痕跡と遭遇

「これは酷いな……」

「わぁ……」


 破壊されたという小屋は、家畜がみんな逃げ出してしまったというだけあって酷い有様だった。

 壁には大穴が空き……というか、一面がない状態だ。

 なので吹雪がびゅうびゅうと吹き込んで、外と変わりない状態だった。


「家畜は繋いでなかったのか?」

「小屋の中に入れただけだったよ。無用にストレスをかけたら病気になっちまうだろう? ……ま、今となってはやっておくべきだったと後悔してるけどさ」


 案内したペレは、改めて惨状を確認し項垂れる。それも無理ないと思える程の状況だった。

 肩を叩き、アルドは検分を始める。


「足跡は残っていない、か。まぁ吹雪だからな……」


 まず魔物の仕業と聞いて一番に確認したのが足跡だった。魔物を初めとする動物の足跡は特徴的で、物にも寄るが一発で種類を特定可能な大きな手掛かりだ。それが残されていたのなら、話が早かったのだが。

 現場に足跡は残されていなかった。恐らく、吹き付ける吹雪が上書きしてしまったのだろう。穴の外に続いているのは真っ白い雪だけだ。


「ドングが言っていたのは……これか」


 次いでアルドは柱を確認した。そこにはドングが魔物の仕業だと確信した痕跡が残されている。


「爪痕……いや、痕か」


 柱には細い傷が幾本か刻まれていた。鋭い刃物のような物で斬りつけた痕……だが人間がやったにしては力強い。そして両側から刻み込まれていることから、アルドは何かが噛みついた跡だと判断した。

 しかし、だとすると……。


「デカいな」


 等間隔に並んだ牙から測ると、かなり大きいことが分かった。

 それこそ、人を丸呑みできそうなくらいに。


「柱が砕けなかったのは奇跡だな」

「お父さん!」


 背後で声。振り返ると、そこには牧羊犬を連れてしゃがみ込むピルカの姿があった。


「ワン!」

「これ、血痕だよね」


 覗き込むと、そこには藁。その上には、赤い痕が転々と落ちていた。

 微かに匂う鉄臭い匂い。間違いない。血痕だ。

 これも、ドングから聞いていた痕跡。


「そうだな。だが……少ないな」


 最初アルドは、魔物に襲われたのだから、その場で捕食されたのだと考えていた。

 しかしそれにしては、血が少なすぎる。


「喰われてないってことか!?」

「いや、巣で喰うために連れ去ったのだろう。残念だが……」

「そうか……」


 にわかに見えた希望にペレは食い付くも、すぐに失望する。だが、それがアルドの偽らざる見立てだった。

 そして、判断する。


「敵は単体。だが……わざわざ巣に持ち帰るということは繁殖している可能性がある」


 獲物をその場で捕食せずに苦労して持ち帰る理由は色々あるが、一番あり得るものとしては巣で子どもに分け与えることだ。まだ自力で餌を取れない幼体たちに取って帰る。となると、親の個体である可能性が高い。

 そうなれば番が、ともすると群れが存在するかもしれない。この場に訪れたのが単体であっても、まだ油断はできなかった。


「そして一刻の猶予もないな。奴はこの場所を憶えた」

「それって……」

「ああ。また来るってことだ」

「そんな……」


 ペレの顔が青ざめる。当然だ。家畜を攫って巣に持ち帰るような化け物がまたやってくる。その時、攫われるのが人間でない保証は無い。


「巣を叩くしかない。だが、どうやって見つけるか」

「……この子に頼ったらいいんじゃないかな」

「ん?」


 ピルカは牧羊犬を撫でていた。心地よいのか、舌を出しながら尻尾を振って喜んでいる。


「ワン!」

「犬?」

「うん。この子なら、羊の匂いを覚えてる……ますよね?」


 見上げて確認するピルカにペレも頷く。


「あ、ああ。もちろんだ」

「だったら探せるかも」

「……雪で匂いが消えてるんじゃないか」

「だとしても、巣の近くまでいけば嗅ぎ分けてくれるんじゃないかな」


 ピルカのアイデアは、牧羊犬を探知機代わりにしようということだった。

 確かに牧羊犬の嗅覚なら攫われた羊を探すことができる。もし巣の近くまで辿り着くことができるなら、見つけることができるだろう。


「なら問題は、その近くに行くまではどうするかだな」


 しかし、雪で匂いが消えているという問題は解決していなかった。

 巣の場所の見当が付かないなら、探す範囲は広域に渡ってしまう。

 山か、川か、それとも雪原か。田舎であるヒーカ村は自然が多く、魔物が潜めそうな場所など無数に存在する。ノーヒントで探し当てるのは、困難だ。


「……そうだよね。どうしよう」

「うむ……」


 そう、二人が額を突き合せて考えるていると。


「――ワン!」

「ん?」


 突然、牧羊犬が一声鳴いた。

 いや、鳴いたというより吠えた、という声量だった。それだけではない。その場で四肢を踏ん張り、唸りを上げ始める。


「グルルル……」

「何……まさか?」


 直後、耳がザラつく嫌な感覚。アルドは手を剣に伸ばし、バッと翻った。

 振り向くのは、牧羊犬が唸る方向。つまり、穴の開いた壁。


「え? え?」

「……!」


 唐突に張り詰めた空気を纏うアルドにペレは戸惑うが、ピルカは流石に対応が早かった。同じように剣に手をかけ、アルドの隣に並ぶ。


「お父さん」

「ああ、いる」


 確信を持ってアルドは吹雪の中を睨み付ける。

 やがて、それは姿を現わした。


 白い闇の中に、ぼおっと浮かぶ真白い姿。

 大きさは見上げるほどで、手足はなく、細長い。

 鱗や毛はなく、まるでくすんだ氷のようにつるりとしている。

 そして頭らしき場所に、目はない。

 ただ生き物のものとは思えぬほど真っ青な口だけが、顔に付いていた。


「こいつは――」


 まるでのっぺらぼうの大蛇。

 アルドはその名を知っていた。


「――《雪這いスノーストーカー》!」

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