第41話 元彼じゃなくて元セフレ

 100枚つづりの便箋と、ハートのシール詰め合わせをレジカウンターに置くと、文具屋の店員は「おやおや」という目で柘植野を見た。

 これからラブレターを書くぞ、とびきり長いやつだぞ、と宣言しているような買い物だ。柘植野は赤くなって店を出た。


 思わずニヤけてしまう。今日は水曜日だけど、この辺りは学生街なので、夏休みに突入した大学生で賑わっている。

 学生たちに不審な目で見られて、慌てて笑みのこぼれる口を押さえる。


 柴田と距離を詰めたいと思っている。いくつも張った予防線を取り払って、好きを伝え合いたい。

 世界一のラブレターを書く。僕が柴田さんにあげられるのは言葉だけだ。

 それならば最上級の、世界一の、一生忘れられないラブレターを書こう。


 柴田さんが二十歳はたちになるのはいつなんだろう。

 10代のうちに交際してしまったら、週刊誌がうるさい。さりげなく誕生日を聞き出して、その日までに推敲に推敲を重ねたラブレターを渡そう。


 機嫌よく帰宅したら、隣室の話し声がうっすら聞こえてきた。柴田の家からだ。柴田さんのお友達が来てるのかな。男性のようだけど。

 ん? この声、浅井じゃないか!?


◇◇◇


 浅井は不満だった。柴田がつれない。


 焼肉を食べに行こうと誘っても、予定を合わせてくれない。

 休日はバイトとサークルで忙しいし、大学がテスト・レポート期間だから忙しいと言われれば納得はする。


 でも、柴田がときどき言う「夕ご飯を作らないと」の意味が分からない。こっちは夕ご飯を外で食べよう、と誘っているのだ。


 クズに捕まって、実家と同じように家事を全部やらされてるんじゃないか? そう思ったとき、真っ先に頭に浮かぶのは柘植野だ。

 あいつは自分から「やれ」と言うほどのクズではない。しかし顔と外面がいいから、柴田くんが勝手に惚れ込んで、勝手に家事手伝いをやっている可能性はある。


 そう考えて、浅井は柴田宅へ乗り込むことにした。

 ついでにエッチなこともして、身体の関係からずるずる交際に持ち込みたい。カワイイ柴田くんをセフレ扱いするのは、さすがにかわいそうだから。


 ちなみに前の彼氏とは破局済みだ。


 水曜日の休みを利用して、高級アイスの手土産を持って柴田の家に上がり込んだ。

 柘植野に見つかるのが心配だったが、隣室は静かだ。出かけているのかもしれない。


「柴田くん、アイス食べな? レポート終わった?」

「いただきます! だいたい終わりました!」

「優秀だねぇ〜! じゃ、焼肉行こうよ」

「そうですね。今度はおれもお金払えるとこにしてください」

「何言ってんの。社会人が学生さんにしてあげられることは、お金を払うことでしょ? 奢られてよ」

「申し訳ないです……」


 テーブルの前に2人であぐらをかいている。浅井は少しずつ柴田との距離を詰めていく。


「今日の夜は? 早速行こうよ」

「浅井さんがいいなら、ぜひ」

「ほんと! 嬉しいなあ〜」


 爽やかな営業スマイルを作って見せると、柴田は首を傾げて遠慮がちにはにかんだ。


 さてさて、エッチなことをしちゃうのと、健全な焼肉デートと、どっちが先ですかね? などと浅井はほくそ笑んだ。


「じゃあ柘植野さんに連絡しないと……。スマホ触っていいですか?」

「ちょっと待って。なんで柘植野が関係あるの?」

「あ。えーっとぉ〜……」

「柘植野に夕飯係やらされてるでしょ」


 柴田は無言で固まったが、浅井と絶対に目を合わせないその表情が、はっきり肯定していた。


「なんでそんなことしてるの? 柘植野が好きなの?」

「……はい」


 柴田は泣きそうな細い声で答えた。


「あいつも案外クズだな……」

「違うんです! 柘植野さんは食レポ語彙力レベル100だから、ファンレターをくれるんです!」

「え? え? レベル? ファンレター?」

「はい! もったいないのでお見せできませんが!」


 両手を握り、目を輝かせて柴田は言う。


「まあ、何かしらの対価はもらってるわけだ……?」

「そうです! でもこのことは秘密にしてください!」

「怪しい……」


 浅井は面倒になった。手を滑らせて、柴田の床についた手を包み込む。


「えっ!? 浅井さん」

「こういうのもしたことない? ないよね」

「こういうの、って」


 浅井が柴田の手の甲をこしょこしょとくすぐる。

 柴田は真っ赤になって固まってしまった。思考が追いつかない。


 ドアベルが鳴った。


「え、あ、誰だろ」

「あー、来ると思ったよ……」


 浅井だけが、柘植野の帰宅に気づいていたのだ。

 ほうけている柴田を置いて、勝手に玄関を開ける。


「おい。盗み聞きクソ野郎」


 浅井をにらみつけて玄関前に立っているのは柘植野だ。


「お前の声がデカいんだよ。柴田さーん? 大丈夫ですかー?」

「柴田くんとおれが仲よくしてるところに割り込むなよ」

「通せよ。おい! デカくて邪魔なんだよ」


 柘植野は無理やり浅井を押し込んで玄関の土間まで上がったが、それ以上は浅井が通さない。


「柘植野さん! ファンレターのこと浅井さんに言っちゃいました! ごめんなさい!」


 柴田が玄関に走り出てきた。とりあえず服を着ているので、柘植野はかなりほっとした。


「浅井は口が達者だから仕方ないですよ」

「柘植野さーん!」


 柴田は浅井のわきをすりぬけて柘植野をハグした。一瞬固まった柘植野も、そっと抱きしめ返す。


「怖い思いをしましたか?」

「……ちょっと」


 柴田は少し潤んだ目ではにかんで、柘植野と見つめあっている。


 浅井は、柴田から見た柘植野と自分の好感度が、天と地ほども差があることを理解した。

 ここは、柘植野の好感度を引きずり下ろすしかない。


「柴田くん。嘘をついててごめんな。おれと柘植野は元彼じゃない。元セフレ」

「せ、せふれ……??」


 柴田は柘植野から身体を離して、衝撃で固まった。


「柘植野はビッチ野郎だけど、大丈夫そう?」

「び……!?!?」


 柴田にとっては、初めてリアルで聞いた言葉だった。目を丸くして、顔を真っ赤にしてうつむく。口にするだけで恥ずかしい言葉のような気がした。


「落ち着いて1人で考えなよ。おれと柘植野は話し合いをしてくるから。な、柘植野」


 浅井はポンと柘植野の肩を叩いたが、柘植野は虚ろな目で柴田を見つめていた。

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