#14 笠井潔『哲学者の密室』

 現代本格ミステリの思想的な柱となっているのが、1979年に『バイバイ、エンジェル』でデビューした笠井潔です。本格ミステリの評論といえばトリックやロジックに関して論じるのが一般的であるのに対し、そもそもゴリゴリの思想家でもある笠井潔は、時代性や思想も踏まえた視点で本格ミステリを評論する活動を行っています。


 ロジックを重視した端正な本格ミステリでありながら、主に革命思想を中心に哲学闘争が繰り広げられるのが、パリに留学している日本人学生の矢吹駆を探偵役とするシリーズの特徴です。4作目となる大長編『哲学者の密室』は、時代を超えて二つの三重密室殺人事件が起こり、ハイデッガーを相手とする思想対決が行われ、本格ミステリにおける「大量死理論」が開陳されるなど、盛り沢山の内容です。


 密室事件の一つ目は、第二次世界大戦末期の強制収容所の中で起こります。周囲に足跡がなく、しかも鍵のかかった小屋の中で幽閉されている人物はいかにして殺されたのか? 二つ目の事件は、1970年代のパリの豪邸で起こります。強制収容所の生還者たちが扱った場所で起こった三重密室の真相はいかに? 矢吹駆は無数の解の中から現象学的本質直感を用いて唯一の真相を探ります。


 ただ、なにしろ創元推理文庫で1200ページある大長編なので、2つの密室トリックだけを楽しみにしていては読み切れませんし、肩透かしを食らってしまう可能性もあります。より重要なのは、ハイデッガーの思想を物語に組み込んで、それなりにわかりやすく教えてくれる点。そして、本格ミステリでお馴染みの「密室」というテーマに対して、哲学的な解釈を与えてくれる点。それから、戦間期に本格ミステリが黄金期を迎えた理由を説明しようとする「大量死理論」が紹介される点などです。


 正直、難解で理解できないところは沢山出てきます。「ジークフリートの密室」と「竜の密室」を紹介されたところで、ちゃんと理解するのは困難で、納得し難いところがあります。特に、「大量死理論」はミステリ界でも賛否両論あります。それでも、哲学的な方法で本格ミステリのテーマを扱ったというのが画期的であり、賛同するにしても批判するにしても、そのような議論を起こしたこと自体が驚嘆すべきことなのです。


 現在、私が執筆している長編ミステリ『物理学者の密室(仮)』は、もろにこの作品の影響を受けていますが、今はどうでも良い話なので飛ばします。次回は、森博嗣の『すべてがFになる』を扱います。

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