父娘の剣

 雪を蹴ってアルドが舞う。巻き上げられた粉雪が落ちるよりも速く、アルドは凍飛竜フロストワイバーンの懐へ潜り込んだ。

 ピルカのように牙を剥かれることもなかった。完全に不意を突き、そして反応されるよりも、速い。


「――シィッ」


 唸りを上げて剣が昇る。切り上げられた刃は、飛竜の鱗より少しだけ白っぽい腹を引き裂いた。

 浅いが、血が噴き出して雪原を汚す。


「――Gyaaaa!?」


 その時、飛竜はようやく腹の下に潜り込まれていることに気がついた。奔った痛みに身を捩らせ、地団駄を踏むように暴れる。

 丸太が降ってくるような足元で、アルドはそれを躱しながらピルカへと振り向いた。何事もないかのように。


「ほらな。首の鱗は案外硬いんだ。だが腹の部分は可動域を確保する分、どうしたって柔らかくなる。狙うならここだ」


 あまつさえ、講釈すらしてみせた。それを受けたピルカは項垂れるように頷く。


「はぁい。……前にお父さんが地竜を狩った時は首を一刀両断してたのに」

「それは、喉を狙ったからな。そこはコイツも薄いよ。だが首が長く高い分、狙いにくいからやめた方がいい」


 稽古中のように会話を交わす最中も、飛竜は滅茶苦茶に暴れている。その中を無傷で掻い潜り、アルドは平然と離脱した。

 腹の下から出てきた相手に、飛竜は牙を剥いて威嚇する。


「頭を使え。飛竜の知能は獣並みだ。それにすら負けるようじゃ、おつむを笑われちまうぞ」

「……盛り上がらないなぁ。折角の竜狩りなのに」

「亜竜じゃな」


 そう、竜なのだ。フリーラは唾を呑む。

 人々が恐怖し、近隣に出れば眠れぬ夜を過ごし、場合によっては国が動くような――そんな魔物だ。

 知能の差ゆえに被害が少ないが、肉体的な強さは亜竜だって変わらない。

 だというのに、アルドもピルカも普段通りだ。


「……えへへっ」


 それどころか、ピルカは嬉しそうにすらしていた。


「……なんだ、嬉しいことでもあったか?」

「うんっ」


 くすぐったそうにピルカは言う。


「ずっとどこかでこんな日を夢見てたんだ。お父さんが冒険者だって聞いたときから……」


 ピルカが物心ついた時には既に、アルドは村人だった。

 村の人から頼りにされているのを見て、元冒険者だと知った。

 それからだ。ピルカの夢が冒険者になったのは。

 だって、親に憧れて同じ夢を目指すのは自然なことだから。


「夢だったよ」


 だから、心のどこかで願っていたのだ。

 この光景を。


「――お父さんと、こうして一緒に戦うこと!」


 ヒュンと剣を振り、ピルカはアルドの隣に並び、ニカリと笑った。


「……フッ」


 真っ直ぐに言うピルカに、アルドは小さく笑みを漏らす。

 嬉しく、そしてこそばゆい。

 だから照れ隠しに、ぶっきらぼうに言い放った。


「左右に別れて攻めるぞ」

「うん!」


 アルドとピルカは飛竜を挟むように移動した。亜竜の首が向くのは、アルドの方。


「Guuuu――」


 唸り、警戒する。先程己を傷つけた小さな牙を。

 腹の傷は致命傷にはなり得ないが、油断すれば更に深手を負うかもしれない。そんな相手だと、獣の本能で認める。

 ゆえにこそ、一番の警戒を置く。


「さて……」


 遊ばせるように剣尖を揺らし、アルドは思考するような仕草を見せる。


「飛ばれると嫌だな。翼をどうにかしたい、が」


 人間が空を飛ぶ手段は、未だ無い。少なくとも、スキルがなくては。

 スキルで人間が空を飛ぶ事例は確認されているが、魔術やそれ以外の手段では不可能。未だ人類の英知は空に届いてはいない。それがこの世界の現在だ。

 つまり空に逃げられると、スキルのないアルドとピルカではどうしようもない。


「怒っている内が勝負か」


 縄張りに侵入されたからか腹を傷つけられたからか、あるいは両方か。

 目を血走らせた飛竜は怒り心頭で、今のところ逃げるという選択肢はなさそうだ。

 だがひとたび恐怖に駆られれば一目散に逃げ出すだろう。野生動物のプライドなどその程度だ。

 だから、怒りに燃えている今が勝負所である。


「……来いよ」

「Gaaaa――!!」


 言葉が分かったワケではあるまいが、飛竜は怒りのままにアルドへと襲い掛かった。

 やはり獣並みの知能では学習も遅いのか、先程と同じように足を振り上げて踏み潰そうとする。

 無論、先の地団駄を躱したアルドにとってはワケのない攻撃だ。

 だがアルドが選んだのは、その場に留まることだった。


「力剣――」


 腰を落とし、立て板のように剣を水平に掲げる。そして戸板で雨を凌ぐかのように――そのまま、竜の足裏を受け止めた。


 のし掛かる、飛竜の全体重。

 飛竜は空を飛ぶ。普通、鳥や昆虫のような空を飛ぶ生き物は体重が軽くなっているのが常だ。でなければ、自らの生み出す浮力で舞い上がることができない。羽ばたきで空を飛ぶには凄まじい力がいるのだ。

 だからこそ、動物たちは様々な物を犠牲にする。体長、筋骨、内臓さえ。飛ぶために特化して後は捨てる。それが翼を得たものの宿命。


 しかし飛竜は例外だ。その体重は、見た目通り重い。

 何故かは今も解明されていない。単純に翼を動かす筋力が桁違いに高いからとも、古竜が子孫たちに加護を与えているからとも言われている。

 少なくとも今言える確かなことは、飛竜の全体重にかかれば、人一人潰すのは簡単だと言うこと。


「お師匠!」


 憧れた人がトマトのように潰される凄惨な光景を想像してフリーラが叫ぶ。

 だが、アルドは――崩れなかった。


「――【婆娑羅ばさら】」


 耐える。

 四肢に籠めた筋力で、背中に通した鋼の体幹で、竜の全体重を真正面から受け止めた。

 力んで額に血管は浮いているが、それだけだった。


 信じられない光景を目の当たりにして、フリーラは呆然とした声をあげる。


「嘘……」

「Gaaaa!?」


 信じられないのは飛竜も同じだった。己よりも何倍も小さな生き物が、全力のストンピングで潰されていない。どころか……。


「……フンッ」


 ぐぐ、と押し返される感触すらある。

 流石に持ち上げられる気配はないが……潰れる気配は微塵もなかった。

 まるで岩を踏んでいるかのようだ。


「Guuuu……!」


 飛竜は更に体重をかける。身体を前傾姿勢にして重心を傾け、もう片脚が浮くかもしれないというほどに力を籠めた。

 早くコイツを。コイツさえ潰せば。


「いいのか?」


 足の下から聞こえる、平然とした声。微かに力んだ震え以外は何もない声は、言葉が分からない飛竜の背筋すら凍てつかせた。


「俺自慢のけんがもう一本あるぞ?」


 ――風。

 鱗に、微かに風が当たるのを感じた。


 飛竜は長い首を巡らせ振り返る。

 そこには深く雪を蹴って飛び上がり、白刃を閃かせたピルカの姿があった。


 雪で力が籠めにくい中、ピルカは充分に足を溜めてから飛び上がった。

 何故ならその時間を、アルドが稼いだから。


「技剣――」


 竜の半身を飛び越えるほどの跳躍。

 振り返った時には既に、刃は目の前に。


「――【団子刺し】!」


 突き。

 少女と共に飛び込んできた鋭い一閃は――飛竜の眼を、過たず突き刺した。


「G、GYAAAAAAA――!!!」


 片目を失い、飛竜は絶叫を上げた。

 飛竜の目玉を抉り取った少女は、暴れる背中に一瞬だけ足を着け、また飛び上がった。

 今度は真上。すぐに重力に掴まって、落ちる。

 視線の先には暴れる飛竜。

 そして更にその先に――足元から解放された、父の姿。


「お父さん!」

「応!」


 二人は、鏡合わせのように剣を構えた。

 上と下。双方から挟むように剣を振る。

 挟まれるのは――当然、飛竜。


「いィぃぃやぁっ!!」

「シィッ!!」


 ピルカの落下の勢いが乗った斬り下ろし。アルドの腹を狙った斬り上げ。

 双方から迫る刃が二つ合わされば、例え竜の身体であろうと。


「Ga……ッ!」


 それが例え――どこであろうと。

 刃は埋まり、振り抜かれる。


 飛竜の胴は、真っ二つに両断された。


 強大なはずの飛竜の身体が、二つに分かれてドスンと落ちるのを、フリーラはあんぐりと口を開けて見ていた。


「ほ、ホントにやっちゃった……」

「お父さん!」


 着地したピルカは、アルドに向かって拳を付き出した。

 意図を察したアルドもまた、拳を掲げる。


「へへっ」

「……ふっ」


 そして乾杯するようにぶつけ合って。


「……竜殺しドラゴンスレイヤー


 フリーラの呟きが、そう証明し、締めくくった。

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