第14話 春の献立

「できましたよ~」


 そう言われる前から、柘植野は出汁だしの香りにそわそわしていた。何やら甘い香りもする。もはや仕事どころではない。


「ありがとうございます。わ! 煮付けだ!」

「たけのこご飯もありますよ~」

「いつの間に!」


 フライパンには赤魚の煮付け。炊飯器からはおいしそうな炊き込みご飯のにおい。


 一緒に買い物したはずなのに、今夜の献立を悟らせない素早い手さばき。柴田さん、やるな。

 柘植野はどうでもいいところに感心した。


「おれの皿取ってきますね」

「あ、うちの皿使っていいですよ。セットであるから」

「そうですか? じゃあお言葉に甘えて。あ、お手洗い借りていいですか?」

「もちろん」


 その間に柘植野は、ほかほかの炊飯器からたけのこご飯をよそった。


 柴田さんはどれくらい食べるだろうか。無難に自分より少し多めによそう。

 それにしてもまたたくさん炊いたものだな。余りは冷凍するつもりなのかな?


「お借りしました~。柘植野さんって、付き合ってる人いるんですか?」

「え??」

「歯ブラシセットが置いてあったし、お皿も2つずつあるし……もしかしておれってお邪魔ですか?」

「いやいやいや!! いないよ!! 全然いない!! 歯ブラシは……」


 浅井が置いていった歯ブラシセットなのだが、まさか「セフレの」と言うわけにもいかない。


「えーっと、前付き合ってた人のを捨てそびれてただけですよ。お皿は人を呼ぶかと思って2組揃えたんです」

「ならよかった。せっかく契約したのにお邪魔だったら、どうしようかと思いました」


 柴田は安心した顔でふにゃっと笑った。


 あ、柴田さんってこんな笑い方もするんだ。

 柘植野は、また「かわいいな」の気持ちが芽生えそうになるのを、歯を食いしばって押し殺す。


「不健全なものを見せて申し訳ないです……」

「付き合ってた人の歯ブラシって不健全なんですか?」

「ウッ……そ、それは人によるかな……? 今すぐ捨てますね」


 柘植野は墓穴を掘ったが、柴田は何も気づかない。綺麗きれいに煮物と煮魚をよそって303号室に帰っていった。


「いただきます!」


 柘植野は、隣室に聞こえるくらいにパンと手を合わせた。一緒に食べられなくても、柴田に「いただきます」の感謝を伝えたいから。


 重要書類をしまう金庫を買おうかな。そうしたら、柴田さんと一緒に家で食べられるのでは……。


 柘植野は、部屋を見回してため息をついた。

 極秘資料やメモ、インスピレーションのコラージュ、参考文献のコピー、などあれやこれやが床に散乱し、壁も埋め尽くしている。

 柴田を部屋に招くのは無理そうだ。


 さて、と気を取り直して、柘植野は料理に向き合った。


「フキだぁ~!」


 箸でつまんで思わず感動の声を上げた。柘植野はこんなにもフキが好きなのに、調理が面倒で何年も食べていなかったのだ。


 フキの透けるような薄緑が春を予感させる。自然に心が浮き立つ。

 期待いっぱいに歯を立てた。


「う、おいしい~~……」


 出汁だしとフキのうまみが口の中ににじんでくる。

 出汁は柘植野の実家とは味が違うようだ。かつお節と煮干しが強いのだろうか?

 深みと力強さのある新しい味付けに、舌が喜ぶ。こういう予想外なら大歓迎だ。


 出汁が変わるだけでフキの煮物がこんなに変わるとは。

 そして出汁が変わってもがっしり受け止めて不動のおいしさのフキ、そのふところの深さよ。


 柘植野は目を閉じてフキの食感を堪能した。

 シャクシャクと繊維質な部分がありながら、弾力のある果肉のような部分もあって不思議な食べ物だ。唯一無二だな、と思う。


 次に焼き豆腐をつまんだ。大きめにちぎって煮こまれている。

 柴田さんは包丁を使うのが面倒だったのかな? などと考えていた柘植野は、口に入れた瞬間にすべてを理解した。

 めちゃくちゃ味が染みている!!


 出汁の味が大好きな柘植野は、泣き出しそうなほど嬉しかった。こんなに味が染みた焼き豆腐があるなんて!!


 豆腐のつるつるした舌触りと溶け合うように、煮汁の味が舌を滑る。

 豆腐の焼かれた面の香ばしさが、端正な味付けを引き立てるアクセントになっている……!!


 柘植野は今すぐ隣室のシェフと握手しようかと思ったが、まだファンレターを書いていないのでやめた。


 次に金目鯛の煮付けに箸を入れる。赤い皮はテリの素晴らしい煮汁をまとって、視覚からダイレクトに食欲を刺してくる。

 ひとつまみを口に運ぶ前に甘じょっぱいにおいが鼻に届く。唾液が湧いてくるにおい。

 おいしそうすぎて、ずるすぎる。たまらずぱくりと口に入れる。


「あ~~、おいしい……」


 結構しょっぱめな味付けだと思うのだが、甘さが蜜のように包み込んで柘植野を魅了する。

 金目鯛の身はホクホクに仕上がっていて、やわらかい身にタレが染み込んでいる。

 素朴な味の魚の身が、タレと合わさって心躍る甘さに変わる。


 口が甘くなってきたところで、たけのこご飯に箸を伸ばす。

 まずは具のないところから。ご飯は薄い茶色に染まっていて、どんな味だろうと好奇心がそそられる。


「う~~ん。これはおいしい」


 醤油味をかすかに感じる、やさしい味のご飯。炊き込みご飯はこうでなくては。

 柘植野は満足して、ひと口を飲み込む前に思わず2口目を箸で掴む。今度はたけのこを食べたい。


 たけのこも、醤油味はしっかり感じられるがたけのこの素材の味を殺さない味付けだ。

 ザクザクとした食感を味わっていると春を感じる。


 柘植野は3品を食べ進め、最後にはご飯を勢いよくかきこみ、ごちそうさまをした。


 食器を洗ったらファンレターを書かなければ。今日も書くことがたくさんあるな。


 柴田への手紙を「ファンレター」と呼ぶことにした。柴田の心は、「ファン」という言葉に満たされるような気がしたから。

 どこか空虚な隣人の心のほんの一部を、ささやかな交流で満たしてあげたいと思う。


 同時に予防線でもある。自分は「ファン」に過ぎなくて、「推し」とは相入れない存在である。

 いつか「推し」に恋してしまったときに、自分はただの「ファン」なのだと思い出すための、「ファンレター」。


 そんなことは、柴田には言わないけれど。


 食べるのに夢中で気づかなかったが、妹から連絡が来ていた。


『お隣さんにご飯作ってもらうって本気!?契約もしちゃったの!?』

『絶対怪しい人だよ!』

『心配だから紹介して!』


 過保護だよ、と返信しようとして、やめた。


 自分が過去に何度もしほりさんを心配させてきたから。何度もどん底まで沈んだ姿を見せてきたから。

 まだ完全に立ち直った姿を見せられていないから——柘植野は癖で右耳のしこりを触った——唯一のきょうだいとして心配してくれてるんだ。


 それに、しほりさんは僕の、最初の「旅の仲間」だから。恩人にこれ以上心配はかけたくない。


 それにしても「紹介して」かぁ……。今度は3人で外食だな。

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