第35話 コーヒーは味のハーモニー
「
浅井はグラスをカフェのテーブルに置いて、
「そうなんです。花火なんてロマンチックな機会そうそうないからチャンスだって」
「それ嘘だから。柘植野にそういうチャンスポイントはないから。そいつヤバいな。二度と関わらない方がいいよ」
浅井は思わず早口で言葉を重ねた。アイスコーヒーの氷がカランと鳴る。
「告白にはまだ早いんでしょうか……」
「そうそう! いきなり若者が告白してきたら、柘植野はめちゃくちゃ距離を取って、それで人間関係おしまいだから! ナイス判断だよ」
浅井は中煎りのアイスコーヒーに口をつけた。ブラックコーヒーの苦味の中にあるフレーバーを探すように、口の中で転がして味わう。
店員は酸味弱めと言っていたが、複雑に重なり合ったフレーバーの中ほどにしっかり酸味を感じる。まあ味覚なんて人それぞれなのでこんなもんだろう。
柴田が赤い顔で黙っているので、浅井は気になって声をかけた。
「どうした?」
「いや、判断っていうか、告白しなかったのはおれがヘタレだっただけで……」
柴田は恥ずかしそうにボソボソと言う。この子は相変わらず表情が分かりやすくておもしろい。
「あーね。今回はヘタレがいい方に転んだな。きみ、誰かと付き合ったことあるの?」
「ない、です……」
「ああ。柘植野は初めて付き合うにはいい男じゃないの。知らんけど。付き合えればの話だけどね」
「そうなんですよ! 攻略法はありそうですか……?」
「それなんだけどな……」
正直なところ浅井には、柴田と柘植野の様子を聞いておもしろがる以上のモチベーションがない。
攻略法を考えておくと言って、特に何も考えてこなかった。
柴田くんと柘植野の仲をもっとおもしろい感じに引っかき回せるルートはないかな……。
「やっぱ色仕掛けじゃない?」
「い、いろじかけ……」
柴田はキャパオーバーの顔をしている。今にも頭から煙を吹いて倒れそうだ。
「柘植野は若者からのお願いに弱いじゃん。ちょっとずつちょっとずつお願いをエスカレートさせていって、ハグくらいまでは全然流れでできると思うから——」
「あ、ハグはしました……」
「え? ハグはしてんの? 手ぇ出されてないんじゃないの?」
浅井は予想外の言葉に動揺して、コーヒーをひと口飲んだ。じんわり穏やかな渋みが心を落ち着ける。
「おれから、したので……」
「へえ? 柴田くんやるねぇ。それは……なに? どういう状況のハグ?」
「えっと……無事でよかったねって」
「あー。恋愛感情じゃないんだ」
浅井は落ち着いたフリをしながら、笑い出したくてたまらなかった。
恋愛感情を確かめ合ってないのにハグしてんの? ハグフレってやつ? 柘植野の情緒めちゃくちゃになってない?
なんだこれ。めちゃくちゃおもしろいな。
「それ以上はしてないんでしょ?」
「えっと……」
「えっ!?」
「一緒に寝ました……」
「待って? それは——」
浅井は身を乗り出し、柴田の耳元で聞いた。
「セックスしたってこと?」
「ち、違います! 柘植野さんが風邪引いて、おれの家に泊めたら! 朝起きたら抱き枕にされてたけど、寝ぼけてて全然覚えてないみたいで!」
「何をやってんだあいつは……。あいつ睡魔に弱いからな。寝起きも最悪だし、それは柴田くんのせいじゃないよ。柘植野が悪いよ」
言い終わってから柴田を見ると、目を丸くして浅井を見つめていた。
「浅井さんって……なんで柘植野さんの寝起きが悪いって知ってるんですか?」
「あー……」
柴田の表情が疑いとショックで曇るのを、さすがの浅井も見ていられなかった。
「ごめん柴田くん、おれは柘植野と付き合ってたことがあるけど、もう終わってるし、柘植野はおれが嫌いだし、おれは柴田くんを本気で応援したいと思ってる」
8割は嘘だ。「柘植野はおれが嫌いだし」くらいしか本当のことを言っていない。だが営業マンらしくきりりと伝えると、柴田の表情は少しやわらかくなった。
「黙っててごめんな」
「いや、浅井さんの立場がはっきり分かって安心しました。ありがとうございます」
「いやいや。とにかく、柘植野がハグしてくれるのは、まだ『若者の気持ちを大事にしよう』ってだけ。恋愛感情はたぶんない」
浅井がはっきり言うと、柴田はしょんぼりと眉を下げた。
「でも柴田くんは若者特権で柘植野に近づけるから、少しずつ少しずつエッチな方面で既成事実作っちゃおう」
「えっちな……!?」
柴田はまた煙を吹きそうな赤い顔になった。こりゃダメかもしれない。
「まず手をつなぐところからやってみたら?」
「手を……。分かりました。おれ方向音痴なんで、出かけるときに頼めばつないでくれると思います」
「おお……。いいね。いい作戦だと思うわ」
柘植野がどう動くか、見ものだな。こんなカワイイ男の子に好かれてるのに、何を悠長に構えているんだか。
そうだ。彼氏が「将来を考えたい」とかめんどくさいこと言い始めたし、柴田くんに乗り換えちゃおう。
からかったらいちいち真っ赤になる男の子、手を出したくならないわけがないし?
アイスコーヒーを口の中で転がす。今度はダークチョコレートのビターなフレーバーが感じられた。
氷がカランと鳴る。
「ねえ、柴田くん。来週水曜の夜、空けといてよ」
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