第9話 金色の衣のムニエル

 ポタージュに銀色のスプーンをひたす。ミルクの色が混ざった優しい緑のポタージュをすくい取る。

 やわらかいにおいがして、柘植野は一瞬、実家のダイニングに戻ったように感じた。


 これはきっとブロッコリーのくきのポタージュだ。柘植野の母も、小房こぶさを取って余った茎はポタージュにしてくれた。


 スプーンから口に注ぐ。あたたかいポタージュは、ミルクとブロッコリーの甘みが優しいまろやかな味だった。

 舌ざわりがなめらかで、もったりとしすぎることもない。


 柘植野は急に、幼い頃に家族でファミレスに行くと必ずかぼちゃスープを頼んだのを思い出した。

 あのかぼちゃスープが好きだった頃から、するすると喉を通るポタージュが好きかもしれない。


「うぅ~……。料理が上手すぎるだろ~!!」


 柴田にこれ以上踏み込みたくないのに、胃袋をしっかりつかまれてしまった自分が情けない。しかし本当においしいのだ。


 次にタラのムニエルを箸で切り分ける。柘植野が知っているムニエルと違って、タラの切り身がパン粉をかぶっている。


 昨日のグラタンもパン粉たっぷりだったな。


 ——パン粉を盛り盛りにしたのも、パンを余らせちゃったからで。


 サラッと聞き流した先ほどのセリフを思い出した。

 このパン粉、ボソボソになった食パンから柴田さんが自分で作ったのかな!? すごいなあ……。料理に前のめりだ。


 柴田さんは長いこと家庭の食卓を切り盛りしていたんだな、と柘植野は深く納得した。

 ブロッコリーの茎もボソボソの食パンも無駄にしない献立で、柴田家の食卓を守ってきたんだ。


 今は誰が柴田家のご飯担当なんだろう……? 柘植野はつい考え込んでしまった。


 次にタラの身を箸でほっくりとほぐす。

 パン粉は今日も綺麗きれいな金の焼き色がついている。そこに今回はハーブの緑色が混ざって華やかで、とてもお洒落しゃれ。雑然としたワンルームで食べられるメニューとは思えない。

 バターの芳醇ほうじゅんな香りがして、たまらず口に入れる。


「お、おいしい~~……。なんだこれ……」


 パン粉をサクリと噛むと、タラのさらりとしたあぶらがしみ出して口に広がる。

 タラの身はホクホクとしながらも弾力は失っていない。白身魚らしい歯ごたえが楽しい。


 香りがまた素晴らしいのだ。バターがしっかり香ると贅沢ぜいたくな気分になる。


 そしてパン粉に混ぜ込まれたハーブがフレッシュで心をくすぐる。

 なんというハーブだろう? 柘植野はハーブを言い当てられるほどグルメではないが、数種類が混ざっている気がした。


「柴田さん……やるな」


 あまり料理をしない柘植野は、ハーブを数種類も揃えているのは大層な料理好きだという偏見を持っている。


 ムニエルの下味はしっかりめ。塩コショウの効いた味付けでご飯が進む。

 その間に優しい味のポタージュを口に入れる。

 幸福なご飯だな、と柘植野は気づかないうちに笑顔になっていた。


 柴田さんと2人で食べたら、きっともっと楽しかった。

 そうしてもよかったのかな? もう少しだけ柴田さんの領域に踏み込んでもいいのだろうか?


 柘植野は迷って、長いまつ毛を伏せた。右の耳たぶのしこりに触れる。

 ピアスホールがふさがるとき、耳たぶにしこりが残ることがある。残らない場合もある。

 心の傷も、時間が癒してくれることがあるし、癒えない傷として残ることもある。


 ——僕は、しゃんとした大人でいられるだろうか?


 柴田さんは僕の分の夕食を作ってくれた。

 柴田さんは、乾いた植物が水を求めるように、僕の感想を必要としているから。


 ——家族だと、ここまで褒めてもらえることないじゃないですか。


 こう言ったときの柴田の声音こわね。かすかにこわばる表情。一瞬顔をのぞかせた複雑な感情。


 そのとき柘植野は察してしまった。柴田さんの家族は、柴田さんの料理に褒め言葉をかけなかったんだって。

 だからこのひとは、こんなに感想を喜んでくれるんだって。


 でも、感想を言い続けられるだろうか。ニュートラルな関係でいられるだろうか。

 万が一僕たちのどちらかに好意が芽生えたとき、僕は年長者として受け身を取れるだろうか。


 若者に「よき導き手」として接しようとして、ぐしゃぐしゃの糸のように人間関係が絡まって、切れてしまった縁をいくつか思い出す。

 僕はそうやって、何度も失敗している。


 いつか僕と柴田さんの関係もゆがんでしまって、突き放すときがくるんじゃないだろうか。

 そのとき柴田さんは、あのときの僕みたいに傷ついて、こんなふうに10年も引きずるんじゃないだろうか。


 僕は、あのひとと同じことを、若い人に対して、何度も、何度も、繰り返してしまうんじゃないだろうか。


 あのひとと同じには、なりたくないのに。


 柘植野は耳たぶのしこりを強く、ぐり、と押し込んだ。気が立っているときの癖だ。


 それから、考え込んでいたのに気がついて、皿を洗った。

 冷たい水道水が柘植野のピリついた心を穏やかに洗ってゆく。

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