竜神信仰

雪這いスノーストーカー……白くて大きな蛇、かい」

「ああ」

「うーん……それで、霊山に、かい」

「早急に対処しなくては被害が出る。立ち入る許可を出してほしい」


 集会所に戻ったアルドとピルカは事態を報告した。雪這いスノーストーカーの出現。そして何より奴らがこの村の味を覚えているということ。このままでは止め処なくやってくる。その点を特に訴えた。

 しかし村長は渋そうに唸る。


「しかし霊山はねぇ……」

「だなぁ……」


 同じように顔を曇らせているのは集まった村人の中でも年配の者たちだった。


「迂闊に立ち入るのはマズいんじゃないか?」

「ああ。竜神様の怒りを買うのはマズい」

「……やはり、こうなるか」


 アルドはこのリアクションを想定していたのか、溜息をつく。


 ヒーカ村には昔から霊山信仰があった。それは竜神信仰から来るものだ。

 長く生きるドラゴンのことを古竜グレータードラゴンといい、その中でも数万年の時を生きる特に強大な竜のことを竜神と呼ぶ。

 その力はまるで災厄のように壮大だったという。

 そんな恐るべき存在を、人々はかつてから崇め奉っていた。


 かつて、あるいは今もかは分からないが、あの山には竜神が住んでいたという。

 だから村人は霊山には立ち入りたがらないのだ。


「……降りてくるのをやっつけるだけじゃ駄目なのかい?」

「い、いや、アレを実際に見ていないからそんなことが言えるんだ! あんなの気付きようもない! また家畜に被害が出るぞ!」


 老人の消極的な提案にペレが反応する。この中で剣士二人を除き唯一雪這いスノーストーカーの姿を目撃した彼は、その時感じた恐怖を存分に語る。

 しかし老人たちの心を動かす程ではなかったらしい。以前、渋ったままだ。


「ううむ……」

「しかしやはり霊山はなぁ……」

「……やはり、難しいか」


 アルドもまた唸る。

 こうなることは始めから分かっていた。村人の、特に老人たちの竜神信仰は根強い。アルドは礼儀以上の信仰はないが、老人たちが竜神を恐れて渋るだろうことは予測できていた。

 しかし雪這いスノーストーカーの巣が山の上にある以上、登るしかない。

 巣を根絶やしにしなければ、あの大蛇たちは村のことを餌場として荒らしまくるだろう。


 だからアルドは説得の方法を必死に考える。

 しかしどちらかというと口が上手くないアルドは穏便な文句が考えつかなかった。

 ただ、老人と中年で唸り合う時間だけが過ぎる。


 その消極的な沈黙を破ったのは、ピルカだった。


「……私が小さい時、山で迷子になりましたよね」

「ん? ……あぁ、あったのう」

「みんなでピルカちゃんを探した時じゃなぁ」


 老人たちは懐かしそうに頷き合う。あの時は、足腰の立つ村人はほとんど総出だった。


「あの時は、みんなで霊山にまで立ち入ったと聞きます」

「それは……そうじゃなぁ」

「ピルカちゃんの命がかかっとったからのう」


 あの時は緊急を要したので、霊山にまで山狩りは及んだ。子どもが山で遭難することの恐ろしさを、みんなよく知っていたのだ。


 そこでアルドは初めて気がついた。

 自分と老人たちとの間に意識の差があることに。

 老人たちは決して、命より信仰を取るほど頑迷ではない。

 ただ、村人にまで被害が及んでいないから事態の深刻さが把握出来ていないだけなのだ。

 山から下りてきた個体だけを倒せばいいと考えている。しかしそれでは駄目だ。

 この吹雪では、雪這いスノーストーカーに有利過ぎる。


 さて、どう説明するべきか。

 しかしアルドが口を開くよりも先に、ピルカは続けた。


「あの時は、嬉しかった。みんなが私を大切に思ってくれてるんだなって」

「そりゃそうじゃ」

「ピルカちゃんはあたしらの宝だからねぇ」


 うんうんとみんな微笑ましげに頷いている。

 子どもの少ないヒーカ村ではピルカはアイドル的存在だった。


「……それと、おんなじなんです」

「え?」


 ピルカは切実に訴えた。


「私たちも同じように、村のみんなの命が心配なんです! 万が一にでも誰かが死んじゃったら……そう思うと胸が張り裂けそうになる!」


 そして、頭を下げる。


「だからお願いします! どうか私たちに、霊山に立ち入る許可をください!」

「ぴ、ピルカちゃん! そんな、頭を上げてよ」

「んだ。んなこたぁしなくたっていい!」


 可愛がっていた少女が懇願する姿に老人たちは狼狽する。

 そして、窺うようにアルドの方を見た。


「もしかして、そんなに危ない奴なのかい?」

「……ああ。熊よりも強い」

「そんなに!」


 やはり、具体的な強さが伝わっていなかったようだ。

 蛇と紹介したのも悪かった。いくら大きいとはいえ身の丈を越えるとは思わなかったのだろう。やはり自分は口下手だと反省する。

 恐怖の権化として知られている熊の例を出し、ようやく村人たちは顔を青ざめさせた。


「だから、お願いです! ――みんなを、守らせてください!」


 その痛切な姿に、村人たちは視線を交わし合う。

 そして頭を上げないままピルカに、村長が代表して話しかけた。


「ピルカちゃん、頭を上げておくれよ」

「じゃあ!」

「ああ……むしろ、こっちがお願いするべきなんだろうねぇ」


 ピルカの切実な訴えが通じたようだ。

 村長は顔を上げたピルカに頷き、アルドの方を見た。


「アルド、悪いけど頼めるかい」

「ああ。任せてくれ」


 元よりそのつもり。

 こうして、アルドは雪這いスノーストーカー退治を引き受けた。


 出発は日の光で雪が弱まる明朝に決めた。

 準備のため、アルドたちは帰路につく。

 幸いというか、風は止み、ただの豪雪となっていた。

 あの白い身体でも保護色にはならない。この天気なら、雪這いスノーストーカーが村を襲うことはないだろう。


「もう一度吹雪が来る前に倒さなきゃな」

「うん……」


 隣の歩くピルカの返事は上の空だった。

 気になって問う。


「どうした?」

「……不謹慎なんだけどさ、ちょっとだけ、楽しみなの」

「ん?」


 手袋が嵌まって手を開き、握り、確かめるように何度も繰り返す。


「村の人たちが困ってる。敵は手強い怪物。退治するためには、秘境に足を踏み入れなければならない……これってさ」


 ピルカはクルリと振り返り言った。


「冒険、だよね」

「……確かにな」


 アルドは頷いた。紛れも無く、冒険者がやるような仕事だ。


「本物の冒険だ。私が求めていた……ね、お父さん」

「ん」

「私も、一緒に行っていいでしょ?」


 その言葉に、アルドは少しだけ悩む。

 先程のピルカの動き。雪這いスノーストーカー相手に慣れていなかった所為で戦果は上げられなかったが、悪いところはなかった。それに普段の稽古で実力は詳しく把握している。腕前は申し分ない。

 村に帰ってきたボロボロの状態なら反対しただろうが、この一ヶ月間ちゃんと三食を食べる健康的な生活を送っていたおかげで体重は戻っている。顔色も悪くない。

 あるのは娘を危険な目に遭わせることへの心配だが……それは余計な親心だろう。

 色眼鏡を抜きにした剣士、あるいは元冒険者としての見立てでは……。


「……そう、だな。反対する理由はない」

「やった! フリーラは?」

「連れて行くか。村の防衛をさせるというのもアリだが……」

「三人でぱっぱと倒した方がいいよね?」

「そうだな」


 戦力を二手に分けるくらいなら、集中した方が良い。それに家畜小屋のような粗末な造りの家屋ならともかく、家に籠もっていれば人的被害も出ないだろう。


「やった! じゃあ三人で、だね!」

「やけに嬉しそうだな」

「うんっ」


 ピルカは、満面の笑みを浮かべた。


「だってお父さんと、初めての冒険だもん!」

「……そうか」


 苦笑を漏らす。

 親子初めての冒険。これは気が抜けない。無様なところは見せられないと、アルドは改めて気を引き締めた。

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