第34話 ジャンボパックの花火

 梅雨のじめじめが1週間ほど続いて、あとは快晴ばかり。空梅雨からつゆの年だった。

 柘植野に粕川かすがわが連絡してきたのは、最高気温が30度を超え始めた頃のとある日だった。


『花火できる場所見つけたんですけど、条件があるんです。あと海野屋の子も連れてきてください』


 柘植野は首をひねって返信した。

 5月末に柴田と花火をやる約束をしてからもう半月が経つ。なかなか場所が見つからなくて、念のため粕川に聞いてみたのがよかったのか悪かったのか。


◇◇◇


「こちらになります〜!」


 朝5時。粕川が柘植野と柴田を案内したのは、粕川のアパートの裏庭だった。


「うわ……。こりゃまた植物がのびのびとした庭だね」


 完全に放置された裏庭に、いざ夏だ、成長するぞとばかりに雑草が生い茂っている。中には背丈ほどの草もあるくらいだ。


「この草全部刈ったらここで花火やっていいそうなんで!」

「やったー! がんばりましょう! 柘植野さん寝ないで〜!」


 柴田が声をかけると、朝に弱い柘植野はハッと目を開けた。


 眠そうな柘植野さん、かわいい……。


 柴田と粕川の両人にそう思われていることに、柘植野は気づかない。

 3人は帽子をかぶり、渋々ながら草刈り鎌を手に取って作業を始めた。


「柘植野さん、柴田くんには仕事のこと言ってるんですか?」


 粕川が柘植野との距離を詰め、小声で聞く。


「言ってるけど、なんで?」

「いや、話振っていいのかなと思って。それにしても仲いいですね……」


 恋敵認定した柴田くんは、柘植野さんを看病する関係性らしい。お互いの部屋をたずねたりしているんだろうか。

 かなりリードを取られた粕川は焦っている。柘植野のそばで作業し、できるだけ会話のチャンスを狙った。


「作家の仕事ってどんな感じなんですか? コツコツ書く感じ?」

「うーん、書くのは作業って感じで、リサーチが一番大変かな。今でも大学図書館に行ってるし」

「へえ〜! かっこいいですね!」

「いや……」


 柘植野は、粕川が自分の仕事に「かっこいい」ばかり言うので居心地が悪くなってきた。


「研究室の同窓会、行かないんですか? みんな柘植野さんに会いたがってますよ」

「いや、僕は中退してるから行きづらくて……」

「そんな〜! 学者やるよりすごい仕事じゃないですか! 憧れの職業ですよ!」

「そうかな……。ありがとう」


 一応「ありがとう」とは言ったものの、柘植野は粕川と話すのに疲れてきた。さりげなく水分補給に立って、柴田のそばに移動する。

 粕川は、柘植野に逃げられて悔しく思った。


「柴田さん、手早いですね」

「実家の庭の手入れもおれの仕事だったんで!」

「そうなんですね」


 柘植野は無難なあいづちを打ったが、内心困惑していた。柴田は料理も庭の手入れも任されていたんだ。妹も弟も手伝ってくれないとこぼしていたこともあった。ご両親は激務らしいから、あまり家事はできないんだろう。


 柴田さんは家のことにかかりきりで、どうやって学校に通って、受験勉強をしていたんだろう? そして家事の主戦力が上京した今、柴田家の家事はどうなっているのか……?


 柴田が実家に関して抱えているわだかまりは、柘植野が想像するより大きいのかもしれないと思った。ゴールデンウィークも、授業を理由に帰省していなかったし……。


「柘植野さん、起きてますか!」

「ハッ! 起きてます。ぼーっとしてました」

「水飲んでくださいね!」

「さっき飲みました」

「もう1回!」


 柴田に言われて、もう一度スポーツドリンクを飲んで戻ってきた。


「柘植野さんもなかなか鎌の使い方が上手いですね」

「親戚が米農家なんで、たまに手伝いに行ってましたね。コンバインで刈り取りきれなかった米を手で刈るんです」

「へえ〜」


 柴田は珍しく、それ以上聞かなかった。草刈りに集中しているようだ。


 柘植野は手を動かしながら、粕川との会話の居心地の悪さについて考えた。


 粕川くんは僕に好意を持っている。それは学生時代から分かっていた。柴田さんも僕に好意を持っていると思う。でも柴田さんと話して居心地が悪いと感じることはない。

 粕川くんの好意は、僕の職業に対する好奇心でしかない気がする。「仕事がかっこいい」以外に、僕を好きな理由はないんじゃないだろうか。


 3人は黙々と作業し、なんとか7時過ぎに草刈りを終えることができた。


「これで花火できますね〜! 大家に報告しとくんで、19時集合で!」

「はーい」


 柘植野と柴田は素直に返事をして、それぞれの家に帰った。当然、2人ともぐっすり昼寝をした。


◇◇◇


 男3人で、手持ち花火を楽しんでいる。柘植野がボリュームパックを選んできたので、何本やってもなくならない。3人とも可笑しくなってきた頃。


「柘植野さん」


 粕川がちょいちょいと柘植野を隅に呼んだ。


「なに?」

「おれ、ほんとにこの先の仕事どうしようかと思ってて」

「うーん……」

「柘植野さんは、おれがどんな仕事をしてたら自慢の後輩って思ってくれますか」

「自慢の……」

「そうです、イケメンで、高学歴で、大作家の柘植野さんに恥ずかしくない仕事ってなんですか」


 粕川は本気なのだと分かった。本気だからこそ、柘植野は心の底から冷めてしまった。


 粕川くんにとって僕の価値は、イケメンで高学歴で大作家なことなんだ。僕と交際したら、自慢するんだな。お飾りのトロフィーみたいに、僕の外側だけを。


「僕はきみの仕事に興味ないよ」


 粕川は返事をしなかった。粕川の花火の方が先に消えて、黙ってバケツの方へ去っていった。それからまた花火に火を点け、今度は柴田に話しかけた。


 柘植野はやきもきしながら見守った。僕が遠回しにお断りしたから、柴田さんに八つ当たりするつもりなんじゃ……?

 粕川と柴田は最初は数言だけ会話をし、なにやらこそこそと話し合っている様子だったので、柘植野はさらに心配になった。だが、しばらくすると花火を楽しむ笑い声が聞こえてきて、柘植野はようやく落ち着いた。


 ボリュームパックの花火をほとんど使い切り、残りは線香花火だけになった。柘植野の隣に柴田がかがむ。2人の花火がぱちぱちとはじける。


「柘植野さん……」


 線香花火に照らされて、うつむいた柴田の頬は赤く染まっているように見えた。


「……どうしたの?」


 柘植野は焦った。

 告白だ。告白されるんだ。どうしよう。

 モテる人生を送ってきたので、告白の予感には敏感なのだ。

 本当にどうしよう!? 柴田さんのこと……恋愛対象としてはそこまで……好きじゃない、と、思う……。


「いや! 花火きれいですねって言いたくて! おれ線香花火が一番好きです!」


 柴田はごまかすように目をそらして話した。


「ああ。僕も線香花火が好きです」

「花火やらせてくれて、ありがとうございます」


 こうして感謝の言葉を忘れないのが、柴田さんのいいところだ。人として、好きなんだと思う。きっと、そうなんだ。

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