第43話 特別なオムライス①

『今日の夕ご飯はオムライスです』


 浅井が去って1時間後に、柴田から連絡が来た。

 柘植野は飛び上がるほど嬉しかった。柴田さんは、浅井との焼肉より僕との夕ご飯を選んでくれたのだ。


 でも、柴田さんは無理をしていないだろうか?

 僕が嫌いなのに契約を継続しようとしていないだろうか?

 僕に襲われるかもしれないと、不安になっていないだろうか?


『無理はしないでくださいね。僕が隠していたのが悪いので』

『いえ!これからも夕ご飯作らせてください!』


 即返信が来た。でも、文面だけでは柘植野の不安は消えていかない。

 柴田さんは義務感からこう言っているのかもしれない。きちんと顔を合わせて話さなければ。


 夕方になり、ドアベルが鳴った。柴田だ。立ち上がりかけて、柘植野の脳裏のうりに悪い想像がよぎった。


 ——今日が最後の夕ご飯で、柴田さんがドアベルを鳴らすのもこれで最後だったら……。


 浅井が「元セフレ」と言ったとき、柴田がぱっと抱き合っていた腕をほどいた。柘植野にとって小さなショックだった。

 その痛みが、じわじわと柘植野の心臓に食い込んで、血がにじみ始める。


 泣き顔になるのをぐっとこらえて、玄関を開けた。


「こんばんは」


 柴田がはにかんだ笑顔で立っていた。


 柘植野はハッと息をむほど感動した。柴田の笑顔だけで、胸が苦しいくらいだった。


「こんばんは。さっきはごめんなさいね」

「いいえ! ちょっと怖かったので助かりました」

「浅井に何をされました?」

「えっと……。大したことじゃなくて、手を、こしょこしょされた、だけなんですけどぉ〜……」


 柴田の声は恥ずかしそうに小さくなって消えた。


「それだって、柴田さんの同意がなければしてはいけないことですから。怖くて当然です」

「……ありがとうございます」


 安心した顔で笑う柴田を今すぐ抱きしめたい。しかし同意がどうこうと言った直後だったので諦めた。


「今日はオムライスだけです」

「楽しみです」

「オムライスは繊細な作業を要求されるので、のぞかないでくださいね!」

「そうなんですね。分かりました。何かあったら呼んでください」

「約束ですよ? 絶対のぞかないでくださいね?」

「……?? 約束しますよ」

「信じます。では」


 そう言われてしまったので、柘植野は仕切りのカーテンの奥に引っ込んだ。

 柘植野はオムライスなんて作れない。作り方の想像もつかない。だから「繊細な作業を要求される」と言われれば、そういうものかと納得している。


◇◇◇


「できましたー! めしあがれ! おやすみなさい!」


 柴田は大声で言って、バタバタとサンダルをいて玄関を開けて帰ってしまった。


 柘植野はショックで言葉を失った。


 やっぱり柴田さんは、僕に襲われると思ってるんだ。僕がビッチだから。

 確かに僕は性欲が強い。でも、そういう誰でも構わないセックスをしてたのは、ずっと前なのに。


 浅井にはせめて「元ビッチ」と言ってほしかった。ビッチの魂百たましいひゃくまで? いやいや……。


 柘植野はしばし呆然ぼうぜんとしていたが、せっかくのオムライスが冷めてしまうと気づいた。ヨロヨロと立ち上がる。

 仕切りのカーテンを開けて台所の電気を点けると、そこには……!


 ケチャップで、でっかいハートマークが描かれた巨大オムライスが!!


 柘植野は柴田の健気さにメロメロになり、思わずふらついた。すぐに玄関を飛び出し、隣室のドアベルを鳴らす。


「……なんですか」


 ドアが細く開いて、柴田が少しだけ顔をのぞかせた。

 薄暗い廊下でも、顔が赤くなっているのが分かる。柘植野の頬も熱くなっている。


「すごく、すごく嬉しいです。一緒に食べてもいいですか」

「……恥ずかしいのでダメです」


 柴田は本当に恥ずかしそうに目を伏せた。少しうるんだ目がかわいくて仕方ない。


「分かりました。本当にありがとうございます。今日何時まで起きてますか?」

「今日? 0時くらいですかね?」

「0時ですね。その頃に少しだけお邪魔してもいいですか?」

「大丈夫、です……?」

「ファンレターを今日中にお渡ししたくて」


 説明されて、柴田は満開の花が咲くように笑った。

 柘植野の胸は愛しさにぎゅっと締め付けられた。心臓が速く打っている。


「じゃあ、また」

「はい。待ってます」


 あなたに言葉を、とてもたくさんの言葉を渡したい。いいですか。

 とは、まだ言わない。

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