第12話
「よ、よう、黒澤。俺だよ俺」
いざ近づいてみると、その負のオーラに一瞬で飲み込まれる羽目になった。
普段なら気軽に声を掛けられる彼女だったが、今は違う。隙を見せればその首元を切り裂くような鋭さと重さがある。
そのせいで、十数年前に横行したオレオレ詐欺のような声のかけ方になった。
その声に対して、芙実と思われる少女はゆっくりとうつむかせた顔を上げる。相変わらず黒髪で表情は見えないが、そのカーテンの隙間から僅かに見えた瞳。蛍はその目に見覚えがあった。
「何しに来たの」
普段の彼女からは想像できないほどドスの利いた声で聞き返す。彼はすでに心が折れそうだったが、意を決して一歩前に出る。
だが蛍が謝罪の言葉をかける前に、その様子を見た芙実が口を開いた。
「近づかない方が良いよ」
「ど、どうして?」
「刺しちゃうから」
彼女の手元を見ると、野菜を切っていたこともあって包丁が握られていた。
刺しちゃう。さしちゃう。サシチャウ。あぁこれは
「じょ、冗談キツイなぁ……あはは……」
「冗談じゃないよ」
デジャヴのような会話だった。つい10分前も同じような話を栗野めぐみとした。そこで蛍は気づく。案外この二人は似ている部分があるのかもしれない、なんて。
「こういうの慣れてるし」
「な、慣れてる……?」
「なんでもない」
普通の人間であれば絶対に後付けする言葉ではないが、芙実は呆れ笑いを浮かべながら話す。蛍の心にはすっかり言葉のナイフとして突き刺さっている。
会話の初動を奪われたせいで、ペースも完全に芙実に握られてしまっていた。謝罪するタイミングを完全に見失ったことで、彼の頭の中には
「――やっぱり面倒な女だね。黒澤さんって」
その閉塞感を切り裂いたのは、彼の後ろで様子を見ていためぐみだった。
おもむろに言葉を紡ぐと、蛍の隣に並ぶ。芙実の視線もそれに合わせて動き、包丁を握る手に力が込められる。
「お、おい」
「船島君は黙ってて」
「でも」
「良いから」
喧嘩腰にはならない、と打ち合わせたはずだったが、すでにその想定は
「昨日の料理は本当にマズかった。これは紛れもない事実。天変地異が起きても変わらないと思う」
「……何。また嫌味を言いに来たわけ。あなたも嫌な女ね」
芙実は嫌味で返すが、めぐみは冷静に受け取った。
「まずお米が硬すぎて美味しくなかった。なんかパサついてたし。私との話に夢中になって焦がしたのもNGだし、ケチャップで誤魔化そうとしてたのも見え見え。それさえ無ければまあ食べられるんじゃない」
半ば諦めながら身構えていた蛍は、肩透かしを食らった気分でめぐみを見る。彼女は彼女で芙実から視線を外し、照れ隠しをするように二人から顔を背けている。
「栗野」
「別に。もうこんな面倒ごとには巻き込まれたくないから。正直に言っただけ」
素っ気なく言うが、めぐみなりの謝罪でもあった。素直に謝る理由はないと思っている彼女にとっての最大限の譲歩だった。
「そんなことを言いに来たの? わざわざ二人で」
「私は嫌だって言ったよ。でも船島君がどうしてもって聞かないから」
芙実の視線が彼に行く。
「そりゃあ……うん。本当にごめん」
蛍は
「何に対しての謝罪なの、それって」
「……その」
「正直に言って。誤魔化したら許さないから」
彼女は脅しているつもりではないが、包丁を手に持っているせいで中々の迫力があった。それにビビっている蛍は、やむを得ず思っている本当の感情を吐き出すことにした。
「……顔に出ちゃって?」
「何が」
「感想が」
「何の」
「オムライスの」
「美味しかったってこと」
「……その反対?」
「つまり何」
「マズかったです、はい……」
淡々とした理詰めにより、彼は正直な感想を告げた。めぐみのようにハッキリと言うのは
しかし、芙実は呆れたようにため息を吐くと、だらりと垂れ下がっていた前髪を掻き上げた。奥に隠れていたのは蛍もよく知る彼女の顔だった。
「分かってるよ。それぐらい」
「えっ?」
「あれが美味しいわけないもん。作りながら思ってた」
「ははっ……」
「いま笑った?」
「いえ笑ってないです」
彼の目から見て、芙実の態度はよく分からなかった。自虐したかと思えば、それに愛想笑いをするのは気に食わないらしい。蛍が即座に否定すると、彼女はその
「勘違いさせて申し訳ないけど、私は別に怒ってないよ」
「ま、マジ? とてもそうとは見えないけど……」
蛍の疑問はもっともであった。料理を作ってもらった人間に対してヒドイ態度を示し、そして翌日の変貌ぶり。昨日の出来事が原因だと結びつけるだけの状況証拠はそろっていた。しかし、芙実は続ける。
「自分が情けないだけ。誘っておきながらあんな料理を振る舞ってしまった自分が……本当にムカつくだけだから」
「そんなことは」
「ううんあるの。あれだけお腹空かせてた船島くん見てたら、美味しい料理食べて欲しかったし」
彼女の言葉には説得力があった。芯のある言葉は、誰が聞いてもきっとうなずくだろう。蛍も例に漏れず、その大人びた考え方と言葉が心に染み込んでいく。
「――何か?」
「いや別に」
めぐみは目が合った芙実に問いかける。しかし、彼女は先ほどの仕返しだと言わんばかりの態度を示す。ただそれ以上は何も言わなかった。
彼女に負けたとかそういう問題ではなく、自分自身に負けたことが悔しいのだ。努力で全てを克服してきた黒澤芙実にとって、昨日の出来事はただの敗戦でしかない。彼に振る舞うまでにもそれなりの練習を重ねてきたのだ。そのお披露目が想定しうる上で最悪の展開となってしまった。
(怒ってはないけど、責任は取ってもらおうかな)
ただ、彼女も年頃の女子高生である。怒ってはいないと言いながらも、深層心理では『栗野めぐみ』に対する負の感情がうごめいている。そして――彼女を誘った彼に対する毒素も。
「ねえ、船島くん」
「は、はい?」
「料理部に入ってよ。私の練習に付き合って」
「はぁ!?」
蛍とめぐみは声をそろえて驚いた。なんならめぐみの方が分かりやすく声を上げた。同時に彼女への視線がより厳しくなる。
「ちょっと待てって。なんでそうなるんだよ」
「私を傷つけたバツだよ。船島くんには私専任の毒味役になってもらおうと思って」
「いやいや俺は文芸部員だし……」
「掛け持ちがダメとは決まってないよね。それに文化部同士だからなんとかなるって」
「料理にだって無関心なんだぞ!?」
「作らなくて良いよ。私が作った料理を食べてくれればそれで」
蛍以外の男子生徒が聞けば、二つ返事で了承するだろう。それぐらい、藤高生にしては魅力的な提案だった。黒澤芙実の手料理を食べるだけの部活――。金を積んででも入部希望者が殺到するだろう。
ところが、彼自身はそのメリットを感じられなかった。料理をしない料理部員に何の意味があるのだろうか。変に真面目な彼らしい悩みであったが、ここで断ると余計面倒なことになり得た。
「さすがにそれは無いんじゃないかな」
めぐみが指摘すると、芙実は余裕そうに笑みを浮かべた。
「あら、どうして?」
「船島君本人が乗り気じゃないじゃん。無理やり入部させてどうするの? というか、毒味だけなら入部しなくたって良いと思う」
「ほうほう」
「何を
彼女の真っ直ぐなまなざしに、芙実は再び口元が緩む。栗野めぐみは深く深く切り込んでくる。大した理由なんてないのに、どうしてそう決めつけた言い方をするのだろうか。
「何も企んでないよ。何かマズいことでもあるの?」
「船島君のことをもう少し考えてよ」
「ソレってあなたの本音? それとも建前? 私には後者にしか聞こえないけどなぁ」
めぐみは言葉を飲み込んだ。昨日とは違った雰囲気が、今の芙実にはある。下手のことを言えば、この場で自身の心を裸にしてしまうような、そんな残酷さすら感じられて。だから、飲み込まざるを得なかった。納得なんて、到底していないけれど。
「……はぁ。分かった。入れば良いんだろ」
「そうそう。それで良いの」
「ただ文芸部優先だからな? そこは譲れない」
「もちろん。毒味の時は連絡するから」
芙実はそう言うと、おもむろにスマートフォンを取り出した。自身の顔の前でひらひらさせる。
「そのためには連絡先を交換しないとだね」
「あぁそうか。してなかったっけ」
蛍も素直に応じる。互いのバーコードを読み取り合う。彼の視線はスマホに落ちている。その一方で――黒澤芙実は。
「……ふっ」
相変わらず、彼の後ろに立っている彼女を見つめ、そして鼻で笑う。精一杯見下したような笑い方で。
船島蛍。ただのラノベ好きの男子高校生。その日常が今、変わろうとしていた。
***
ご覧いただきありがとうございます。1章終了です。
更新の度に読んでいただけているので頑張れてます。
よろしければ★やレビュー、コメントお待ちしています。
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