第42話 元彼じゃなくて元セフレ

 100枚つづりの便箋と、ハートのシール詰め合わせをレジカウンターに置いた。文具屋の店員は「おやおや」という目で柘植野を見た。

 これからラブレターを書くぞ、とびきり長いやつだぞ、と宣言しているような買い物だ。柘植野は赤くなって店を出た。


 柘植野は思わずニヤけてしまった。

 今日は水曜日だけど、この辺りは学生街なので、夏休みに突入した大学生でにぎわっている。

 学生たちに不審な目で見られて、柘植野は慌てて笑みのこぼれる口を押さえた。


 柴田さんと距離を詰めたいと思っている。

 いくつも張った予防線を取り払って、好きを伝え合いたい。


 柴田さんは料理をして、僕はファンレターを書く。

 僕のファンレターは、きっと柴田さんの心の暗いところを少しずつ照らしていく力がある。

 だから柴田さんは僕のファンレターを必要としてくれる。


 でも今、柴田さんが求めているのは「食レポ」だけじゃない。

 僕に恋をして、僕が柴田さんの気持ちに応えるのを望んでいる。


 僕はそれを分かっていた。それなのに、「自分の気持ちが分からない」なんて口実で引き延ばしていた。

 もう分かった。僕は、柴田さんが好きだ。


 柴田さんが僕に向けてくれる愛にこたえるのか? イエスだ。


 世界一のラブレターを書くんだ。僕が柴田さんにあげられるのは言葉だけだ。

 それならば最上級の、世界一の、一生忘れられないラブレターを書こう。


 柴田さんが二十歳はたちになるのはいつなんだろう。

 10代のうちに交際してしまったら、週刊誌がうるさい。

 さりげなく誕生日を聞き出そう。

 そしてその日までに、推敲に推敲を重ねたラブレターを書き上げよう。


 柘植野が機嫌よく帰宅すると、隣室の話し声がうっすら聞こえてきた。柴田の家からだ。


 柴田さんのお友達が来てるのかな。男性のようだけど。

 ん? この声、浅井じゃないか!?


◇◇◇


 浅井は不満だった。柴田がつれない。


 焼肉を食べに行こうと誘っても、予定を合わせてくれない。

 休日はバイトとサークルで時間がないし、大学がテスト・レポート期間だから忙しいと言われれば、納得はする。


 でも、柴田がときどき言う「夕ご飯を作らないと」の意味が分からない。

 こっちは夕ご飯を外で食べよう、と誘っているのだ。


 クズに捕まって、実家と同じように家事を全部やらされてるんじゃないか?

 そう思ったとき、真っ先に頭に浮かぶのは柘植野だ。


 あいつは自分から「やれ」と言うほどのクズではない。

 しかし顔と外面がいいから、柴田くんが勝手に惚れ込んで、勝手に家事手伝いをやっている可能性はある。


 そう考えて、浅井は柴田宅へ乗り込むことにした。

 ついでにエッチなこともして、身体の関係からずるずる交際に持ち込みたい。

 カワイイ柴田くんをセフレ扱いするのは、さすがにかわいそうだから。


 ちなみに前の彼氏とは破局済みだ。


 浅井は水曜日の休みを利用して、高級アイスの手土産を持って柴田の家に上がり込んだ。

 柘植野に見つかるのが心配だったが、隣室は静かだ。出かけているのかもしれない。


「柴田くん、アイス食べな? レポート終わった?」

「いただきます! だいたい終わりました!」

「優秀だねぇ~! じゃ、焼肉行こうよ」

「そうですね。今度はおれもお金払えるとこにしてください」

「何言ってんの。社会人が学生さんにしてあげられることは、お金を払うことでしょ? おごられてよ」

「申し訳ないです……」


 テーブルの前に2人であぐらをかいている。浅井は少しずつ柴田との距離を詰めていく。


「今日の夜は? 早速行こうよ」

「浅井さんがいいなら、ぜひ」

「ほんと! 嬉しいなあ~」


 爽やかな営業スマイルを作って見せると、柴田は首を傾げて遠慮がちにはにかんだ。


 さてさて、エッチなことをしちゃうのと、健全な焼肉デートと、どっちが先ですかね? などと浅井はほくそ笑んだ。


「じゃあ柘植野さんに連絡しないと……。スマホ触っていいですか?」

「ちょっと待って。なんで柘植野が関係あるの?」

「あ。えーっとぉ~……」

「柘植野に夕飯係やらされてるでしょ」


 柴田は無言で固まった。しかし、浅井と絶対に目を合わせないその表情が、はっきり肯定していた。


「なんでそんなことしてるの? 柘植野が好きなの?」

「……はい」


 柴田は泣きそうな細い声で答えた。


「あいつも案外クズだな……」

「違うんです! 柘植野さんは食レポ語彙力レベル100だから、ファンレターをくれるんです!」

「え? え? レベル? ファンレター?」

「はい! もったいないのでお見せできませんが!」


 両手を握り、目を輝かせて柴田は言う。


「まあ、何かしらの対価はもらってるわけだ……?」

「そうです! でもこのことは秘密にしてください!」

「怪しい……」


 浅井は面倒になった。手を滑らせて、柴田の床についた手を包み込む。


「えっ!? 浅井さん」

「こういうのもしたことない? ないよね」

「こういうの、って」


 浅井が柴田の手の甲をこしょこしょとくすぐる。

 柴田は真っ赤になって固まってしまった。思考が追いつかない。


 ドアベルが鳴った。


「え、あ、誰だろ」

「あー、来ると思ったよ……」


 浅井だけが、柘植野の帰宅に気づいていたのだ。

 ほうけている柴田を置いて、勝手に玄関を開ける。


「おい。盗み聞きクソ野郎」


 浅井をにらみつけて玄関前に立っているのは、柘植野だ。


「お前の声がデカいんだよ。柴田さーん? 大丈夫ですかー?」

「柴田くんとおれが仲よくしてるところに割り込むなよ」

「通せよ。おい! デカくて邪魔なんだよ」


 柘植野は無理やり浅井を押し込んで、玄関の土間まで上がったが、それ以上は浅井が通さない。


「柘植野さん! ファンレターのこと浅井さんに言っちゃいました! ごめんなさい!」


 柴田が玄関に走り出てきた。とりあえず服を着ているので、柘植野はかなりほっとした。


「浅井は口が達者だから仕方ないですよ。気にしないで」

「柘植野さーん!」


 柴田は浅井のわきをすりぬけて柘植野をハグした。一瞬固まった柘植野も、そっと抱きしめ返す。


「怖い思いをしましたか?」

「……ちょっと」


 柴田は少し潤んだ目ではにかんで、柘植野と見つめあっている。


 浅井は、柴田から見た柘植野と自分の好感度が、天と地ほども差があることを理解した。

 ここは、柘植野の好感度を引きずり下ろすしかない。


「柴田くん。嘘をついててごめんな。おれと柘植野は元彼じゃない。元セフレ」

「せ、せふれ……??」


 柴田は柘植野から身体を離して、衝撃で固まった。


「柘植野はビッチ野郎だけど、大丈夫そう?」

「び……!?!?」


 柴田にとっては、初めてリアルで聞いた言葉だった。

 目を丸くして、顔を真っ赤にしてうつむく。口にするだけで恥ずかしい言葉のような気がした。


「落ち着いて1人で考えなよ。おれと柘植野は話し合いをしてくるから。な、柘植野」


 浅井はポンと柘植野の肩を叩いた。

 柘植野は、虚ろな目で柴田を見つめていた。

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