第44話 特別なオムライス①
『今日の夕ご飯はオムライスです』
浅井が去って1時間後に、柴田から連絡が来た。
柘植野は飛び上がるほど嬉しかった。
柴田さんは、浅井との焼肉より僕との夕ご飯を選んでくれたのだ!
でも、柴田さんは無理をしていないだろうか?
僕が嫌いなのに契約を継続しようとしていないだろうか?
僕に襲われるかもしれないと、不安になっていないだろうか?
『無理はしないでくださいね。僕が隠していたのが悪いので』
『いえ!これからも夕ご飯作らせてください!』
即返信が来た。でも、文面だけでは柘植野の不安は消えていかない。
柴田さんは義務感からこう言っているのかもしれない。きちんと顔を合わせて話さなければ。
夕方になり、ドアベルが鳴った。柴田だ。立ち上がりかけて、柘植野の
——今日が最後の夕ご飯で、柴田さんがドアベルを鳴らすのもこれで最後だったら……。
浅井が「元セフレ」と言ったとき、柴田がぱっと抱き合っていた腕をほどいた。柘植野にとって小さなショックだった。
その痛みが、じわじわと柘植野の心臓に食い込む。血がにじみ始める。
泣き顔になるのをぐっとこらえて、玄関を開けた。
「こんばんは」
柴田がはにかんだ笑顔で立っていた。
柘植野はハッと息を
柴田の笑顔だけで、胸が苦しいくらいだった。
「こんばんは。さっきはごめんなさいね」
「いいえ! ちょっと怖かったので助かりました」
「浅井に何をされました?」
「えっと……。大したことじゃなくて、手を、こしょこしょされた、だけなんですけどぉ~……」
柴田の声は恥ずかしそうに小さくなって、消えた。
「それだって、柴田さんの同意がなければしてはいけないことですから。怖くて当然です」
「……ありがとうございます」
柘植野は、安心した顔で笑う柴田を今すぐ抱きしめたかった。しかし同意がどうこうと言った直後だったので、諦めた。
「今日はオムライスだけです」
「楽しみです」
「オムライスは繊細な作業を要求されるので、のぞかないでくださいね!」
「そうなんですね。分かりました。何かあったら呼んでください」
「約束ですよ? 絶対のぞかないでくださいね?」
「……?? 約束しますよ」
「信じます。では」
そう言われてしまったので、柘植野は部屋と台所を仕切るカーテンの奥に引っ込んだ。
柘植野はオムライスなんて作れない。作り方の想像もつかない。
だから「繊細な作業を要求される」と言われれば、そういうものかと納得している。
◇◇◇
「できましたー! めしあがれ! おやすみなさい!」
柴田は大声で言って、バタバタとサンダルを
柘植野はショックで言葉を失った。
やっぱり柴田さんは、僕に襲われると思ってるんだ。僕がビッチだから。
確かに僕は性欲が強い。でも、誰でも構わずセックスをしてたのは、ずっと前なのに……。
浅井にはせめて「元ビッチ」と言ってほしかった。
ビッチの
柘植野はしばし
仕切りのカーテンを開けて台所の電気を
ケチャップで、でっかいハートマークが描かれた巨大オムライスが!!
柘植野は柴田の健気さにメロメロになり、思わずふらついた。すぐに玄関を飛び出し、隣室のドアベルを鳴らす。
「……なんですか」
ドアが細く開いて、柴田が少しだけ顔をのぞかせた。
薄暗い廊下でも、顔が赤くなっているのが分かる。柘植野の頬も熱くなっている。
「すごく、すごく嬉しいです。一緒に食べてもいいですか」
「……恥ずかしいのでダメです」
柴田は本当に恥ずかしそうに目を伏せた。少し
「分かりました。本当にありがとうございます。今日何時まで起きてますか?」
「今日? 0時くらいですかね?」
「0時ですね。その頃に少しだけお邪魔してもいいですか?」
「大丈夫、です……?」
「ファンレターを今日中にお渡ししたくて」
説明されて、柴田は満開の花が咲くように笑った。
柘植野の胸は愛しさにぎゅっと締め付けられた。心臓が速く打っている。
「じゃあ、また」
「はい。待ってます」
あなたに言葉を、とてもたくさんの言葉を渡したい。いいですか。
とは、まだ言わない。
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