第31話 一緒に……寝るんですか?

 柴田の部屋に上がったときには、柘植野は鼻をかみつづけ、その合間にくしゃみをする状態になってしまった。タバコを吸ったのが余計だったに違いない。

 替えのシーツがないというので、一旦自室に戻った。タバコ臭い服を脱いで部屋着に着替える。乾燥機にかけた毛布とシーツ、スウェットを持って戻ってきて、柘植野は素直に柴田に毛布でぐるぐる巻きにされた。


 なんで柴田さんの家で面倒を見てもらってるんだっけ。僕が風邪を引いたからか。風邪を引いたら面倒を見てもらうのは仕方がないよな。


 柘植野の頭はてんで回っていない。


 そして柴田はコンビニへ走った。走りながら考えた。おれ、なんで風邪っぴきの柘植野さんを家に招いてるんだっけ。

 でもおれは柘植野さんの部屋に入らない約束だし、看病するならおれの家でないと。なるほど、そういうことか。

 柴田は納得したが、柘植野に寄り添って看病したい気持ちには気づいていない。


 鼻に優しいティッシュとゼリー飲料と、果物のシロップ漬けなんかもカゴに入れた。スポーツドリンクに、マスクも必要だ。

 カゴをレジに持っていくと、声をかけられた。


「あれ、海野屋の子じゃない? 風邪引いたの? 大丈夫?」


 ちょうど粕川かすがわがレジ担当だったのだ。


「あっ、いや、おれじゃないんで大丈夫です」

「ん? 柘植野さんが風邪引いたの?」

「あー……。そうです……」


 柴田は小さな声で白状した。この人に柘植野の体調を知られていいものかよく分からなかった。


「え、大丈夫かな。きみが看病してるの?」

「粕川くーん!! 仕事して!!」


 バックヤードから店長が怒鳴った。粕川は、仕方ないな、という雰囲気で、それ以上しゃべらなかった。


「ありがとうございます」

「ありがとうございましたー」


 粕川はいつも通りのあいさつをして柴田を見送ったが、その目はぎらりと光っていた。

 粕川に恋敵認定されたことを、柴田は知らない。


◇◇◇


 ゼリー飲料を飲むと柘植野は、ぼーっとしながら湯船に浸かり、眠くて何も考えられない顔で、当然のように柴田のベッドにもぐり込んだ。


 すぐに寝息を立て始めた柘植野を見て、柴田はニヤけた。

 めちゃくちゃかわいい。普段は落ち着いてクールな顔をしている柘植野さんが、ぽやぽやしてるのかわいすぎ。しかも寝顔はめちゃくちゃ綺麗……。やっぱりイケメンだな……。いや、イケメンっていうより美人なのか……?


 柴田は頬を緩めながら冷却シートを取り出した。そっと柘植野の前髪を払うと、色白な額があらわになる。それだけで柴田はドキドキした。

 冷却シートを貼ると、柘植野は「うぅん」と小さな声を上げて、また眠ってしまった。

 かわいい。かわいすぎる。


 柴田は誰かを泊めるとき用に買っておいた寝袋を準備して、デスクライトだけを点けて大学の課題を進めた。


 途中で柘植野にもらったアップルパイを思い出し、1人で食べた。食べ始めてから、トースターで温めればよかったと気づいた。でもトースターが鳴る音で柘植野が起きてしまうかもしれないから、仕方ない。

 本当は、柘植野さんと一緒に食べたかったな。


 しなっとヘタってしまったパイ生地というのは、それはそれでおいしい。内側の層がぺたっとくっついてしまっているところに、バターと小麦のうまみが集まっている。

 リンゴのコンポートにはギュッと甘みが濃縮している。おれだったらもっと甘さ控えめに煮るな、と思う。でも、濃厚バターの生地には思い切り甘いコンポートをぶつけるのがちょうどいい。

 やはり売り物は考え抜かれている、と柴田は感心した。


 上の方はまだ生地がサクサクしている。ひと口食べるごとに、歯を立てる音で柘植野が起きないか心配になる。できるだけ静かにアップルパイを味わっていると、フルーツらしい爽やかな香りをゆっくりと味わうことになる。

 夜中にこっそり隠れておやつを食べてるみたいだ。柴田は可笑しくなった。

 こっそりお夜食は、柘植野さんと一緒がいいのになあ。


 パイを食べ、課題が終わり、動画やゲームで時間を潰して、そろそろ寝ようかと寝袋に足を入れたとき。


「柴田さん?」

「あ、起こしちゃいました? ごめんなさい」

「一緒に寝ないの?」


 柘植野は半分夢の中で、寂しがる子どものように柴田を誘った。柴田は固まった。


「一緒に……寝るんですか?」

「うん」

「朝起きて怒りませんか」

「怒らないよ。なんで」


 柘植野は夢と現実の区別がついていない。柴田は「これは柘植野さんが悪いんだ」と思って、柘植野と同じベッドに上がった。

 柘植野は柴田の手をきゅっと握ったので、柴田は愛おしくて泣きそうになった。柘植野はそのままぐっすり眠ってしまった。


 柴田はこの幸福をずっと味わっていたかったが、目を開けていられず、すぐに眠りに落ちた。

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