第18話 嘘ついちゃった
ハルは河川敷で足を止めた。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
苦しそうに地面にしゃがみ込んで荒い息を吐く。
「大丈夫、か……?」
声をかけると、ハルは俺の方を見上げて申し訳なさそうに笑った。
「困ってるみたいだったから、引っ張ってきちゃった。迷惑だったかな?」
「いや……助かった。ありがとう」
「そっか。よかったぁ」
そう言ってハルは安心したように笑った。
ハルの顔を見て、走ったからではない鼓動の高まりを感じた。せっかくまた会えたんだ。今度は正直に伝えないと。
「ハル、前に『嘘つき』なんて言ってごめん」
「いいよ。私もちょっと言葉が足りなかったと思うから」
ハルはそう言うと、立ち上がって俺の両手を握った。
「ねえ、レイ君。私の本当の名前は」
「いいよ、それはもう……」
「私が聞いてほしいの。私の本当の名前は
「本当にハルだったんだ……」
それなら俺が本名を聞いたあの時、波瑠は嘘をついていなかったんだ。
「うん。レイ君に本当の名前で呼んでほしくて、嘘ついちゃった」
そう言って照れたように笑う。
「俺はレイじゃなくて茜。
「茜君かぁ。素敵な名前だね」
「俺は自分の名前が嫌いだけど」
「どうして?」
「話すと長くなるんだけど、聞いてくれるか?」
本当のことを話したら嫌われるかもしれない。気持ち悪いって思われるかもしれない。でも波瑠とここから先へ進んでいきたかった。
波瑠はふふっと笑った。
「もちろん。夏の夜はまだ長いよ」
俺達は河川敷に腰掛けた。穏やかに流れる川には月がゆらゆらと滲んでいる。
「夕暮れ時の空を茜色の空って言うだろ。そんな空を見ると、もうすぐ仕事の時間ってことを思い出すから嫌いなんだ」
「仕事って?」
「俺は昔から他人のこれから起こる不幸を夢に見るんだ。離婚して片親だったから、母親が死んで身寄りが無くなった時、俺を引き取ったのが今の雇い主。誰かの不幸が知りたい金持ちに依頼されて、他人の不幸を売って稼いでいるんだ。そんなんだからもう何年も学校なんて行ってない」
波瑠は何も言わずに俺の話を聞いていた。
「不倫がバレる夢とか、事故に遭う夢とか、いろんな夢を見てきた。夢に出てくるのは眠る直前に強く印象に残った人物。仕事の夜は依頼人から見知らぬ他人の悪口を浴びるほど聞いて、そのまま眠りについた」
仕事がある日はそれでよかった。不幸を見るべき相手がいるから。
「でも仕事じゃない日も、眠ると誰かの不幸を見てしまう。それが嫌で嫌で、さんざんいろんなことを試してきたんだ」
まずは寝ないことを試みた。でも夜十時になると気絶するように眠ってしまうせいで、すぐに断念した。
次に自分のことを考えて眠ることにした。自分の不幸なら見てもどうってことはない。だけどそれは見られないらしく、過去に面識のある誰かがランダムに出てきて毎朝吐きそうになった。
歴史上の人物もダメ。人間以外の動物もダメ。俺を縛る呪いはどうしても他人の不幸を見せたいらしい。
「それでようやく、死んだ母親の夢を見れば誰にも迷惑をかけずに済むって分かったんだ。近い人間なら死人でも許してもらえるらしい。それに死ぬとき以上の不幸が更新されることもない。その方法を見つけてから、少しはマシに生きられるようになったよ。ああ、波瑠のことは一度も夢に見ていないからそこは安心してくれ」
もし波瑠の不幸を見てしまったら。面識があるだけの人間の不幸でさえも苦しいのに、そんなのはもう想像もできない。
「親戚も仕事を依頼してくる金持ちも、俺のことは疫病神みたいに扱ってた。まあそれはそうだよな。俺と関わると不幸になるんだから」
「その話、ちょっと変だよ」
「え?」
「だって、茜君の夢は予知夢ってことでしょ? 別に不幸を呼び寄せてるわけじゃないじゃん」
気持ち悪い、関わりたくない……今まで浴びせられてきた罵倒の言葉が頭に浮かぶ。俺のせいでその人が不幸になる訳じゃない。いつから混同していたんだろう。
「そう、かな」
「そうだよ。他人を傷つけたりとか、もちろんやっちゃいけないことはあるけど、それ以外のちょっとした罪悪感とか甘えは自分を許してあげないと息が詰まっちゃうよ。ハッピーに生きるコツ」
ハッピーに生きるコツ、か……俺も幸せになろうとしていいって認められたみたいだ。
「ありがとう。少し楽になった気がする」
「それならよかった。ちなみに私も学校はしばらく行ってないんだ。茜君と事情は全然違うけどね。でも、そっかぁ……」
そう言うと、波瑠は突然俺の身体を優しく抱きしめた。
「え……?」
「今までずっと辛い思いをしてきたんだね。もっと早く言ってあげられたらよかったのにな」
その言葉に、伝わる温もりに、初めて心が満たされるのを感じた。
ああ……俺はずっとこうしてほしかったのか。
目頭が熱くなって、上を見上げる。繁華街から離れたこの場所では星が良く見えた。星に引力があるように、なんの接点もなかった俺達が出会えたのは何か見えない力で引きつけられているのだろうか。
波瑠は俺からゆっくり体を離した。
「なあ、波瑠は運命ってあると思うか?」
俺の言葉に波瑠は笑った。
「急だね? じゃあ私の返事を聞く前に、茜君の考えを聞かせてもらおうかな」
「俺は運命があると思う。いい事も、悪いことも、そうなるように初めから決まっている。そうじゃなかったら、世の中、偶然で済ませるには出来過ぎていることが多い」
俺の悪夢を見る体質が何か外的な要因によって生まれたものだったら、たまったもんじゃない。運命によって生まれる前から決まっていたとか、そんなんじゃないと耐えられる気がしなかった。
それに俺と波瑠があの日、あの場所で出会えたことだって出来すぎている。運命の相手だなんて夢見がちなことを言うつもりはないけど、決められた出会いのおかげで今があるんだと思う。
「ふぅん、なるほどね。いいと思う」
「それで、波瑠は?」
「ふふっ、まだ内緒」
そう言って波瑠はいたずらっ子のような表情で口元に人差し指を当てた。そんな彼女に視線が引きつけられる。
「っていうのは半分冗談で、本当はまだ考えがまとまってないんだ。自分の中で答えが決まったら、その時に聞いてもらうっていうのでどうかな」
「それでいいよ」
俺は芝生の上に横になった。波瑠の側はひどく心地がいい。
「ああ! 茜君ズルい! 私も横になっちゃお」
そう言うと、波瑠は俺の隣に並んだ。
「はぁ、気持ちいい。夜の河川敷で寝転がって、なんだか悪いことしてるみたい」
「こういう日があってもいいだろ」
「うん。楽しいね」
「そうだな」
ずっとこの時間が続けばいいのに。
「ずっとこの時間が続いたらいいのにね……」
波瑠の呟く声が聞こえた。
瞼が重くなって、意識が遠のいていった。
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