善悪両方

「……グル」

「ん」


 登山を続けることしばらく。中腹に差し掛かった辺りで、ピルカは牧羊犬レールの変化に気付いた。

 喉を鳴らし、辺りを警戒している。その様子は先程までの友好的な素振りとは大きく違う。


「お父さん、フリーラ、ストップ」

「! おう」

「は、はいっ」


 背後に掌を向け二人を制止。レールの警戒行動をジッと見つめる。

 やがてレールは一方向に向けて歩き出した。

 アルドは唸る。


「向こうに雪這いスノーストーカーが……?」

「確かめてくる。斥候に行くよ。お父さんたちは待機していて」

「できるのか?」

「任せて」


 そう言って笑い、ピルカだけがレールに付いていった。

 アルドとフリーラは雪の中から露出していた岩の上に座り、待機する。

 背嚢の中からアルドは羊の干し肉を取りだし、フリーラに向けて差し出した。


「よし、今の内に食べておけ」

「は、はい」

「水分補給もな。雪の中だと忘れがちだが、汗を流して喉が渇いてるハズだ」


 そう言いながら、自身も手足を良く揉みほぐす。


「咄嗟に動けるよう、万全に整えておけ。待機は遊ぶワケじゃない、準備期間だ」

「……はい」


 言われた通り、フリーラは自分にできる限りの準備を行なう。

 しばしの沈黙。のち、口を開いたのはアルドだった。


「……緊張するか?」

「はい?」

「それとも、こういうのは嫌か? 命のやり取りは」


 アルドの問いに、フリーラは少し考え、整理したのちに自分の考えを口にした。


「……分かりません。生き物を斬るのは初めてなので、一体、どうなるのか」

「家畜を屠殺したり、狩りで獲物を仕留めたことはあるハズだが」


 アルドは狩人でもある。というより、平時はそちらが本業だ。裏庭の畑で野菜などは育てているが……自前で消費する分だけでしかない。普段の収入は、狩りで獲った獲物を売ることで賄っている。

 フリーラもその手伝いをしたことがある。また、自分の手で仕留めたことも。


「……でも、それは生きるためです。ものを食べるための狩り」

「そうだな」

「今回は、違う。私たちが襲われたくないがための、自衛のための戦いです」


 雪這いスノーストーカーからは毛皮や肉といった素材はほとんど取れない。雪のような筋肉はすぐに溶けてしまうし、内臓も腐りやすい。

 残るのは青い牙だけで、それも全長からすると小さく、何かに生かすのは難しかった。

 なので今回の狩りは、安全以外にほとんど得る物が無かった。


「疑問を抱いているのか。ただ殺すための行為に」

「……そう、なのかもしれません」

「なら、こう考えることだ」


 アルドは剣の柄の濡れ具合を確認しながら答えた。


「『これは、人を守るための戦いだ』、と。事実、村人を守るためにはこれしかない」

「……ですが、それは綺麗事なのでは」

「そうだが、正しい一面もある。そしてあらゆる行動は、得てしてそういうものだ」


 善ならば善。悪ならば悪。そう、物事を分かりやすく捉えてしまう気持ちはアルドにも分かる。だがアルドは長い経験の中で、そうではないと悟っていた。


「善と悪は安易に切り離せるような簡単な属性じゃない。どんな物事にも善悪は付き纏う。両方ともな」

「善悪、両方……」

「今回で言えば、ただ排除するために生き物を殺生することは悪いことなのかもしれない。だが同時に、村人たちを守るためには善いことだ。……どちらが正しい、ということはない。同じように、同じくらいに、受け止めなくてはいけないんだ」

「……同じ」

「、と」


 フリーラがアルドの言葉を噛み締めているのを横目に、アルドは顔を上げた。その耳に触るものを感じたからだ。


「帰ったか、ピルカ」

「わ。……何で分かったの? 足音は消してたのに」

「まだまだ甘い……というのは可哀想だな。レールだよ。そっちの息づかいはどうしても消えない」


 木々の間から姿を現わしたのは、レールを連れたピルカだった。どうやら偵察を終えたらしい。


「それで、どうだった」


 アルドは水筒と干し肉を差し出しながら問うた。隣に座りながらピルカは答える。


「いたよ。雪這いスノーストーカー

「巣か?」

「うん。洞窟の中に出入りしてる。巣があるみたい」

「そうか。思ったより近かったな……数は?」

「少なくとも三体いた。外に狩りに行ってる分は分からない」

「……よし」


 アルドは膝を叩いた。


「仕掛けるぞ」

「うん!」


 ピルカは素早く干し肉を噛み切ると、跳ねるように立ち上がった。


「やろう!」

「休憩はいいのか?」

「平気! まだ疲れてないし! お腹も今ので充分!」


 腕を伸ばし、軽く屈伸してみせるピルカは確かにまだ元気いっぱいという様子だった。歳を経たアルドや、まだ剣の修行を始めて浅いフリーラとでは基礎体力から違うのだろう。


 そしてピルカは、俯く少女に手を差し伸べる。


「フリーラ、行こう!」

「……そう、ですね」


 フリーラは頷き、顔を上げてその手を借りて立った。


「守るために手を汚す。……それが、剣の使い道、ですよね」

「? 分かんないけど、そうだね。ヒーカ村のみんなを守らなくちゃ!」


 フンスと鼻息荒くするピルカに苦笑しながら、アルドも立つ。


「そうだな。……フリーラ、このくらい単純でもいい。これもまた、悪いことじゃない」

「ですね。救われます」

「?」


 微笑み合う二人に、ピルカはただ首を傾げるだけだった。

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