03
風が木々の葉を揺らす音が心地よい。森の中は土と緑の匂いで満ちあふれて、自然の恵みを心から感じられる。
アビトからの仕事に関して、だいぶ悩んだが受けることにした。
気が進まないのは確かなのだがモーリスも言う通りで、皆と同じになりたいのであれば行動する必要がありそうだと感じるのだ。
このタイミングで仕事の話が来たのはチャンスとも取れると結論づけたのである。
今は首都の街の近くにある森の調査をしているところだ。
「それにしても、仕事か? これは」
聞いているものは誰もいないが独りごちる。
そもそもこの森はジルも食料や魔法武器の素材を取りに来ている場所なのだ。決して隅々まで覚えている訳ではないが、迷うこともまずあり得ない。
魔物がいないか調査するのが仕事だそうだが、見覚えのある場所であるがため、散歩しているだけな気もしてくる。
ふと、腰に帯刀している双剣――魔法武器に目をやる。
いろいろと試してみたいことがあるのに……とも思うが、現金を入手できるのは大きいし、やると決めたからにはサボってはいけない。兎にも角にもモーリスだけは裏切りたくなのだ。
さすがに森の奥深いところには入ったことがない場所もある。もしも魔物が何らかの方法で力を蓄えていたら首都が襲われてしまう危険性が高い。
考えているうちに、周囲の変化に気がつきいた。
「魔力の影響か?」
まるで枯れているかのような木が散見されるようになった。
持ってきた地図で場所を確認すると、状況を書き入れ、更に森の奥へと歩を進める。
急激に辺りの空気がどんよりと重くなり、気がつくと不快さが体にまとわりついていた。
「なんだよこれ、本当に魔物でも出るのか?」
異様な雰囲気に飲まれそうになりながらも双剣を両手に構えて慎重に進む。すると、木々に隠されるかのようなっている小さな建造物を見つけた。
入り口が支柱で支えられて神殿か図書館を思わせる建物だが、この建物の正体は想像できる。
「――迷宮か?」
ほぼ間違いないだろう。
ジルは今まで魔法武器の開発のために、どうにかお金を工面して貴重な文献を読みあさってきたのだ。見たのは初めてだが自信はある。
しかも、周囲の様子からも恐らく誰の手にも掛かっていない新規の迷宮だ。
そうであれば、魔法武器に使える貴重な素材も独占できる可能性は高い。
詳しく調べるために建造物に走り寄ろうとして――やめた。
突然、空気がねっとりとした粘り気を持ったように重さを増し、生ぬるい水中にでも落とされたかのように息が止まったのだ。
何回か深く息をして、心を落ち着けた。
(――何だ? この迷宮!)
威圧感に危機をも覚えた。
足がすくみ、心音が早まるのが分かる。
濃紺の不気味な靄が建物から発せられていることに気がつくと、ジルは本能的に死の恐怖を感じ取り、一目散に逃げ出した。
***
「――で、お前はどう思っているわけ?」
ジルは急いで引き返すと、国家中央施設の一角でアビトに迷宮発見の報告を入れた。
話を一緒に聞いてもらいたくて無理やり連れてきたモーリスは黙って二人の会話を聞いている。。
アビトは話を一通り聞くとジルに問いかけたのだが、ジルにしてみれば一部始終を話しているつもりなので困惑する。
「どうって何だよ? 俺が見てきたことは話したろう?」
迷宮の発見と周囲の状況、地図上での場所を説明した。それ以上に何を望むというのだろう。
「お前はそれを何だと思う?」
「だから迷宮だって」
「面倒くさいな。本物の迷宮を見たことすらないお前は何を以て迷宮と判断した? 資料で見たことあるってだけじゃ説明にならんぞ」
少しの間、沈黙があった。アビトの視線からの圧力に根負けしたジルは思いつくままに答えることにする。
「不気味な空気は結界だと考えられる。俺が感じた限り感覚や気持ちを狂わせる類いの魔法だった。相手の精神に干渉するよりバリアで物理的に侵入を防ぐ方が確実なのに、何でそんなことするのかって言うと自然発生か迷宮の魔物が絡んでいるかだ。建物から出てきた靄についても安定性はないし、やっぱり新規の迷宮なんだろ」
「なるほど」
話し終わったつもりだったが、アビトの視線は続きを促しているようだった。
「迷宮と遺跡の違いは主となる存在がいるかいないかだろう? 遺跡なんてただの古代人の生活の跡なんだし、誰もいない場所にあんな結界が残ることが考えづらい。そういう意味でも迷宮だと判断している。俺の想像もあるし、主が何かなんて分からないけどな。……俺が言えるのはこれぐらいだ」
「ふむ」
考え込む仕草の後、やや間があってからアビトが口を開いた。
「お前すごいな。分かりませんって言うだけのやつが多いぞ」
どうやら褒められたらしく嬉しいのだが、何だか上から目線にも感じられ素直に喜べない。
「まあ、迷宮だろうな。しかも冒険者には任せられないような」
にやり、と音が鳴りそうなほど極端に不適な笑みを浮かべた。
そのアビトの様子に、最初から知っていて調査を任せたのではないかと疑いを持つ。
「分かっているなら聞くなよ」
「全てを知っているわけじゃない。実物を見ているのはお前だけだ。乃公はその場にいなかったんだぞ?」
上から目線の口調にいらだちを覚えるが内容は納得はできる。何とか、怒鳴るのはかろうじてこらえた。
しかし、このまま続ければ……ジルが大声を上げて周囲に悪目立ちしてしまうのは時間の問題だろう。
「……俺はこれで行っていいか?」
「構わないぞ。調べたいことがあるなら資料室は自由に使え」
アビトからの意外な発言に驚く。
「え、あ、資料室っていつでも好きなときに入れるのか?」
「乃公が許可する。分かっていると思うが、本も内容も貴重だからな。大切に扱え」
机に向き直ったアビトの背には、大きな存在感があった。
「あ、ありがとう!」
その背にジルは満面の笑みで礼を述べた。
***
今日は日差しが暖かくて気持ちが良い。
「アビトさんすごいなあ」
「ん? どういうことだ?」
資料室の場所だけ確認を終えると、二人で中庭に移動した。モーリスは何か伝えたいことがある様子だ。
庭の中央にある長椅子に座ると、目の前には『世界』という題名がつけられた球体の彫刻がガッチリとした台座の上に飾られている。
「うーん、やっぱり本って貴重なものじゃない? それを国に雇用されていない人に見せる許可を出せちゃうのって、それなりに権限が必要なんだよね」
「アビトってそれだけ偉いのか?」
「実はよく分からないんだよね。少なくとも戦争が起こったら私の隊長として動くはずだけど階級もなんだか曖昧で……」
聞いたジルは危険を察する。やはり魔法武器が狙いの怪しいやつなのか、と。
「あ、でも絶対に悪い人じゃないよ! 国とどういう契約しているのかにもよるしさ!」
モーリスは慌てたように両手を振って、撤回しようとする。
「森の調査もね、私じゃ危なかったんじゃないかな?」
「へ?」
「これでも女だからね。私が調査をしたときは何もなかったけど、この先は危険が増えるかも知れないってアビトさんが言ったこともあってね」
「それは女とか関係ないだろ」
「ふふ、そうだったね。とにかく口調の印象とは違って、とてもいい人だよ」
「……うーん、まあ……そうかな」
それにしても気になる。あの迷宮は何なのかということが。
「私は仕事に戻るけど、ジルはどうする?」
「んー。もうちょっと使ってみたいんだよな」
刃を形成していない柄だけの双剣を手に取ってじっと見つめる。
資料室も魅力であるが、まずは思うがままに魔法武器を振るってみたかった。
「間違っても迷宮に行って振り回したらダメだよ! 後、迷宮には仕事以外で近寄るのも控えてね」
「分かってるよ!」
まるで家族のような物言いに、慣れた口調で答えた。
モーリスが休憩を終えて仕事に戻ると、ジルはここ数日で触れた多くのことを思い返した。
どれもこれも、生活には必要なことばかりで新鮮味もあるが理解できないという感覚の方がまだ大きい。
そんな中、一つだけの不安要素――魔法武器が狙われている可能性――が浮かぶ。
対策したくても今のジルには、魔法武器を守るために何かを行う資金はなかった。給料が入る日まで何も手を加えられないのはもどかしい。
「俺、不器用なのか?」
魔法武器のためだけに生きてきたようなものなので、自分の口から出た疑問に答えも浮かばない。
「んー、でも今は実践か……」
資料室で魔法武器の改良のための知識を身につけたい。
しかし改良のためには、現状の魔法武器の性能や改善点を洗い出す必要がある。
更にそのためにはジル専用の魔法武器をどのように使って戦うかを考えなければならない。
どうせなら制御機能を効率化させて可能な限り変形速度をなくしたい。
やりたいことがたくさんある。
皆と同じになるために、そしてモーリスに恩返しをするために。
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