第21話 夢

 ここがどこかも分からないのに、必死に人を追いかけていた。その人は砕いた太陽をまぶしたように明るくて、僕は彼に手を伸ばした。


糀谷こうじや先生!」


 彼はゆっくり振り返った。彼の仕草には大人の男の落ち着きがあって、そこが好きだった。


「どうしたの、柘植野くん」

「……?」


 どうして彼を追いかけていたのか忘れてしまった。どうして彼が自分を置いていってしまったのかも分からなかった。


「……何か言うことがあるんじゃないの?」

「怖い、夢を見たんです」


 柘植野は慌てて言った。言ってから、確かに悪い夢を見た気がしてきた。


「そんなことで僕を呼び止めたの?」

「あ……ごめんなさい」

「夢は夢でしょう。それくらい自分の面倒を見られなくてどうするの」

「ごめんなさい! もうしません」

「うるせぇな。ケツ出せ。このドMが」


 優しかったのは最初の1回だけだった。でも糀谷はきらめきをまとって見えたから、柘植野は離れられなかった。

 そのうち束縛されるようになった。単位を出さないと脅された。教え子に手を出した罰を受けるべきなのは糀谷の方なのに、柘植野は大学にいられなくなると震え上がった。そう思い込まされていた。


「それでいいんだよ。いいだろ? ドMちゃん」


 右耳に初めてのピアスを開けたのは糀谷だった。ピアッサーを当てられたとき、柘植野は実際以上に怖がって見せた。そうすると糀谷は喜ぶから。でも演技がバレるとひどくされる。でも喜んでほしい……。


 場面が転換したら糀谷はいなかった。泣いて泣いて、機会音声が「涙のゲージがゼロになりました」と告げたから泣くのをやめた。

 暗いところに行きたかった。暗いところには人がたくさんいて、みんな人とつながる方法をセックス以外に知らなかった。


 自分が「ドM」ではないかもしれないと思ったのはずいぶんあとのことで、いろんな人と乱暴なセックスをしたあとだった。ベッドの上で「ビッチ」とののしられながら奥を突かれているときに、急に気持ちがめて気づいた。

 激しいプレイに耐えられる。我慢はできる。でも別に気持ちよくはない。

 そう伝えたら、周りから人が消えていった。


 そうしてまた、最初の場所に戻った。ここがどこかは分からないままだった。


 まぶしい人影が見えた。柘植野は追いかけた。


「糀谷先生!」

「どうしたの、柘植野くん」


◇◇◇


 目が覚めたら、全力で走ったあとのように汗をかいていた。悪夢を見たのだろうか。よく思い出せなかった。

 ここはどこだっけ。ああ、僕の家か。

 どこかもっと、幸せな場所にいた気がしたのに。

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