第2話

 一週間後、インターフォンが鳴り、来訪者の映る画面を見ると、この前エレベーターで鉢合わせした親子が映っていた。

「ほら、やっぱりあの人たちだ」

 妻に言うと一瞬何かを思い出すように黒目を斜め上に向けていたが、すぐに合点したらしく、何度か頷いていた。

 ドアを開けると父母は満面の笑みを浮かべていた。どことなく見たことがあるような気がした。エレベーターの踊り場で鉢合わせしたときのことを思い出した。

 父母の間には、娘が挟まれていた。娘は両手をそれぞれ父母としっかり繋いでいた。父母は神崎に向けて柔和な笑みを浮かべている。目じりは細まっており黒目が見えない。優しそうな笑顔なのだが、理由のわからない不安が父母の笑顔から与えられる。娘はエレベーターの前で遭遇したときと同じく、口元を固く結んでおり、神崎を睨むように見上げている。

 父親と思われる男は、神崎の顔を見て、初めて目を見開いた。黒目が小さく、驚いた表情をしているにもかかわらず、威圧されているような気分になった。

「あ、この前エレベーターでお会いしましたよね?」

 父親は自己紹介より先にエレベーターで会ったことを言った。口調も柔らかみがあり、声色も穏やかで嫌味がない。

「あ、すみません。まず自己紹介ですよね。隣に引っ越してきた筒本と申します」

「あ、神崎です。初めまして」

 筒本の妻は片手に携えていた紙袋を突き出すように神崎に渡した。

「幼い娘と息子がいて騒がしくなると思いますが、大目に見ていただけると幸いです」

 筒本は大げさと言えるほど仰々しく頭を下げた。

「そんな。僕のとこにもまだ小さい息子がおりますのでうるさいと思います。まあ子どもなんてそういうものですから、ここはお互い様ってことで……」

「そういえばこの前息子さんとご一緒でしたよね?」

 ええ、と神崎は答えたあと、筒本の瞳の多くに鈍い光が差し込んだ気がした。

「一歳の長男がおりまして。もう最近外に遊びに行きたくてしょうがないみたいで。こどもの体力は無限ですから大変ですよ」

「うちにも同い年の息子がいるんですよ!」

 筒本は今までの倍以上はある声量で言った。

「フウタって言うんですけどね。神崎さんのおっしゃる通りもうとにかく遊ぶのが好きで……。引っ越す前はド田舎に住んでたんで、よく川に泳ぎにいったり、公園で日が暮れるまで遊んでましたよ」

 筒本の妻は両手で頬を引き上げられているかのような笑みを浮かんでいる。唇が真ん中から裂けそうだった。

「息子さん……、フウタくんはおうちですか?」

「そうなんです昼寝してしまって。このまま起こすと機嫌が悪くてかないませんからね。ちょっとだけですから、家で寝させています」

 そうなんですね、と神崎は言った。確かにあいさつ回りは三十分もかからないだろう。それにわざわざ起こして泣き止まない状態にするよりかは部屋で寝かせておいた方が良い。翔の寝起きが悪いときも耳元で大泣きされ、しばらく頭痛が止まないことを思い出すと、筒本家も同じような大変さを経験しているのだろう。

「じゃあ、すみません」

 筒本が次のところに挨拶に行きたがるそぶりを見せると、背筋の硬直がいくぶんか和らいだような気がした。

「また息子と遊んでやってください」

「もちろん」

 筒本家が左隣に向かうまでドアをゆっくりと閉めていった。娘は最後まで神崎を睨みつけており、和らいだ背筋がまた硬直した。

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