第56話 初めてのアルコール

「そういえばおれ、まだお酒飲んでないです」


 洗い物をする柘植野に後ろから腕を回して、抱きつきながら柴田は言った。


二十歳はたちになってから?」

「そうです。お酒コーナーはおれには縁のない世界だと思ってました」

「今から飲んでみますか? 明日もお休み?」

「海野屋は休みです。教習所あるけど、日程変更します」


 世間一般のお盆休みが終わり、柴田がバイトする海野屋はお盆の代休に入った。

 柴田に自動車学校以外の予定はなく、のんびりと2人の時間を過ごしている。


「そう。それで問題ないようなら」

「やったー!」

「買いに行きましょうか」


 じっとりと暑い熱帯夜をくぐり抜けて、2人はスーパーにたどり着いた。

 柴田は目移りしてきょろきょろする。


「まずは、弱くて飲みやすいのと、少し強めのと、ビールを飲み比べてみるのがいいと思うんです。ビールを飲む機会はよくありますからね。甘いのはこの辺です」


 柴田は、なるほど、とうなずいた。

 マスカット味のサワーを選ぶ。柘植野が強めのレモンサワーとビールをカゴに入れた。


 そして柘植野は、白ワインのボトルも手に取ってレジへ向かう。


「柘植野さん! 飛ばしすぎじゃないですか!?」

「ワインは僕の分です。柴田さんが飲めなかった分も全部飲むから大丈夫ですよ」

「はええ……。強いんですね」

「そこそこね」


 半額シールの貼られたしなしなのフライドポテトと刺身をつまみに買い、帰宅した。


「パッチテストは大丈夫なんですよね?」

「はい。赤くならなかったです」

「じゃあ、これから」


 柘植野はマスカットサワーを開けて、柴田に差し出した。


「柴田さんのお誕生日に、乾杯」

「えへへ……。ありがとうございます」


 柘植野はワイン用のグラスを取りに行き、戻ってきてぎょっとした。


「コラーッ!! ジュースの勢いで飲まないの!! まずはひと口ずつ飲みなさーい!!」

「ひええごめんなさい……」


 柘植野は焦って大声を上げた。驚きすぎて息が上がっている。心臓に悪い……。


「いえ……。こちらこそ大きな声を出してごめんなさいね。びっくりして……」

「バカですみません……」

「柴田さんはバカじゃないです。思い切りよく行動できるのは、柴田さんのいいところですよ。でもお酒は危ないから、一旦お水飲みましょう」


 柴田にグラス1杯の水をちびちび飲ませる。

 その間に柘植野は、ポテトと刺身をつまみに、白ワインをどんどん飲む。


「柘植野さんもジュースのペースで飲んでるじゃないですか」

「自分のアルコール耐性が分かったら、安心してこのペースで飲めるんですよ」

「ふうん……」

「気分はどうですか?」

「別に普通です。でもおいしくないです……」

「あらら。味付けが悪いのか、アルコールの味を受け付けないのか、どっちでしょうね」


 柘植野は缶に口をつけ、ひと口飲んだ。

 よくできたマスカット味だと思う。味そのものは悪くない。


「柴田さんはアルコールの味がまだ苦手なんじゃないかな。やめておきますか?」

「せっかく3種類揃えたんで、全部飲んでみます」


 柴田はレモンサワーを飲み、「さっきと同じ味がする」と主張した。

 そしてビールを口に含んだ瞬間真顔になり、嫌そうな顔で飲み込んだ。


「お酒苦手です〜〜……。味が苦手です」

「それはね、慣れます」

「ほんとですか!?」

「そのうちアルコールの味そのものが好きになるんですよ。不思議なもので」


 言いながら、柘植野は柴田が残した缶を空けていく。


「柴田さん? 体調は大丈夫ですね?」


 柴田は迷った。ここで「気分が悪い」と言えば、柘植野さんは泊めてくれるかもしれない。そしてちょっとエッチなことも……!


「はい! 全然大丈夫です!」


 嘘はつけなかった。


 こんなことなら、我慢してもっと飲めばよかった。

 酔っ払ったら、きっと躊躇ためらわずに柘植野さんに「したい」って言えたのに。


「柘植野さんは酔っ払ってないんですか?」


 柘植野さんの方から、迫ってくれないかな。


「んー、多少酔ってるね」


 柘植野は口を大きく開いて、山盛りの刺身のツマを一気に口に入れる。

 柴田は柘植野がツマをどんどん食べるのを横目で見ている。


 柘植野さんは、身体は華奢きゃしゃなのにたくさん食べるし、口が大きい。あんなに大きく開くなんて……。


 柴田だってAVくらい見たことがある。行為に口を使うことも知っている。

 だから、大量のツマがどんどん吸い込まれていく柘植野の口は、ミステリアスでエロティックに思えた。


「どうしたの? 食べちゃいますよ」

「あ、食べちゃえるなら、どうぞ」

「はあい」


 柘植野はプラスチックトレーのツマをかき集めにかかった。

 柴田はまた、横目で柘植野が口を大きく開けるのを見ている。

 えっちだ。


「ごちそうさまでした」


 柘植野が手を合わせて、慌てて柴田も合わせる。

 柘植野がごちそうさまをするとき、細い指は指先まで綺麗きれいに揃って、整った爪の形がよく分かる。


 「ごちそうさまでした」と声を発する唇は小ぶりで、さっきあんなに大口を開けていたとは思えない。


 綺麗きれいで、ミステリアスで、えっちだ。


 柘植野さんはどうして、エッチなことを教えてくれないんだろう?


「柘植野さんは、酔うとどうなるんですか」

「んー? 楽しい気分になる。柴田さんがもっと大好きになる」

「もっと大好きに!? 嬉しいです!!」


 柘植野はくすくす笑う。それから缶をまとめて立ち上がりかける。

 柴田は腰を上げる前の肩に寄りかかって、まだ行かないでほしいアピールをした。


 柘植野は優しく笑って、柴田の髪を撫でる。

 柴田はそれだけでも嬉しくて、どきどきしながら柘植野に身体を寄せて甘える。


 柘植野は猫のようにしなやかに身体をひねって、柴田の耳に口を寄せた。


「ねえ。エッチなキス、してみますか?」

「ええええエッチなキス!?!? したいです!! とてもしたいです!!」


 柘植野は柴田に向き直って、真剣な顔で柴田の頬を包んだ。


「酔った勢いじゃないんですよ。今日は最初から、そういうキスをしたいって言おうと思ってたんです」

「おれは、どっちでもいいですけど……」

「衝動で柴田さんと接してるって思わないでくださいね。全部、よく考えてからしたいんです。柴田さんが——ん、むぅ」


 柴田は柘植野の言葉を聞きたくなくて、唇を押し付けてふさいだ。


 どうせ、おれが童貞だから初めては大切にしなきゃとか、そういうことを言われるんだ。

 確かにおれは童貞だけど、成人してるし男なんだ。柘植野さんのこと欲しくてたまらないって思ってるんだ。


「んむ……んん、んぅ……ふぅん……」


 それなのに、柘植野さんのバカ。

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