空に近い場所で

 雪這いスノーストーカーの不審な死体から、本来の生息地である山頂に何かがあるのではないかと睨んだアルドたちは、登山を続けていた。

 先頭には斥候としての実力を認められたピルカ。足元には懐いた牧羊犬レールを連れている。無論、巣を出るときに忘れずに回収した。


「流石に、雪が深いな」


 これまでの道中も、歴史的な大寒波によって厚く雪が積もっていた。しかし山頂付近は平時から万年雪が積もるような場所だ。レベルが違う。


「お師匠、大丈夫ですか?」


 隣で歩くフリーラがアルドの顔色を覗き込む。雪の中を歩くことに慣れたのか、フリーラの足取りは確かなものとなっていた。汗も引いて、もう耐寒耐暑の宝珠も使っていない。

 むしろ、中年のアルドの方が体力的に心配だった。


「柔な鍛え方はしていない、が……」


 まだ平気だ。しかし、若いときに比べて体力が増えているかというとそれは否だ。

 過信せず、温存して動くべきだろう。


「……そうだな。いざとなったら支えてくれるか、フリーラ」

「! はいっ」


 パッと表情を明るくさせてフリーラは頷く。そんなやり取りを前方で聞いていたピルカは唇を尖らせた。


「むー……ズルい」

「わんっ」

「いいもんいいもん。私にはレールがいるし」

「ちゃんと山を下ったらペレに返すんだぞ」

「分かってるよーだ」


 緊張感のないやり取りをしつつ、しかし口とは裏腹にピルカはしっかりと周囲を警戒していた。

 だからこそ、それに気付く。


「……?」


 違和感。

 足元。踏みしめた雪の感触に、微かな違いを感じた。


「何か……」


 ピルカはその場にしゃがみ、踏んだ雪を確かめる。感触は雪とほとんど同じだ。しかし……。


「これって、もしかして」


 雪を掘り返す。

 すると現われたのは、見覚えのある青白い臓物だった。

 レールが唸る。もう二度も遭遇した魔物の匂いを、牧羊犬はしっかりと覚えていた。


雪這いスノーストーカーの死体だ!」

「なんだと」


 ピルカからの報告にアルドはすぐさま駆けつける。しかし同時に、風景の違和感に気がついた。


(なんだ……不自然にデコボコしている?)


 そこは山頂付近の、木々がすっかり少なくなってしまった斜面だった。寒さを凌ぐ壁すらないその場所には、吹き付けた雪が厚く積もっている。

 しかし積雪というものは、平等だ。丘をコーティングするように平坦に、なだらかに積もるのが普通である。だがその斜面は、妙に凹凸が多かった。


 アルドは、その内の一つへ近づく。


「……まさか、これも」


 嫌な予感がして掻き分ける。すると出てくるのは、やはり青白い臓物。

 ただし欠けていて、少ない。まるで食べ残しのような。


「やはり雪這いスノーストーカー! おい、待てよ……」

「……嘘ですよね?」


 アルドの言いたいことを察したフリーラが周囲を見渡し、顔を青ざめさせた。

 斜面は岩場があったかのようにデコボコが乱立している。ミニチュアの山脈を見ているかのように。

 しかし、そうではなく、本来はもっとなだらかな場所であったとすれば。


「――これ全部が、雪這いスノーストーカーの死体ってことですか!?」


 その全てが、雪に混ざって見えにくくなった雪這いスノーストーカーの死骸だとすれば。

 それは夥しい数になる。


「……いや、そうなのだろう。雪に埋まって匂いも薄いが……小山の大きさは雪這いスノーストーカーの体格のそれだ」


 ほとんどが雪に伏していた所為か、雪這いスノーストーカー特有の生臭さというのは感じない。が、その山の一つ一つの大きさは雪這いスノーストーカーと同一だった。綺麗なほどに。

 まず、雪這いスノーストーカーの死骸だとみて間違いない。


「けど、だとすれば……何で!?」

「……分からない。雪這いスノーストーカーは、冬の間はかなり上位の捕食者のハズだが」


 雪這いスノーストーカーは熱に弱く、その白い身体は森の中ではかなり目立つ。

 しかし一度雪が積もれば無色透明、かつ凶暴な捕食者と化す。風景に紛れ体温すら雪に近い奴らの接近は誰も見分けが付かず、気付いた時には既に飲み込まれている。

 雪の中では最強に近い。それが雪這いスノーストーカー

 万年雪のあるような場所から縄張りを広げられないことを代償に得た力のハズだった。


 だというのに、この惨状。

 考えられることは、一つだけ。


雪這いスノーストーカーよりも強い捕食者が現われた……? だから、住処を追われた雪這いスノーストーカーは降り、村を襲った……」


 そう考えると全ての辻褄が合った。


「温泉が湧くような洞窟を住処としていたのは、追われた奴らはもうそうするしかなかったから。産卵していたのも、減った数を増やすため……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 アルドの推理にフリーラが待ったをかける。


「それが本当だとすると……雪這いスノーストーカーを簡単に殺せるような、凶悪な魔物ってことになります! そんなのが、この山に……!?」

「……確かに、考えづらいことだ」


 ……標高の高い山は、生物にとってあまりいい環境ではない。勿論、敢えてそこに陣取ることで安全を取るような生き物はいるが、そうでない動物がわざわざ移動してくるとは考えづらい。

 そもそも、生き物が生活の場所を移すということは人間以上にリスクのあることだ。それこそ、雪這いスノーストーカーだって何者かに追われなければ村にまで降りてくるようなことはなかっただろう。

 ましてや、雪這いスノーストーカーを倒せるようなとびきり凶悪な肉食獣が。


「しかし、逆に考えれば」

「逆に……?」

「ああ」


 考えづらいことに直面した時は、取り敢えず逆算してみる。

 言葉で物事を考える人間ならば、容易い思考方法だ。


「山の厳しさを物ともせず、移動も苦ではない。そんな魔物ならば、この山にも来る可能性があるということだ」

「た、確かにそうなりますけど……けど、そんな魔物、一体……?」

「――お父さん」


 声。アルドは振り向く。

 そこには剣の柄に手をかけたピルカの姿があった。

 上に向けられている視線は、鋭い。


 それを見たアルドはすぐさま剣を抜いた。同行者の警戒する姿を見て首を傾げるような剣士は二流だ。自分が気付かなくとも何かあると考え、動きだけでも臨戦態勢を整えるのが一流の剣士。

 一拍遅れてフリーラも剣を抜く。こちらは、師匠がそうしたからだろう。


 剣を手に、アルドは問う。


「どこだ、ピルカ」

「――お父さんの推測、移動が苦ではないだっけ」


 ピルカは好戦的な笑みと、真剣な視線を向けていた。

 上空に。


「少なくとも、その部分は確信したよ」


 アルドの耳を掠める異音。ただしそれは、いつものザラつく感覚ではない。

 もっと直接的で、分かりやすい音だ。

 羽ばたき。


「――まさか」


 足元に影。頭上を見上げる。途端、吹き付ける突風。


 そこにいたのは皮膜の翼を羽ばたかせる一体の魔物だった。

 雪這いスノーストーカー以上の巨体。肌は硬そうな水色の鱗に覆われ、屈強な二足と細長い尻尾を持つ。

 長い首を曲げ睥睨し、並んだ鋭い牙の間から凍れる息を漏らし、角の下にある針のような瞳孔を眼下へと向けるその魔物の名前は……。


「――凍飛竜フロストワイバーン!!」

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