第20話 手土産
東京は連日のように真夏日を記録し、外ではセミがうるさく鳴いている。
俺はスマホを握りしめて、もう二時間以上が経とうとしていた。波瑠に次会う予定を話そうと思ったものの、電話を掛ける勇気が出なくて数日が経過した。今日こそは必ず電話を掛けると決めたのに、「発信」のボタンが押せない。
ああ、もう……いっそ誰かが押してくれればいいのに。
その時、玄関の扉が開く音がして、驚いた勢いでスマホをぶん投げた。
「おい、今すごい音したけど大丈夫か?」
怪訝そうな顔で部屋に入ってきた圭は言った。
「突然家に来るな。いつも言ってるだろ」
「まあ今さらじゃないか」
圭は台所のごみ箱を一瞥した。
「お前またカップラーメンばっかり食ってるだろ。ある程度の金は渡してるんだから、寿司とかピザとか出前でもなんでも頼めよ」
「いいだろ、別に」
仕事で依頼人からもらう報酬から、圭の仲介料を天引きした分が俺の取り分になる。8割、9割差し引かれたって、生活には十分困らない金が手に入った。食事はまとめ買いできるカップラーメンが便利だし、服は破れたらまた同じものを買えばいい。特別に金を使うあてもなく、持て余す一方だった。前に「こんなに必要ない」と圭に言ったら、「それくらいはもらっておけ」と断られた。
「はいはい、茜君は偏食でしたね……ほら、お土産だぞ」
そう言って両手に持った大きな紙袋を机に置いた。
「また本かよ」
「仕事で貰うんだよ」
「新品なんだからどっかで売ればいいだろ」
「こんな大量の本、売るのも捨てるのも面倒なんだよ。だけど放置してたら事務所が本で埋まっちまうからな」
「代わりに俺の家を埋める気か」
「もう一つの紙袋の中身は本じゃないぞ」
「おい、俺の話を聞け」
圭が紙袋から取り出したのは、でかいスイカだった。
「これも貰い物でな。どうだ、なかなか立派だろ?」
そう言って自慢げにスイカを撫でた。
「まさかそれも丸々ひと玉置いていくつもりじゃないだろうな?」
邪魔なものは何でもうちに置き逃げする圭のことだから、十分やりかねない。
「そんな言い方はないじゃないか。まともな食生活をしていない茜の健康状態を考えて……」
「体よく押し付けようとするな。こんなでかいスイカ、いつまで食べ続けることになるか」
「……チッ、仕方ない。半分俺が食うから、お前も半分引き受けろ」
圭はスイカを手にして、ほとんど使っていない台所へ立った。贈答用の良いやつだろうに、ノルマ扱いされるなんて不本意だろうよ。
圭は俺の方を振り向いた。
「せっかくだし、スイカ割りでもするか?」
「誰がするか」
圭が切り分けた不揃いなスイカを齧る。スイカを食べるのも、圭と一緒に食事をとるのもかなり久しぶりだった。
「最近調子はどうだ?」
「別に。いつも通り」
「前回の仕事の後、待ち合わせ場所に来なかったな」
その言葉でスイカを持つ手が止まった。
前回の仕事、それは波瑠と途中で逃げ出した時のことだ。波瑠とのことで頭がいっぱいで、圭から何も連絡がこないことに違和感を抱いていなかった。
仕事を途中で投げ出したのは初めてだ。仕事に対して厳しい圭からどんなことを言われるか。想像しただけで体がすくむ。
「それは……」
「別に責めている訳じゃない。後日、依頼者から追加の入金と依頼者情報詐称についての謝罪があった。仕事の信用に支障がないのなら、俺から言うことはない」
圭は俺に目もくれず、スイカを齧った。
「ただな、一言くらい連絡入れろ。心配するだろ」
心配とか……そんな普通の感情、普通じゃない俺達の関係にある訳ないだろ。
「ああ、食った食った」
そう言って圭はティッシュで指と口元を拭う。
「残りは適当に食べてくれ。ああそうだ、これ……」
本の入っている紙袋から、茶封筒を取り出した。既に封が切られている。
「何だよ、それ」
「俺はもう必要ないから茜にやるよ。佐伯波瑠の身辺調査結果」
「……は?」
思いもよらない単語に頭が真っ白になった。
「茜が仕事以外で他人と関わることなんて今までなかったからな。探偵を雇ってちょっと調べさせてもらったけど、なかなか興味深い経歴を持ってるんだな。今は……」
「やめろ!」
腹の底から声が出た。波瑠のことを波瑠以外の人間から知るなんて我慢できなかった。
圭はその封筒を俺の目の前に落として、立ち上がった。
「ソレは見るなり処分するなり好きにしてくれ。また次の仕事の時に迎えに来る」
それだけ言い残して圭は去っていった。
『もしもし、茜君?』
『最近変な男が声をかけてくることはなかったか!?』
『え、変な男……? 特になかったけど、どういう事?』
『いや、何もないならいいんだ。忘れてくれ』
圭は波瑠に直接接触してはいないみたいだ。ひとまず安心した。
『それにしても、茜君から電話くれるなんて嬉しいなぁ』
そう言われて、ぐっと言葉に詰まる。圭の言動から慌てて波瑠に電話したはいいけど、その先の心の準備はまだできていなかった。
『茜君?』
『何でもない……その、次のことなんだけど……いつ会える?』
どうしてこう、さらっと言えないんだ。
『うん。それじゃあ、明々後日はどうかな』
次の待ち合わせを決め、少しだけ話して電話を切った。ドサッとベッドに倒れこむと、謎の達成感があった。
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