第一章①
世界は本で溢れかえっていた。
絵の載った本、絵だけの本、ファンタジー世界を描いた本、信じる神々のことが書かれた本、自らのことを綴った本、社会風刺をきかせた本、実用的な本、人々をただ楽しませるだけの本。
どれかが極端に多いわけでも、少ないわけでもなく、広く、大量に世界中に出回っていた。
本は娯楽だった。本は情報だった。本は知識だった。本は人々にとって世界を広げる存在であり、価値あるものだった。民でさえ、国でさえもその心を預け許し、信頼し従う。それが本だった。
そして、それらの本を数多く保管、収集し、貸し出しをしているのが図書館だ。本が最大の娯楽、本が最大の情報源であるこの世界を支えたのはそういった存在があったからこそだ。
図書館は様々な人の住む場所、出来る限り多くの土地に建てられた。人々が多く栄えている街には規模の大きいもの、そして、幾つかの村が集まって出来たような地域には小さめのものが。
図書館の無い町が無いほどに、世界各所にそれらは設けられた。そんな時代だからこそ、そうすることで人々の間の情報は平等に行き渡り、各図書館の蔵書量の差こそあったが、地域による基本的知識の差はほぼ無くされていた。
図書館の数は万を優に超える。その中でも世界各地にある主要都市五つには、それまでの図書館とは違う、大型の図書館を置いた。
大図書館。
各国の中でも最大級の大きさを誇る建築物であり、それら大図書館は他の図書館が保有している本の量を軽く上回る数を蔵書している。ありとあらゆる本の原本、未完成の本の保管、最新の本まで、多種多様な大量の本を保全する。
各所にある図書館はこの大図書館によって統制され、五つの図書館が見つかっている全ての本の管理をしている。小さな町一つが入るほどの規模を誇る大図書館は市民に知識を与える場であり、また世界的権威を持つ存在でもあった。
時には学校。時には警備隊。時には善悪の判断を下す者。様々な役割を担い、国にも市民にも認められ、頼られる機関となっていた。
その中で働く存在が、司書官。膨大に収められている本を管理、整理することが彼らの仕事で、図書館と人とを繋ぐことが、彼らの使命だ。
そんな世界をまたぐ主要機関、ブリューゼル第三大図書館に、青年カラド=ファブロ・ブラックスミスはいた。
「あの時、どうしてあの場にいた」
カラドの目前にいる男の声は冷淡で、しかし力強く、僅かにだが怒気を孕んでいた。顔には明白な表情こそ浮かんでいないが、男の放った言葉や雰囲気から、感情の起伏は読み取れた。
それに対し、カラドは溜め息を吐き、返した。
「だから、俺はただ図書館から帰る途中だっただけ。それ以外の他に何もねえよ」
「あの周辺に図書館は無い。あっても一番近い図書館は三十分歩いてようやく、といったところにあるな。それほどに人気が少なく家屋も無いあの場所で、何をしていた」
「だから、何もしてないって言ってるだろ。家に帰ろうとしてただけだ」
初めこそ呆れたような口調で相手にしていたカラドだが、一向に信用されず、言葉も聞き入れてもらえない。それに加えて、男の態度も気に食わなかったこともあり、思わず声を荒げてしまう。
しかし、その声も部屋全体を包む静寂に吸い込まれた。広めの部屋、価値があるかも分からない調度品、豪奢な椅子や机などの家具。ただでさえ好きになれないこの部屋の空気に、無愛想な目の前の男。カラドの大図書館に対する好感は悪くなるばかりだった。
図書館から帰る途中、黒服の男達に拉致られこの場所まで連れてこられたのだが、その理由はまるで分からない。黒服の男に聞いても答えは貰えず、態度の悪い男とは先程から同じやり取りを繰り返しているばかりで一度も訊けないでいた。
カラドは熱を帯び始めた思考を、停止しかかっている脳を、冷静なものに戻すため小さく深呼吸をする。
「……それで、俺は何でここに連れてこられたんだ?」
「分からないか」
「ああ、残念ながら何かしてるって自覚がねえからな」
「そうか、まあそうだろうな」
男はしばらく俯き、そして、怒気が窺える今までと変わらない口調と共に向き直る。
「
「……
現在、この国に度々出現する姿形がはっきりと分かっていない正体不明の存在。
八年前には既に存在して犯行に及んでいたが、最近再びその名が囁かれるようになっていた。特に図書館に頻繁に現れるそれは、蔵書してある本を喰らい、それが確認された後の図書館には、まともに読むことの出来る本は何一つとして残らない。
千切れ、破れ、穿たれる。文字通り、知そのものである本を喰らう存在だった。
故に、
ある日、とある図書館で一人の司書官が殺されていた。
喰らわれていた本と同じ傷創。千切れ、破れ、そして身体の至る所からそこにあるべき皮膚や肉、骨などが失われていたらしい。
死に姿を直接見たわけでは無いが、新聞や人々の会話の端々から、カラドは知の探求者について人並みに知っていた。
それから、それが現れる度に本は消え、司書官が死んでいっていた。誰にもその姿が視認されることは無く、現場も目撃されない。男かも女かも、子供かも年寄かも、人間なのか化け物なのかも分からない。ただ惨憺たる光景だけが生み出され、消えることなく次々と増え続けている。
人々に恐怖を植え付けるのは、それだけで十分だ。事実、図書館の利用者は目に見えるレベルで減っていた。
謎の存在が国を、人々を、図書館を脅かしていた。
「ブリューゼル第十廃図書館から始まって、一時期噂は聞かなくなっていたんだが、頻繁に姿を現しては犯行に及んでいた。それから再び姿を現した一か月前に合計十二人。一週間前に一人。五日前にまた一人。三日前にも一人。そして今日、一人喰われた。図書の数は数え切れず。今日含め喰われた司書官は三十名に上る」
「まさか、その
「それほどに話が単純ならば、今ここで君を殺している。問題はそこではない」
「じゃあ俺の何が問題なんだよ」
何となく、不安を覚えさせる男の言い方。カラドはここから逃げ出したい気持ちに駆られたが、まず男がそれを許すはずが無いだろうし、扉の向こうには恰幅のいい黒服の男たちが待機していることだろう。
逃げることもままならない状況。カラドは諦めて、話を聞き入れようとしない男に視線を合わせ、話の続きを促させる。
「
「協力者……、もしかしてそれが俺だ、って話か?」
「飽く迄もその可能性が高いというだけの話だが、そういうことになるな」
「まあ、何言っても聞いてもらえねえと思うけど、一応言わせてもらう。……俺は何もやってねえ。
「……と、お前は当然、そう主張するだろう」
人の話を聞かないことに対する怒りや、割と長時間拘束されていることへの苛立ちを込めた言葉をぶつけるが、男は表情を変えず、全て見透かしたようにただその眼光をカラドへと向け続ける。
「だが私はそれを聞いて、はいそうですか、と返すわけにはいかない立場だ。正しい正しくないはお前が決めることではない、私が決めることだ。お前の言葉を信じることは出来ない。当然、嘘を付いているかもしれないし、本性を隠しているかもしれないと、そう考えなければならない。どんなに善人であっても、どんなに英雄であっても、な。私にはそれを判断する義務と責任がある。おいそれと、軽率な決断を下すわけにはいかない」
「……じゃあ俺はどうやって無罪だって証明すりゃいいんだよ。証人もいるわけねえし」
図書館からの帰り道に突然黒服の男達に取り押さえられ、ここまで連れてこられた。当然その場には知り合いも、無罪を主張してくれる通行人もいない。たまたま人通りの少ない道を歩いていただけだった。そんな状況で力尽くで捕らえられ、確かに無罪だと認められるのはほぼ絶望的だろう。
しかし、そんな理不尽なことで幽閉されるわけにはいかない。カラドは諦めず、無罪を証明する方法を探る。
「そうだな……。お前、職には就いているか?」
「……は?」
脈絡のない質問。突然放たれたその言葉の真意を測りかね、カラドは思わず間の抜けた声を出してしまっていた。
相変わらず読み取りにくい表情を見せ、何を考えているのか分からない。しばらく間を開けた後、カラドは溜め息と共に返した。
「いや、定職にはついてねえ」
「そうか、それは都合が良かった」
「……何の話だ」
何がどう都合がいいのか。返答したはいいが、話がまるで見えてこない。不安と嫌な予感が混ざり合ったような感情が、心の内に渦巻き始める。耐え切れなくなって、カラドが言葉を発しようとしたと同時、机を漁っていた男が口を開いた。
「見るからに不良青年なお前には勿体ないがな」
「だから、何が――」
「お前には、ブリューゼル第八図書館で働いてもらう。知らない世界を見るというのも、悪くは無いぞ」
男は淡泊に、カラドの反応や訴えも無視して、ただそう告げた。
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