隣の家族
佐々井 サイジ
第1話
神崎は玄関のドアを開けると、マンションの通路に青いボードが引かれていた。右隣のドアが開きっぱなしになっている。長らく空室だった隣もついに誰か引っ越してくるようだった。
「引っ越し?」
妻の美沙が玄関から覗き込んだ。
「そうみたい。近々挨拶に来るかもしれないな」
一歳の息子、翔はここ最近泣き声が激しく、左隣に住む竹岡と顔を合わせるたびに頭を下げていた。竹岡は笑顔で対応してくれるのだが、泣き声自体は聞こえているようだった。右隣も人が住むとなると、両サイドの気を遣わなくてはならない。せめて引っ越してくる人が優しく理解のある人であればよいのだが……。
そう思っている間にも翔は神崎の手を引いて催促してくる。休日は午前六時に起きてご飯を食べた後は、まだ八時にもなっていないのに公園に行きたがる。神崎としてはもう少し眠っていたいが、そうなると翔が部屋が揺れるのではと思うほど大泣きするので、何度もあくびを放ちながら翔の要求に応えるのが週末の日課だった。
「じゃあ、ごめんだけど、よろしくね」
神崎が翔を連れて公園に行く間、妻は家の掃除と昼食、余裕があれば夕食を作ってくれる。翔が家にいてはとても家事などできない。もともとは翔を公園に連れていく係と家事係を妻と交代にしていたが、この頃、妻の腰の具合が悪いらしく、負担のかかる外遊びは神崎専門になってきている。神崎が仕事に行っている間、翔は妻に甘えっぱなしらしく、やたら抱っこを求めてくるらしい。それが響いて腰痛を患ってしまった。
とはいえ、「甘やかすな」とはとても言えない。一人で翔の世話をするのがどれだけ大変かが身に染みてわかっているからだ。
翔はエレベーターのボタンを指差して神崎との間をしきりに目線で往復し始めた。神崎は抱っこしてボタンを押させた。一週間ごとに翔の体重が増えているような気がする。ほほえましいが、たしかに腰に響く。妻の腰が悪くなったのも当然だった。
ドアが開くと、三人家族と思われる一家が出てきた。この階に住む人たちではなかった。
子の両親と思われる男女は神崎と目が合うと小さく会釈し、青いボードの敷いてある通路を歩いて行った。途中、両親に手を繋がれていた娘がずっと神崎を見続けていた。
「もしかして、隣の人かな」
振り返りながら考えていると、翔が手を離して一人でエレベーターに乗った。その瞬間にドアが閉まりそうになったので、神崎は身体を窄めて閉まるドアを潜り抜けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます