第31話 今日は特別な日だからね

 店にはパステルカラーのふわふわしたような服が並んでいて、女子の空間に俺はひどく落ち着かなかった。

「俺は適当に他の店見てるから、用事が済んだら連絡して……」

 回れ右しようとする俺の腕を波瑠は掴んだ。

「ダメだよ。だって今日はスマホ持ってきてないもん」

「え、忘れてきたのか?」

「忘れてきたっていうか、必要ないから置いてきたの。だからほら、一緒についてきて」

 そう言われて仕方なく波瑠の後に続く。店の奥まで進んでいくと、波瑠はあるマネキンの前で足を止めた。


「一生に一度は着てみたいって思ってたの」

 パステルブルーのワンピース。袖口やスカートには同系色のフリルが重ねられている。街を歩くには装飾が派手で、言ってしまえばコスプレみたいな。でも波瑠が着たらきっと似合うんだろう。

「ちょっと試着してくるね」

 そう言うと店員を呼び、試着室に入っていった。


 カーテンで仕切られたブースから衣擦れの音が聞こえる。この仕切り一枚隔てた向こうで波瑠が着替えてるんだと思うと、ここにいることが悪いような気がしてきた。

「波瑠、やっぱり俺は店の外で待ってるから、用事が済んだら……」

「待って!」

 そう言って勢いよくカーテンが開かれる。

「もう、着替えたから……」

 恥ずかしそうにスカートの裾を掴む。ワンピースの淡い色合いが色素の薄い波瑠の肌と相まって、可憐で儚い印象を際立てていた。

「ちょっと可愛すぎた、かな?」

 そう言って不安そうに俺を見上げた。

「……いいんじゃないか」

 こういう時に素直に「可愛い」なんて言える人間じゃない。

「えへへ……よかった」

 それでも、波瑠は嬉しそうに笑った。

 

 波瑠は「このまま着ていく」と言って、元々着てきた服とバッグを手にした。ブーツを履こうと屈んだ時に、空いた首元に光るネックレスに目が留まった。

「そのネックレス……」

「あ、気が付いた?」

 猫をモチーフにしたシルバーネックレス。初めてのデートの時に波瑠が買ったものだ。でも、二回目のデートの時に公園で失くして大変だった。半泣きで「もう着けないでしまっておく」なんて言ってたのに。

「今日は特別な日だからね」

 そう言って、猫を指先で揺らした。


 波瑠が財布からお金を取り出していると、レジの店員は波瑠が手にした元の服に目を向けた。

「お客様が着てこられた服は袋に入れてご用意しますね」

「いえ、処分していただけませんか」

 そう言って服を差し出す。思わず口を挟んだ。

「おい、いいのかよ」

「うん。私にはもう必要ないから」

 どうしてだろう。また寂しそうな気配を感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る