第50話 柘植野のカレー

 玄関が開くと、柘植野は「わあ!」と声を上げた。


「その服とっても似合ってます。柴田さんは体格がいいから、ジャケットがよく似合いますね」


 柘植野は明るい声で褒めながら、自宅に柴田を招き入れる。


「柘植野さんは、体格のいい男がタイプなんですか?」

「え? えーっとぉ……」

「怒らないから教えてくださいよ」

「体格のいい男がタイプです……」

「おれもタイプですか?」

「タイプです……」


 柴田は嬉しくなった。

 でもそれって、えっちな目で見られてるってことなんじゃないだろうか!?

 なのにどうして柘植野さんは……!


「暑いでしょう。ジャケットは脱いで……」

「えっ」


 柴田は、柘植野に「脱いで」と言われるだけでドキドキしてしまう。


「ん? ハンガーどうぞ。スラックスが汚れるといけないから、エプロンしてくださいね」

「はーい」


 そういうことではなかった。当たり前か。柴田はがっかりした。

 柘植野はブラウンのシンプルなエプロンをしている。柴田は初めて見る柘植野のエプロン姿にときめいた。


「じゃあ、カレーを作りましょうか? でも、僕が作りますから指揮監督してください」

「分かりました」


 柘植野は包丁の角でじゃがいもの芽を取っていく。とてもスムーズだ。

 柴田はびっくりした。柘植野の黒焦げ手料理は幻想らしい。


 じゃがいもは角切り、にんじんは乱切らんぎり、玉ねぎはくし切りになった。

 柴田はだんだん寂しくなってきた。


 柘植野さんって、おれがいなくても自炊できるんじゃん。


「柴田さん?」


 柘植野が振り向く。


「柘植野さん、料理できるじゃないですか」

「ある程度ね。柴田さんみたいに素晴らしいものは作れません」

「……」


 黙り込んだ柴田を見て、柘植野は眉を下げて笑った。


「僕は毎食自炊なんて考えられないし、柴田さんがいなかったら365日コンビニの豚しゃぶサラダとおにぎりを食べてるような人間ですよ。あなたと縁ができて本当によかった」

「なら、よかったです」


 子どもっぽいね方をしてしまった。でも柘植野さんは優しく受け止めてくれる。

 好きだな。


 今日はポークカレー。柘植野は肉に片栗粉をまぶし、柴田を呼んだ。


「水を出してもらえますか」

「あ、はいはい」


 肉を触った両手を洗う。柴田はハンドソープも出してあげた。


「ありがとう。柴田さんが作るときも、こんなちょっとした不便でも僕を呼んでくださいね?」

「いいんですか? 分かりました」


 これからも、おれは柘植野さんに料理を作って、ファンレターをもらう。それがずっと続いたら……。


 柴田は赤面した。

 柘植野との関係がどれくらい「ずっと」続くのか分からない。

 でもこんなに好きなんだから、すごくすごく長い「ずっと」を想像して、照れてしまう。


 鍋からは、肉を炒めるジュウジュウという音が立って、生肉のにおいから火の通った肉のにおいに変わっていく。


 野菜を鍋に入れるときのゴロゴロという音。油がチリチリと泡立つ音。

 自分が料理するときは気づかないけれど、料理には音があふれている。


 柴田は改めて、おれは料理をするのが好きだな、と思った。


「うん。できました!」

「ありがとうございます! おいしそう! おれがよそいますよ」

「いやいや、僕が」

「そのお玉、右利き用でしょ。おれがやります」

「ああ……。あなたはよく気が回る人ですね。実家から適当に持ってきたんです」


 柘植野は左利きなのだ。


 好き同士になってから、柘植野は柴田を「あなた」と呼ぶことがある。

 柴田はそのたびに、胸の中で炭酸が弾けるようにしゅわしゅわと嬉しくなる。


「いただきます! あ、おいしい!」

「ルーの味だけど……」

「柘植野さんの手料理だから特別おいしいです!」

「ふふ。また作りましょうか」

「作ってほしいです!」


 柴田はおかわりをして、たっぷりのカレーは綺麗きれいになくなった。


 お誕生日の人は洗い物をしなくていいのです、と柘植野が言うので、洗い物も任せる。


 柴田は柘植野が洗い物を人任せにしないところも好きだった。

 グラタン皿が綺麗に洗われて返ってきたときから、いい人だなと思った。


 実家の家族は、食べ終わったら誰かが洗い物をしなきゃいけないんだ、ということさえ考えもしない人たちだったから。


 柴田は手持ちぶさたなので、後ろから洗い物を眺める。

 柘植野の後ろ姿は線が細くて、エプロンの紐がだいぶ余っている。


 柴田はそっと柘植野の腰に手を回して、抱きしめてみた。


「ん?」

「いいですか、こうしてて」

「いいですよ」

「柘植野さん、いいにおい」

「やめてよ、恥ずかしい」


 えっちなこととかキスとかいう前に、まだ手をつないでいない。

 誕生日の前は「手をつなぎたい」とアピールできていたのに。いざ誕生日を迎えるとそんなことさえ言えなくなる。


 柘植野の白い首筋に鼻を押し当てる。好きな人のにおいがする。


「や、恥ずかしい」


 柘植野はびくりと身体を震わせた。思わず上げた声は急に色っぽくて……。柴田の下半身が熱くなる。

 このままえっちなこと教えてもらえるかな。もう一度鼻を寄せて息を当てると、柘植野は身をよじった。


 甘勃起しているのを押し付けたら、教えてくれるんだろうか。


「も、もう洗い終わりましたよ」


 柘植野が細い声で言い、柴田はハッと身体を離した。柘植野は赤い顔でうつむいて、さっさと部屋の方に戻ってしまった。


 えっちなことにいたるまでの道筋、分からなすぎ!!

 柴田はおろおろしながら柘植野に続いた。

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