第一章④
「トゥーラさん。私の仕事着って知りませんかねー」
「自分の部屋じゃないのか。私は知らないぞ」
意識の隙間に入り込んでくる声を耳にして、カラドはうっすらと瞼を開ける。明るい陽の光がカーテン越しに差し込んできており、暗い印象でしかなかったこの部屋が、神秘的で綺麗な空間に思える。
ふと、わきに置かれていた置時計に目を落とすと、既に六時を回っていた。ぼんやりとした、未だ働こうとしない頭でも習慣的に、街中では一日が始まっていると分かる。ただまだ、昨夜の疲れと疑問が解消出来ていないのか、カラドの思考速度は戻る気配を見せない。
そんな状態の中、部屋にまで届く聞き覚えのある声と初めて聞く声のやり取りを、しばらく聞いていると、ちょうど目の前に位置する扉が勢いよく開かれた。
「この部屋なんかにあるわけな――」
「――へ?」
聞き覚えの無い、甘ったるい声の主の入室に、カラドは思わず、変な声を出してしまう。
部屋に入ってきたのは少女だった。瞳は大きく、白く綺麗な肌はほんのりあかみがかっている。幼さが残っている顔立ちだが、間違いなく美少女だと言えた。それは良かった。それだけなら、何事もなかった。
現れた少女の恰好はシャツ一枚、に見えた。ボタンは上まで留められておらず、だらしなく胸元までその肌を曝け出しており、脚はというとその柔肌を守るものは一切身に纏われていない。
白く、細い脚は付け根近くまで晒されていて、微妙にサイズの合っていないシャツのおかげか、穿いているであろう下着にまで視線が及ぶことはない。それでも、美少女のあられもない姿を見たという事実に変わりは無く――
「きゃあああああああああああああああああ!?」
少女の悲鳴が部屋中に、覚醒し切れていないカラドの頭に、響き渡った。
■
「えー、レイエル? そんなところにいないで、こっちに来て座れ。紹介がややこしくなるだろう」
陽の光が身体にも馴染んできた朝方。トゥーラの若干苛立った声が、本が溢れる部屋に木霊する。レイエルという少女は、あの時から僅かにカラドと距離を取っていたのだが、トゥーラに呼ばれ渋々、といった具合にトゥーラの隣に座った。それでも、カラドの顔は見ようともせず、敵意だけを向けている。
カラドはというと、先程のことを気に留める様子も見せず、トゥーラの次の言葉を黙って待つ。
「さて、今日からここで働くことになったカラド=ファブロ・ブラックスミス君だ。
一通りカラドの紹介を終え、小さくお辞儀もしたのだが、それに対するレイエルの反応は無し。寧ろその表情は険しくなったように感じる。嘆息し、トゥーラは今度はレイエルへと視線を向ける。
「そうして昨夜言っていたレイエルがこの子だ。先程のこともあってか、今は取り乱しているようだが、普段は優秀だ」
「……」
それを信じないわけではない。
ただ本当に目の前にいるこの少女が優秀であるように、カラドには見えなかった。少女らしい容貌で、身体も平均的な少女のそれと変わらないだろう。
見た目は普通の少女だ。けれどトゥーラが言うのだから、そういうことだと思っていた方が無難な選択ではあるだろう。無理に否定することも無い。
加えてトゥーラの紹介で、レイエルから向けられていた敵意が和らいだ気がした。褒められたからだろう、何も言葉を発しないが殺伐とした重苦しい空気が幾分か緩和された。相変わらず身体は向けられていないが。
「十四歳から司書官になれることは、君も知っていると思う。ただこの職に就くには並大抵の努力だと少々厳しく、第一考査の筆記試験でほぼ全員落とされる。もし合格したとしても第二考査の適性検査、及び実力考査で落とされる。だから、一発で通る奴は今までいなかったんだ」
「っと。つまり話の流れから察すると……」
「そうだ。前年、レイエルはたった一度で合格した。司書官という存在が生まれてから初の、十五歳という若さで司書官になったんだよ」
その言葉こそ信じられなかった。
通例司書官試験が二年おきに実施されるのは、それほどに時間が掛かるからだ。よって十四歳で司書官になれる人間はそのシステム上いない。最低でも十五歳にならなければ、司書官にはなれない。
思わず視線をレイエルへと移すと、少し誇らしげに胸を張っている。その仕草が優秀さとやらを相殺、寧ろ年齢の割に幼く思わせる要因となっており、トゥーラの言葉通りには納得出来なかった。
カラドが苦笑いと困惑の混ざったような表情をしていると、トゥーラもそれに気付き、溜め息で返した。
「まあ優秀だと言ってもそれはこの図書館という場においてだけだな。それを抜きにすれば今はただ普通の十六歳女子だ。人生経験もまだまだ足りないだろう。その点で言えば、十八である君の方がこの子よりも優秀だ」
「いや、俺なんて――」
「謙遜は私にはいらないぞ。褒められたのなら素直に喜べ。でないと喜びの実感が薄れてしまう」
トゥーラの視線が置時計に向かい、カラドもまたそれに続く。目が覚めてから一時間が経過しようとしていた。街中の人々は朝の身支度を終え、そろそろ仕事に取り掛かる時間だ。それはこの図書館も例外ではない。
図書館の開館時間は午前八時から午後五時まで。それまでに本の整理など、やることがあるはずだ。そのことに気が付いた矢先、トゥーラは立ち上がり、大きめの古い箱から白いシャツと緑のブレザー、それと灰色のズボン、『司書官』と書かれた腕章を取り出し、カラドに差し出した。
「そろそろ時間だ。初日だが今日から早速入ってもらおうと思う。これが君の制服だ」
今日から司書官。
憧れていなかったわけではなかった。正直、司書官になれると知った時、僅かながら嬉しい気持ちを抱いた。
けれどやはり、憧れていただけに、こんなにも簡単になってしまってもいいのだろうか、という思いの方が強い。試験が難しいことは当然として、その次にある適性検査も実力考査も難関だと言っていた。それら過程をすっとばして、いきなり司書官という職に就く。嬉しくもあり、同時に申し訳ないという気持ちは、未だに消えることはない。
とは言っても、カラドに決定権があるわけでもない。悩むことが無駄だとは思いたくないが、それでも、悩んでどうにかなる問題ではなかった。
今は取り敢えず、なるようにしかならない。
カラドは少しの間の後、制服を受け取った。
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