第一章③

「えーっと、それで、俺はこれからどうすればいいんだ?」

「どうする、か。それはもちろん、懸命に働いて、自分は人畜無害で努力家な一般市民というところを、アピールしないといけないんじゃないか」

「やっぱそれしか無い、か」

「何だ、嫌なのか?」

「そりゃそうだろ」


 いきなり罪を着せられて、罪人のように扱われ、しかも一方的にこちらの意見も全く聞かずに、ただ社会奉仕の命令だけをされれば、誰だって嫌に決まっている。

 何の説明も受けないまま、何の猶予も考える暇も無いまま、ただ漠然とした使命だけを受けて、働く気になれる人間がいれば、それは物凄く飲み込みが早い奴か、ただのバカかのどちらかだろう。

 カラドはどちらにも当て嵌まらない普通の人間だと自覚しているので、当然今回のことには不満しか抱いていない。


 司書官職に就くという点に関して言えば申し分ないのだが、無理矢理という部分が引っ掛かる。

 半ば諦めているが、それでもこの事態から脱することが出来れば、それに越したことはないので、カラドは往生際悪く、必死に抜け道を探す。


「いきなり司書官になれって言われてもな。戸惑うのは当たり前じゃねえか?」

「そうだろうな」

「せめて、ちょっとぐらい時間はくれてもいいと思うんだが」

「ああ、それについては全面的に同意だ。正直、あの男のやり方は強引過ぎると思っている。だが、一ついいか?」

「何だよ?」

「図書館で働ける機会など、そうあるものではないと思うぞ。確かに職業選択の自由が無いことは辛いだろうが、就くのが難しい司書官になれるのならば、それは看過できる問題ではないか?」

「それは……」


 冷静に、そう確認を取られると、否定することは出来ない。というより、内心分かっていたことだった。

 司書官という職業に就きたい人間は、山のようにいる。本というものが世界に溢れ、図書館という建物があらゆる場所に建設されているこの時代だ。分かりやすい目標でもあるし、最もメジャーな仕事にもなっている。

 国家をも動かすほどの権力を保有している図書館で働くのだから、当然そこで務める司書官は厳正に審査され、候補の中から慎重に選び抜かなければならない。世界で最も厳しいと言われている職だ。


 それでも、司書官を目指す者は多く、二年に一度ある司書官採用試験では膨大な人数の応募が来るらしい。カラドがそれに応募したことは無かったが、将来的には受けようとも思っていた。

 そんな職に今自分が就こうとしている。そう考えると、司書官を目指している人全員に申し訳ないという気持ちが込み上げてきた。成り行きでなったというのに、しかも自分自身の力で勝ち取ったわけでもないというのに、司書官になるということが。


 カラド自身、定職には就かなければならないと思っていた。いい大人だし、目指す司書官は無理だと薄々感じていた、分かっていた。けれど、他人が座る椅子を奪ってまで、この職に就きたいかと問われれば、答えはノーだ。可能ならば、自分の力でこの職に就きたかった。


「今の俺には、司書官なんて相応しくねえ」

「……まあ、君が今更どう足掻いたって覆る問題ではないからな。どんなに嫌であろうと、どれほどなりたくなかろうと、君には司書官になってもらうしかないんだが。なに、心配するな。時期に慣れてくる。雑務は多いが楽しい仕事だ。それに――」

「……?」

「君は司書官に向いていると、私は思うよ」


 会ったばかりなのに、何をどう根拠にそんなことを言ったのかは分からないが、女性は楽しそうに、けれど確信しているかのような口調で、そう告げた。

 そんなことだけで、思わず苦笑してしまい、そして理解してしまう。逃げ道は探すだけ無駄のようだ。


 何も無い自分に、一時的にだが職を与えられたこと自体が幸運。

 カラドは起きてしまったことへの文句を、一旦心にしまい、これから今、やるべきことにだけ目を向けることにした。どうせ避けられない道なのだから、迷うことなどせず、ただ終わりに向かって駆け抜ける。

 カラドはそう決心し、しかし、やはり気乗りはしないのか、嘆息を漏らし力無く尋ねる。


「で、何すりゃあいい?」

「そうだな。ただそれよりも前に、すでに聞いていると思うが、軽く自己紹介を済ませておこう。トゥーラ・ラミノース。ここブリューゼル第八図書館で司書官長をしている。あともう一人、レイエルという、ここで働いている司書官がいるんだが。まあこんな時間だからな、紹介はまた後日としよう」


 トゥーラと名乗った女性は書類の山から発掘した置時計をカラドに見せる。短針は頂点より少し右方向を指しており、十分に深夜と呼べる時間帯であることを示していた。自分の身に起きていることがあまりにも想定外で、時間を気にする余裕も無かったので、カラドは素直に驚いてしまう。

 そんなカラドの反応を見て、トゥーラもまた困ったように溜め息を吐いた。


「というよりも、とりあえず今日は自己紹介ぐらいでいいだろう。君も疲れているだろうし、仕事の内容については明日話す。それで構わないな」

「そうしてくれると、助かる」

「よし。一先ず、君の寝床はこの部屋にしておこう。何分急だったもので部屋の準備がまだ整っていなくてね。仕事場で落ち着かないかもしれないが、我慢してくれ」


 そう言うと、トゥーラはそこら辺りに積まれている本を片付け始める。元から収める場所が無かったので本の山が出来上がっていたのだから、片付けた本は無造作に床に置かれるだけなのだが、片付けが終わる頃には、本に埋もれていたボロボロのソファが姿を現していた。


「済まないがこのソファをベッド代わりに使ってくれ。元から寝るための場所じゃないから、これぐらいしかない」

「いや、大丈夫だ。床で寝るより、何十倍もマシだろ」

「そうか。まあここで寝ることも今日だけになるよう、明日部屋を探しておく。君はとにかく、今日の疲れを取ることに専念しろ」

「ああ。……一々ありがとな」


 二つの、まだ中身が残っているカップを指に掛け、トゥーラはそのまま部屋から出ようとし、悠然とカラドの方へ振り返った。


「おやすみ。カラド=ファブロ君。せめて夢の中では良い思いをしてくれ」


 笑顔とその言葉を部屋に残し、トゥーラは出て行った。

 再び、静寂が部屋に訪れる。一気に集中力が切れたように、途端に全身に疲れが押し寄せ、カラドはソファに倒れるように座った。


 目まぐるしく変化する環境に、脳も意識もついていけず、ただ疲労だけが残る日だった。座っているだけで、ソファに活力が吸い取られていっているような、そんな感覚に陥るほどに、カラドの全身から急速に力が抜ける。

 微かに聞こえる音も、僅かに鼻孔をくすぐる匂いも、身体に触れる雰囲気も、全てが相性良く混ざり合い、この部屋に癒しの空間を作っている。


 次第に、聞こえなくなる。次第に匂わなくなる。次第に思考が崩れ、何も感じなくなっていく。

 そしてカラドはいつの間にか、深いまどろみに沈んでいった。

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