第7話 柴田の料理事情

 柴田がおすそ分けに突撃してきた翌日の夕方。


 柘植野はパソコンのモニタをにらんでうなっていた。そして柴田が帰ってきた音を聞きつけ、立ち上がった。

 洗って乾かしたグラタン皿と封筒を持って、柘植野は隣室のドアベルを鳴らす。すぐに柴田が扉を開けた。


「こんばんは。お皿を返しにきました」

「ありがとうございます。あっ、洗ってくれたんですね!」


 柴田は皿を両手で受け取って台所に置き、嬉しそうな声で言った。


「え? それはまあ……。あと、少しばかりですが材料費も……」

「えっ! いやいや……」


 柴田は柘植野に渡された封筒をのぞき込んで目を丸くした。


「千円もかかってないですよ!」

「まあまあ。受け取ってくださいよ」

「これはなんですか? えっ、お手紙!?」


 柴田が封筒から一筆箋いっぴつせんを引っ張り出した。

 柘植野は恥ずかしくなった。手紙を目の前で読まれるシチュエーションは結構恥ずかしい。


 柘植野はすぐに逃げ出したいが、柴田の素性が気になるのでもう少し話したかった。


「グラタンが本当においしかったので、少しのお礼をと思っただけで……。もしかして調理師学校の学生さんですか?」


 柘植野が話を振ると、柴田は手紙から目を離した。柴田の注意が手紙かられ、柘植野はほっとした。


「いやいや、おれは大学生です! そんな、プロを目指すほどじゃ……」


 柴田は、逃げるように柘植野から視線をらした。ニカっと明るく笑っていた口がへの字に下がりかける。

 柘植野は、柴田に聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと察した。


「ああ、大学生なんですね」


 柘植野は急いで、何でもないような返事をした。


「いや、でも『調理師学校の生徒ですか』なんて言ってもらえるのはすごく嬉しいです。こんなにおいしいって言ってもらえて、お手紙まで……」


 柴田は封筒を大事に両手で包み込む。その様子を見て、柘植野は一筆いっぴつを添えてよかったと思った。


「おれの家、親が激務で、ずっとおれが料理担当だったんです。妹と弟がいて、一番年上だから。やっぱ家族だと、ここまで褒めてもらえることないじゃないですか」

「へえ。ずっと食卓を支えてたんだ。すごいですね」

「えへへ……。ありがとうございます」


 柘植野に言われて、柴田はでれでれと頬をゆるめた。反応がいちいち素直だ。


「だから5人分で作るのに慣れてて、作りすぎちゃうんですよ。パン粉を盛り盛りにしたのも、パンを余らせちゃったからで。グラタン皿も1人用のつもりで買ったら大きすぎたし……」


 柴田は恥ずかしそうに頭をかきながら話す。照れた顔でうつむいて、それからチラッと柘植野を見た。


「あの!! またおすそ分けに行ってもいいですか?」

「えっ」

「たぶんまた作りすぎるし……。ていうか、お手紙もらえたのがめちゃくちゃ嬉しくて!! いや、あの、ご迷惑だったらアレなんですけど……」


 柴田の言葉は尻すぼみになって消えた。大柄な身体を恥ずかしそうに縮めている。柴田はイタズラがバレた犬みたいに、柘植野から目をらす。

 柘植野は、青年の健気さに心を動かされた。


「また作りすぎたら、いらしてください。柴田さんの料理を食べられるなんて、とんだラッキーです」


 にっこり笑って柘植野は言った。若者が勇気を出して提案してくれたら、受け止めるのが年長者のつとめだと思うから。


「ほんとですか! 今日は何がいいですか?」

「いや、わざわざ作りすぎなくても」

「こんなに褒めてもらっちゃったから、作りすぎたいですっ!」


 柘植野がくすくす笑うと、柴田は目を輝かせた。柴田さんは目の表情がわかりやすくて、素直な人だな、と柘植野は思う。


 柘植野は急に、祖父母の飼っていた「マリ」というゴールデンレトリバーを思い出した。

 マリは表情が豊かな犬だった。イタズラが見つかる前から表情でバレてしまうから、みんなで笑った。嬉しいときは人間の笑顔みたいに口を開けて目を細めた。

 懐かしい思い出に、つい柴田を重ねてしまう。


 柘植野と柴田は連絡先を交換し、柘植野が柴田のおすそ分けを待たずに夕飯を済ませたときは知らせることにした。

 毎日夕飯の連絡をするなんて恋人みたいで、柘植野はくすぐったく思った。だがお互いの都合を合わせるためには仕方がない。


「柘植野さんは在宅のお仕事なんですか?」


 柴田が軽い口調で訊ねる。柘植野はドキッとした。


「そうなんです。フリーランスで」

「へえ~! かっこいいですね!」


 柴田はそれ以上詳しく聞かなかったので、柘植野は心の中でほっと息をついた。


「じゃあ、また」

「はい! おやすみなさい。お手紙ありがとうございました!!」

「いえいえ。おやすみなさい」


 玄関前で話し込んでいた2人は、それぞれの部屋に戻った。


「……感想が欲しいんだな」


 柘植野はぽつりとつぶやいた。頭に引っかかっていたのだ。


 ——家族だと、ここまで褒めてもらえることないじゃないですか。


 柴田家では、そうなんだ。


 柘植野の実家では、母が料理を担当している。確かに、母の手料理をベタ褒めして手紙を書くなんてことは一度もなかった。

 母も柴田と同じ気持ちなのだろうかと思って、柘植野は反省した。


 しかし、あんなにおいしいグラタンが柴田家の食卓に並んだとき、「おいしい」のひと言もなかったとしたら……?


 ——あっ、洗ってくれたんですね!


 柴田の嬉しそうな声の響きを思い出して、柘植野は眉を寄せた。

 皿を洗って返すのは当たり前なのに、柴田はそのまま突き返されると思っていたような口ぶりだった。


 柴田さんには妹と弟がいるというけれど、まさか、チーズのこびりついた皿を代わりに洗う人もいなかったとしたら……?


 柘植野は、手紙を大切に両手で抱えた柴田の仕草を思い出していた。

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