第40話 切り札

「あ、あの、柘植野さんは水曜日もこのカフェに来ますか?」


 話をらすように早口で、柴田がたずねた。


「水曜日? まあ、特に曜日は決めていないので、来ることもありますね」

「そうなんですね」


 柴田は硬い口調で言って、目をらした。イタズラをしたゴールデンレトリバーが、おどおどと目を合わせないみたいに。


「水曜日は……ほかの人とここでご用事があるんですか?」

「あ、そう、そうなんです」


 柘植野は穏やかな声を心がけたが、内心では嵐のように動揺していた。


 柴田さんが僕に見られたくない「ご用事」ってなんだろう。

 柴田さんは、もしかして……僕以外の人が好きなんだろうか!?

 さっき柴田さんの好意を確信したのは、てんで思い違いだったんだろうか!?


 柴田さんには「憧れの人」がいて、「水曜日のご用事の人」がいる。

 どうして、柴田さんの気持ちは、ずっと僕に向いていると思っていたんだろう?


「じゃあ、水曜日は来ないようにします」

「いや、水曜日って言っても3限だけです」

「なるほど。でも僕が知らない方がいい人なんですね」


 つい、探るようなことを言ってしまった。


「あの……浅井さんなんです」

「浅井!? マンションにたずねてきた!?」

「はい……」


 そういえば浅井は水曜休みだった。

 あの粗野な男と、純朴な柴田の間に交友があるなんて……!!

 柘植野は雷のようなショックを受けた。


「それは……お友達なんですか?」

「いや、いや……恋愛相談なんです!!」


 柴田は思い切り力んだ声で白状したので、隣のテーブルのマダム2人がニコニコと柴田を見た。


「恋愛相談……?」

「好きな人はまだ言えません!!」


 柴田は耳まで赤くなっている。

 柘植野はふっと力が抜けて安心した。

 柴田と浅井の共通の知人なんて、柘植野1人だけだ。少なくとも柘植野はそう思っている。

 ということは、恋愛相談は柘植野に関することに決まっている!



 柴田さんが、僕を想って、恋愛相談を……!

 柘植野の心臓が、トクンと打った。


「浅井に相談して、進展しましたか?」

「進展はしてないけど、しゃぶしゃぶをおごってもらいました」

「え?」

「めっちゃ高級そうでした」

「身体を触られたりしてないですよね?」

「いや、方向音痴なんで手をつないでもらいました。あとお話ししてて泣いちゃって、肩をさすってくれて……」


 柘植野は言葉を失った。


「……次は断った方がいいですよ」


 なんとか言葉をひねり出す。


 浅井は柴田さんを狙っている。間違いない。僕が接点を作ってしまったからだ。


 柴田さんは浅井に心を許している。身体に触れられても違和感を持たないくらいに。

 それに「泣いちゃった」って……。

 相手の弱みを引きずり出して親密度を上げるのは、浅井のいつものやり口だ。


 柴田さんの「憧れの人」と浅井と僕。「憧れの人」のカードを持っているのは僕だ。

 柴田さんに「あなたの憧れの人は僕ですよ」と言ったら、一番に好意を持ってくれるんだろうか?

 きっとそうなんだと、柴田の雰囲気で分かった。


 でも、浅井が「憧れの人」のカードの存在を知ったら、きっとウソをついて切り札に利用する。


 僕は何年も前から、柴田さんとの恋愛に踏み込む切り札を持っていたんだ。

 それをみすみす浅井に渡してしまうのか?


 このカードを切れば、柴田さんの心は確実に僕に向く。


 ——でも、僕はそれを望んでいるんだろうか?

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