第16話


 めぐみの鬼のような声は、あいにくスクリーン映像のせいで二人に届かなかった。ただの形相は、蛍の隣に陣取ろうとしている美少女クソ野郎めがけて直進する。当の本人は彼にしか意識が行っていなかった。蛍も呆れながら笑うしかなかった。


「おいおいさっき別れたばっかだろ」

「でも座席番号見てよ……ね、やっぱりここでしょ?」

「そうだけどさぁ」


 紅林梓紗の再登場である。見事なまでに喜びで崩れた表情だった。

 満を持して蛍の隣に堂々と腰を落とすと、買ってきたジンジャーエールをストローで飲み始める。その満足げな表情がチラつく度に、めぐみの感情が燃えさかっていく。


「ほんと悪い。コイツがさっき言ってた幼馴染」

「うん、分かるよ」

「その……めっちゃ怖いんだけど」


 めぐみはロボットのように抑揚なく話す。それが恐怖に映った彼は、思わず体を梓紗側に傾ける。


「大丈夫だよ。全然怒ってないよ」

「本当か? 殴りかかったりしないよな?」

「私をなんだと思ってるの?」


 こんなにオシャレしてきて、そんな乱暴なことはしない。そう叫びたかった。でも、それを素直に言えるのであれば、こんな苦労は最初から無かった。

 特別感がまもなく消え失せようとしていた。いつもの日常。平日の学校でする会話と何ら変わりのない。めぐみは小さくため息をつく。彼には聞こえないように。


「ねぇ

「ほたっ……!」


 ――かと思えば、梓紗の名前呼びには即座に反応する。

 学校では、彼のことを下の名前で呼ぶ女子はいなかった。つまり、めぐみは今初めて蛍呼びをする女子に遭遇そうぐうしたわけである。その衝撃はなかなかなもので、彼と彼女の距離感を見せつけられた気がしてならなかった。


「一緒に来てる子、もしかして――」


 そんなめぐみにはお構いなしに、梓紗は彼に問いかける。彼女なりに気を遣って小声だったが、今のめぐみはして地獄耳になっている。梓紗の声はハッキリ聞こえたし、これから言うことも簡単に推察できた。


「同じ文芸部員だよ」


 しかし。梓紗が言い切る前に、蛍が断言した。淀みのない真っ直ぐな声で。梓紗は「そうなんだ」と納得した素振りを見せた。


 一方のめぐみは、彼から視線を外すことができなかった。嬉しかったのだ。いま梓紗が言おうとした言葉は、どう転んでも自身を傷つけることになる。

 彼女ではない以上、彼がここで嘘をつく理由もない。蛍の性格を考えると、そう問われたら素直に否定するだろう。ただの友達だよ、と。でもそれは――めぐみにとって辛いものである。現実がのしかかってきて、心を潰してしまう。

 でも蛍は、一番当たり障りのない選択をした。梓紗に核心を突く問いかけをさせず、けれど彼女の疑問を解消するに値する言葉をぶつけた。彼としても、変な誤解を招きたくないという心理が働いた。とは言え、それはめぐみにとって心からの気遣いであった。


「蛍、文芸部なんだね。なんか意外」

「本読むの好きだからさ」

「へえ! じゃあさ、今度おすすめ教えてよ。一緒に本屋行こっ」


 梓紗は物怖ものおじしなかった。同性だろうが異性だろうが関係なく、自分がやりたいことを素直に誘うことができる。いわゆるコミュニケーション能力が抜群にけていた。

 めぐみは対照的だった。同じ文芸部、まともに活動しているただ二人という仲であるのに、今日この日を迎えるまで1年ちょっとを要している。そしてその貴重な時間も、紅林梓紗というイレギュラーによって邪魔されようとしている。


「わ、私も気になる映画ある」

「え、映画? これじゃなくて?」

「う、うん。まだまだいっぱいあるから……だから一緒に」


 ここで引いたらダメだ。今は攻め時。タイミングを見誤る前に攻め落とす――。まおみとのにはなかった展開であったが、自己判断を信じて突き進む。


 何より、この展開に戸惑っているのは蛍自身であった。両隣からのアプローチにどんな反応をして良いか分からず、顔を左右に振りながらその表情を確認する。どっちを選んでも反対側からは文句が飛んでくる構図だった。


「本屋さんの方がいつでも行けるから先に行こうよ」

「映画だっていつでも行ける。ここなら時間つぶし放題だし」

「お金もかかるから高校生には重いと思う!」

「学割あるから大丈夫。本もお金かかるから変わらないよ」

「……俺に話してる?」


 蛍は自身の左右を見ながらそう言う。彼の願いもむなしく、気を遣い合っていた二人の少女は、いつの間にか互いの視線を直撃させる仲になっていた。

 そして彼は、同じような光景が記憶にあった。めぐみと、いまこの場にはいない黒澤芙実との一幕である。


「初めまして。蛍の幼馴染の紅林梓紗です。高校2年。せっかくの楽しい時間にお邪魔してごめんなさい」


 しかし、ケンカっ早い芙実とは違って、梓紗は非常に冷静であった。彼から見ても、あれだけ快活な彼女が喧嘩腰になる姿は想像が出来なかった。めぐみは少し肩すかしを食らった気分だが、ここで熱くなるのは逆効果だと察知する。


「栗野めぐみです。船島君の同級生で同じ文芸部員です」


 めぐみが体だけを横向かせて小さく頭を下げる。顔を上げると、梓紗の視線は自身の顔よりも下に行っていた。


「むむ……デカい……」

「はい?」

「あ、あぁううん。こっちの話だから……」


 同い年と分かり、梓紗の口調も一気に砕けた。しかし、気分的には負けたも同然であった。自身にはないその果実は、蛍のみならず全ての男を吸い寄せる大きな武器になる。


「ねえ船島君、映画終わったらランチに行くんだよね」

「え、そうだったっけ?」

「行くんだよね?」

「――も、もちろん」


 彼はめぐみの圧に押される形でうなずいた。彼女の梓紗に対するマウントでしかないのだが、めぐみ自身は当初からランチまで一緒に行く気でいたわけで。梓紗をダシにして上手く誘えたと心の中で笑う。

 この会話を見ていた梓紗は、愛想笑いで反応する。ただ口は閉じられていて、今にも歯ぎしりが聞こえてきそうなほど食いしばっていた。

 梓紗としては、純粋に久々の再会を謳歌おうかしたかった。この二人は普段も学校で喋っているわけで。10年ぶりの再会というテンション感に身を任せた結果、めぐみの恋路を邪魔することになった。全ては偶然である。


「ねえ蛍、明日暇だよね? 本屋さん行ってランチしようよ」

「あ、明日!? 急すぎないかちょっと……」

「ダメかな? さすがに急だもんね……そうだよね……」

「わ、分かったよ! 行くから!」


 めぐみとは違った形で彼を落としてみせた。この会話からも、紅林梓紗という人間の一面がよく浮き出ていた。彼女は満足そうに正面を向いて、ジンジャーエールを飲む。よく喋ったせいか、喉の渇きが尋常ではなかった。


「な、二人とも静かにしよう。もう始まるから」


 蛍がスクリーンを指さすと、ちょうど公開予定の映画のコマーシャルが流れ始めた。全く興味がない映画でも、会場で予告編を見れば不思議と意欲が湧いてくる。密かに蛍はこの時間が好きだった。


「船島君」


 コマーシャルは本編ほどではないが、結構大きいボリュームで流れている。その中でも、確かにめぐみの声が彼に届いた。

 左側を見ると、彼女は正面を向いてスクリーンを真っ直ぐ見ている。


「栗野?」


 蛍が呼び掛ける。でもめぐみの反応はなかった。

 彼は諦めて再び正面を向く。それから彼女の声は聞こえることなく、程なくして本編がスタートした。


(空耳か?)


 映画が始まってしまっては、彼女に確認するすべもない。それに無理に確認するような話でもなかった。何か用があれば、映画の後に話してくれるだろう――。めぐみの言葉は、宙に舞ったままであった。

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