雪這い

雪這いスノーストーカー!」


 白い闇の中に浮かぶ、青い牙を見てアルドは戦慄した。

 それは冬に呼ぶには恐ろしすぎる名だったからだ。


 雪這いスノーストーカーは目もないというのにアルドたちの姿を認めたようだった。白き大蛇は鎌首をもたげると、青牙をかっ開いてアルドたち目掛けて飛びかかってきた。


「うわっ!?」

「ペレさんは、その子を連れて下がって!」


 小屋の中へと飛び込んできた雪這いスノーストーカーの噛みつきを、アルドとピルカは左右に別れて躱す。その中で、怯えるペレへの指示も忘れない。


「わ、分かった! ほら、行くぞ!」

「ヴルルル……」


 牧羊犬は自分が守るべき羊を掻っ攫われたという自覚があるのか、何倍も大きな大蛇に対しても戦意たっぷりだったが、ペレに引き摺られるようにして小屋を後にする。

 残されたのは雪這いスノーストーカーと、挟み込むように対峙する二人の剣士だけだった。


「お父さん……雪這いスノーストーカーって、コイツの名前?」

「ああ。珍しい魔物だ。俺も師匠の手伝いで見たことがあるだけ……そう言えば、コイツが出たのもこの辺りだったな」


 アルドはいつでも抜けるように剣の柄に手をかけながら、雪這いスノーストーカーをつぶさに観察する。

 戦いはまず洞察から。アルドが弟子に、そして自分に言い聞かせていることだ。


 雪這いスノーストーカーの体躯は蛇そのものだ。ただし大きさは段違いで、人一人を簡単に呑み込めるほど大きい。本物の蛇のように顎を外すことすら必要ないだろう。

 肌は白く、それこそ雪のようだ。口元に並んだ青い牙は鋭く、氷柱のよう。

 目はない。視線も感じない。

 だが……明確な敵意が向けられていた。


「srrrrr……」

「また来る……とは言ったが、こんなに早くに来るとはな」


 恐らくアルドの予想通り、この村を餌場と認識して再来したのだろう。身体や口元に血は付いていないことから見て別個体か。

 運が悪いというべきか、逆に相対したのがこの二人で良かったというべきか。


「srrr!」

「!! 来る!」


 雪這いスノーストーカーが一瞬身を縮めたかと思うと、次の瞬間にはまた飛び上がっていた。白い体躯をしならせ標的にしたのは、アルドだった。

 それを見ていたアルドは先んじて跳び、着弾点から逃れる。白い巨体が地面へと叩きつけられ、小屋が揺れた。


「ハァッ!」


 次に動いたのはピルカだった。自分が狙われていない隙を突き、剣を鞘走らせる。そして鋭い一閃を、無防備な尻尾へと叩きつけた。

 銀の刃が雪這いスノーストーカーの身体の半ばまで埋まる。だがそれを見たアルドは叫んだ。


「それではダメだ!」

「え!?」


 驚くピルカだが、しかし反して剣はアッサリと雪這いスノーストーカーの身体を斬り抜けた。特に表皮が硬いということも、肉の抵抗があったということもない。

 いや、違う。

 なさ過ぎた。


「!?」


 剣はまるで空振ったかのように勢いづいて、ピルカは姿勢を崩した。


「き、効かない!?」


 その隙を見逃す雪這いスノーストーカーではない。

 グルリと首を巡らせて、今度はピルカへと牙を剥く。


「チッ!」


 娘のピンチにアルドは剣を抜いた。そして居合いの勢いで雪這いスノーストーカーの白い背中を斬りつける。だがやはり、手応えはない。砂の城を崩しているかのようだ。

 しかしアルドはそれを予想していた。斬り抜けたアルドは即座に手首を返し、斬りつけた傷跡の少し下を並行させるようにもう一度斬った。

 結果、雪這いスノーストーカーの肉は切り取られて地に落ちる。


「ssss!?」


 雪這いスノーストーカーは驚いて振り返り、ピルカはその牙から逃れた。しかし本人は父の攻撃が通じたことの方が気になって仕方が無い。


「なんで、お父さんの剣は!?」

「……落ちた肉を見てみろ」


 言われた通り、ピルカはアルドの切り取った雪這いスノーストーカーの白い肉に目を落とす。いや……果たしてそれは肉なのだろうか。

 雪這いスノーストーカーから切り取られたそれは中まで白く、そして崩れ溶けかけていた。

 それはまるで……。


「雪?」

「そう。コイツの身体はほとんど雪と同じだ。だから斬ってもすり抜ける。そして塞がる」


 雪だるまを切断しようと無意味なように、雪這いスノーストーカーを斬っても傷はつかない。すぐにくっつき、斬った跡は見分けられなくなる。


「そんなの、どう倒せば……」

「方法は二つ。まず、ただ斬るだけじゃなく切り落とすようにすること」


 アルドがやったように。

 一度師の戦いを見ておいて良かったと、アルドは息をつく。そうでなければ対処法は分からずに不死と勘違いしていたかもしれない。


「そして……雪と同じなのは、筋肉に当たる部位だけだ」

「srrrrr!!」


 鋭い呼気を吐き、雪這いスノーストーカーはアルドへと飛びかかる。

 アルドはステップを踏み、噛みつきから身を躱す。雪這いスノーストーカーは勢い余って、その背後にあった柱へと噛みついた。

 青い牙が食い込む。そしてそれが抜けるよりも速く、アルドは剣を振り上げた。


「力剣――」


 そのまま重力に従うように。

 真っ直ぐ、一切の小細工なしに振り下ろす。

 渾身の力と共に。


「――【角折つのおり】」


 兜割り。

 剣尖はそのまま雪這いスノーストーカーの脳天に。

 刃は呆気なく通り過ぎ……しかし、その断面が塞がることはなかった。


「s……」


 牙は柱に噛みついたまま、胴が離れて落ちる。

 そして、そのまま動くことは二度となかった。


 しばしの残心。そして死んでいることを確信したピルカは剣を降ろす。

 やはり先程と同じように父の攻撃だけが通じたことに首を傾げて。


「なんで?」

「見ろ」


 そう言ってアルドは、雪這いスノーストーカーの落ちた胴を足で転がして断面を見せる。中はやはり雪のように白いが、微かに青っぽく色づいた内臓が詰まっていた。


「雪っぽいのは筋肉だけ。内臓はちゃんとある。剣が通じないのは胴体より下の尻尾だけで、頭を目印にして打ち込めば普通に死ぬ」

「……なるほど。そこは生き物と、蛇と同じなんだね」


 ピルカはおっかなびっくりその死体に触れた。掌を通して伝わるのはひんやりと冷たい感触。死後間もないというのに冷えすぎている。


「冷たい……」

「体温が無いんだな。おかげで雪の中だと気付かない。まさに雪這いスノーストーカーだ」


 雪這いスノーストーカーの死体からは血も流れていない。透明な溶けた雪のような体液が滴っているだけだ。まるで最初から死体だったと勘違いしそうな有様だった。


 アルドは憂鬱な溜息をついた。


「これが少なくとも二体以上か……」

「……ヤバいね、これ。私たちもそうだけど、吹雪の中で急に襲われたら……何より村の人たちが」

「ああ。為す術なく捕食されるだろうな」


 保護色、低温。間近まで近づかれても気付くのは不可能。

 ただ、五感に触るものが一つだけ。


「ヒントは匂いだけ、か」


 小屋の中には生臭い香りが漂っていた。雪這いスノーストーカーの体臭だ。これだけは消しようがない。

 それでも吹雪の中でこれを嗅ぎ分けることは相当に困難だろう。

 その難事をこなしてみせた存在に、アルドは思いを馳せた。


「やはりピルカの言う通り、あの牧羊犬の力を借りる必要があるようだな」

「でも、巣の大体の位置が分からないと駄目なんじゃ……」

「それならもう分かった」

「え?」

雪這いスノーストーカーの生態から考えて、間違いない」


 アルドは、スッと壁に空いた穴を指を差した。

 晴れぬ吹雪の空。その向こう側には普段、ヒーカ村を見下ろす霊山が聳え立っている。


「山の上、万年雪の中だ。……まずは、村長たちから山に登る許可を取らないとな」

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