第22話 甘じょっぱい生姜焼き
「元気のないときは肉! 肉ですよ〜!!」
柘植野が酔っ払って柴田の家に押しかけて、空回って心配をかけて逃げ帰った、翌日。柘植野の家の台所には、綺麗に盛り付けられた豚の生姜焼きがドン! ドン! と2皿並んでいた。
「わぁ〜……! もう元気出ました」
「食べてから言ってください!」
柴田はカラッと笑う。
「心配してくれてありがとう。飲みすぎて迷惑かけるなんて大人のやることじゃないのに余計なアドバイスまで——」
「反省会はいいから早く食べてください! 今日は1品だけです。ご飯と一緒に肉をかき込んでください!」
柴田に押し切られて、柘植野は笑った。
「いいですね。いただきます。あ、このキャベツ全部刻んでくれたの!? ごめんなさい! スライサー買っておきますね!」
「いや、おれはいつも手で刻んでるんで」
「すごいですね!?」
料理が上手とはいえない柘植野は、千切りキャベツを細く刻めるのはプロ級の料理人だという偏見を持っている。
「おれの家で食べませんか? 昨日みたいに!」
柴田が目を輝かせて提案し、柘植野は迷って口をつぐんだ。
柴田さんが一緒に食べたいなら、それを叶えてあげるべきだ。簡単なことじゃないか。
いや、昨日は距離が近すぎたと反省したばかりだ。距離感を勘違いして、また余計な心配をかけてしまいかねない。
「あ、えっと……。昨日は酔ってて距離感間違えたかなって思ってて……心配かけてしまったし……」
「そう、ですか……」
柴田は明らかにしょげた顔をした。
「ごめんなさい! また一緒に外食に行きましょうよ。柴田さんのバイト先候補に下見に行くのはどうですか?」
「行きます! 行きたいです!」
柴田は元気を取り戻して言った。
「あとで打ち合わせましょう。食後に連絡します」
「はい! 柘植野さんと一緒に食べたいなら外食、ですね」
柴田がすんなりルールを設定してくれたことに、柘植野は驚いた。一度思い込んだら主張を変えないタイプかと思っていたのだ。素直さと柔軟な心を備えた青年が、まぶしく見えた。
それから「柘植野さんと一緒に食べたい」の言葉がじわじわ嬉しく、そして恥ずかしくなってくる。
一緒に食べたいって思ってくれてるんだ。照れた顔をなんとかごまかして、柴田を見送った。
「ああ〜おいしそう……いいにおい……」
分厚い肉が重なり合って湯気を立てている。肉の山。今からこれを食べ尽くすぞ!というやる気が湧いてくる。
豚肉は素材の色を残した優しい茶色。間にのぞく玉ねぎは、見ただけでとろける食感を想像する綺麗な飴色。
肉ばかりに目を奪われてはいけない。タレがじゅわりとキャベツに染み込みつつあるのを柘植野は見逃さなかった。
おいしいものは後回し、舌慣らしに素材の味を確かめる、が柘植野の食べ方の癖だ。今日はタレでひたひたになったキャベツから箸でつかんだ。
「ん!? このキャベツ!?」
ザクザクの食感を想像していたが、細く刻まれた千切りキャベツは、しっかりハリはありながらも繊細な歯ごたえだった。
生姜焼きのタレがキャベツの爽やかな味を包み込んでハッキリと主張する。ガツンと醤油味の濃い、甘めのタレだ。
柴田の料理は甘めの味付けが多いと気づく。柴田自身の好みなのか、出身地の地域性なのか。
生姜も舌の上でびりびりと存在感を発揮する。たっぷり入れてくれたのは、スパイスで元気を出そうってことなのかなあ。そうだとしたら柴田さんは優しい、と柘植野は思う。
まだ肉を食べていないのにこんなにおいしくていいんだろうか。
分厚い肉を持ち上げると、ぽたぽたと汁が垂れるくらいにしっかりとタレが絡んでいる。大きく口を開けて、ようやく1枚を口に入れることができた。
口の中をいっぱいにしながら肉を噛む。ひと噛みごとに肉の分厚さに驚かされる。
甘じょっぱい強気なタレに、豚肉の優しい肉汁が染み出して、キャベツだけ食べたときより穏やかな味わい。それでも元気が湧いてくる味付けなのは変わらない。
「うぅ……」
柘植野は急に泣き出してしまった。
柴田さんは、家に押しかけて心配をかけた僕に、こんなに元気の出る食べ物を作ってくれた。その行動があまりに尊かった。
人間の「食べる」と「優しさ」がダイレクトにつながっていることを痛感して、食べることってこんなに美しいんだ、と柘植野は泣いた。料理を作ってくれる人がいるって、こんなに美しいんだ。
泣きながら肉と玉ねぎを食べた。涙で鼻が詰まってにおいがよく分からなくなってしまった。玉ねぎは予想通りトロトロで、口の中ですぐに溶けてなくなった。
キャベツをごっそりつかんでタレに浸して食べた。アラサーになって、ガッツリ系の食事の箸休めに千切りキャベツが欲しい気持ちが理解できるようになった。
千切りキャベツが細くて繊細な舌触りだと、余計に嬉しい。かぶりつくための肉と、軽い食感を楽しむための千切りキャベツ。
あ、ご飯の存在を忘れていた。ぴかぴかのお米にタレをちょんと付ける。ちょっとだけお行儀の悪い食べ方に思えて、背徳感でわくわくする。箸で豪快につかむと、口に入れた。
「ごちそうさまでした!」
食べ終わった柘植野は、皿を洗う前に便箋を取り出した。柴田の料理でここまで心動かされたことを、感情が
「柴田さんへ」
書き出した途端に涙がこぼれて便箋を濡らした。新しい便箋に変えてもう一度「柴田さんへ」と書く。ティッシュの箱をたぐり寄せて、柘植野は泣きながら「ファンレター」を書いた。
「柴田さんに作ってもらうばかりではだめだと思うのです。もっと協力させてください。柴田さんと、もっと『食べること』を分かち合いたい。そう、強く思うのです。僕に何ができるか、相談させてください。 柘植野」
こう「ファンレター」を締めくくり、柘植野は洗い物のため立ち上がった。
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