第15話 「旅の仲間」

「ねえ! しほり! お話を考えたから、聞いてよ!」

「いーよ? どんなお話?」


 幼いころの、この会話から、柘植野の人生の歯車は回り始めた。


 柘植野しほりは柘植野文渡あやとの2歳下の妹で、文渡の最初の「読者」だ。


 柘植野の父は公立図書館で働く司書である。文渡としほりは本にちなんだ名前を付けられて生まれた。


 そして、与えられるがままに貪欲どんよくに本を読んだ。

 夏休みなどは、父の勤める図書館で一日中本を読んでいることもあった。


 そして文渡は、最初の物語の糸をつかんだ。はじめはするすると、あふれる水のように糸を手繰たぐり寄せた。


 ときには少しも物語をつかめない日もあった。文渡は悔しくて泣いた。

 でもその翌日、登下校のときとか、お風呂に入っているときとか、寝る前とか、思いもよらないタイミングでまた物語を手繰たぐれるようになる。


 文渡は、最初1人で物語を温めていた。そのうちに胸がいっぱいになって、閉じ込めておけなくなった。


「ねえ! しほり! お話を考えたから、聞いてよ!」


 そうして、しほりは文渡の最初の「読者」になった。


 文渡はしほりを「最初の旅の仲間」と呼ぶ。

 2人で旅して回った物語の世界を、文渡は今も書き続けている。


翡翠玉ひすいぎょくかおり箱』


 文渡が児童文学賞を受賞し、デビュー作となった長編小説だ。


 文渡の「薫り箱」シリーズは、香りに魔法の力が宿る世界で、もがきながら生きる人々を描く東洋風ファンタジーだ。

 児童向けでありながら、骨太な設定に支えられた緻密ちみつな物語は、大人にもファンを広げている。


 それでも文渡は、大人ではなく、子どもたちに向けて書き続ける。

 かつてすり切れるほど読んだ数々の児童文学シリーズ。その作者たちからバトンを渡された気持ちで、文渡は子どもたちのために言葉をつむぐ。


 ——僕の描く世界を一緒に旅してくれるきみたちは、僕の旅の仲間だよ。


 文渡はいつもそう思っているし、旅の仲間の手が離れていかないよう、誠実に書く。書き続ける。そしてシリーズ3巻まで出版に至ったところだ。


 どれだけ賞賛を受けても、しほりが最初の仲間であることは変わらない。


 シスコンだと思われることもある。ちょっと気になっていた人に「妹と仲よすぎて無理かも」と言われたこともある。


 だが文渡にとってしほりは特別なのだ。

 文渡の人生をひらいたのは、しほりなのだから。


◇◇◇


 柴田に妹と3人で外食しようと言ったら、シスコンと思われるかもしれない。

 自分の職業を明かして、こんな事情を説明するべきだろうか?


 柘植野は首をかしげて、やめた。柴田は偏見を持って人を判断するタイプではないと思ったから。


 柴田への「ファンレター」のために買ったレターセットを取り出して、机に向かう。


「柴田さん 今日もごちそうさまでした。僕は自分がこれほど出汁だしが好きで、フキが好きだと思っていませんでした。柴田さんの煮物には、否が応でも『フキが好きだ!』と認めざるをえないおいしさがありました。さて、何やらパワフルに書き出してしまいましたが——」


 顔の見える誰かに、その人だけに届ける言葉は、また別の喜びがある。

 柘植野は笑顔で、ときどき考え込みながら、万年筆を走らせた。

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