところも見られない、ただ普通の少女。気になる点と言えば先程まで何も無かったカラドの目の前に現れた、ということぐらいだが、それさえ知らなければ、普通に目を惹く容姿の少女がいた。

 開いた口を塞げず、呆然と見つめるレイエルとは対照的に、カラドは謎の闖入者に溜め息を吐いて反応した。


「また勝手に実体化しやがって……」

 呆れたように呟く。それに対し、目の前の黒髪少女は振り返り、カラドを睨み付けたが、その小柄な身体から放たれる眼光には脅威の欠片も感じられない。寧ろ愛嬌さえ覚えてしまうレベルだが、毎度のことなのでカラドはこれにもまた嘆息で返す。


「カラドさん。喧嘩は駄目ですよっ」

「そんなこと分かってるって」

「わ、分かってないから出て来たんです」

「はいはい」


 弱気なもの言いで、カラドを説教しようとしているようだが、それは適当に流されている。その光景に見入っていたレイエルだったが、我に返り真っ先にカラドへと質問を投げ掛けた。


「あなたそれ、聖霊、ですか?」

「ん? ああ、そうだよ。聖霊のシャルだ」


 紹介され、戸惑った様子を見せながらも、ぺこりと、頭を下げるシャル。

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