寒空

 ピルカがヒーカ村に帰ってきてから一ヶ月ほどが経った。

 季節は晩秋を迎え、人々は冬ごもりの最終段階に忙しなくしている。

 それはアルドたちも例外ではなかった。


「っ、ふっ!」


 アルドは腕に力を籠め、肩にかけた縄を引っ張る。

 背後に引き摺るのは切り倒したばかりの丸太だった。


「あ、おかえりー、お父さん。わっ、立派だねぇ」


 庭の畑で作業していたピルカが帰って来たアルドを出迎える。


「ああ。これだけあれば冬の間、薪に困らないだろう」

「だね。今年は人数が増えたから多めに用意しなくちゃ……って、増えたのは私なんだけど」

「お前からすれば、増えたのはフリーラということになるのだろうけどな」

「お師匠ーっ、ピルカさーんっ」


 噂をすれば、という奴か。

 丁度、フリーラも村の方向から帰って来るところだった。

 手を振るフリーラに、ピルカも振り返す。


「フリーラ! おかえりー!」

「はいっ」


 抱きついてくるピルカを、片手に荷物を抱えながらフリーラも抱き返す。同年代ということもあって、二人はすっかり仲良くなっていた。たまにピルカが嫉妬の眼差しを向けることも、なくはないが。


「何もらってきたの?」

「メーサおばさまから、野菜と干し肉。後は、卵を人数分」

「えっ! 貰っちゃっていいの!?」

「お孫さんたちがしばらくは街にいってるから、余っちゃうそうです」

「えーっ、悪いなぁ」

「ウチも人数が増えたし、家禽を飼った方がいいかもな」


 他愛ない会話をして、冬ごもりの準備を進めていく。

 寒村の冬は厳しい。特にヒーカ村は王国の北の果てだ。慣れていない者は命を落とす。ある意味、魔物よりも恐ろしい敵だ。

 特に今年の寒波は、例年よりも厳しそうだった。


 ピルカは畑仕事で悴んだ手に息を吐き、摺り合わせて暖める。


「はー、寒いねぇ」

「明らかに去年より寒いですよねぇ。ピルカさんは、これほどの寒さの経験は?」

「流石にないなぁ。秋が暖かいと思ったことはないけど、これはもう真冬みたいだよ。違うのは雪が降ってないことぐらい」

「なるほどぉ……」

「……フリーラは、ヒーカ村の冬は二回目?」


 フリーラはピルカが出て行った後の弟子だ。村で面識もない。

 二年間の間に出来た弟子ならば、冬を迎えるのは二度目であるハズだった。


「はい。去年はもう、ビックリするくらい寒くて……」


 思い出しただけで寒いのだろう。自分を抱きしめるように両手で肩を擦り、二つ結びの黒髪をプルプルと震わせる。


「あんなに雪が降るなんて、もうこの世の終わりかと思いましたよ……」

「あはは、大袈裟だなぁ。……でも、そうなるとフリーラはこの辺の出身じゃないんだね。どこの生まれなの?」

「えっ」


 確かにヒーカ村が北の果てだが、なにも世界でここだけが雪深いワケではない。この辺りの地方で一番大きな街、《旧都ウーンクレイ》でもかなり雪が積もる。そこで育ったなら、積雪に驚くようなこともないハズだが。


「あーえっと、結構遠方なんですよ。だから驚いちゃって」

「ふーん……王都の方ってことかな。確かにあの辺はあんまり雪降らないし」

「あはは……そ、そんなことより、もう今日やる分のお仕事は終わりましたよね?」

「ああ、うん」


 フリーラの言う通り、朝に役割分担した分の仕事は終わった。無論これで万全というワケではないが、本格的な冬に入るまでにはまだ時間がある。それまでに少しずつやればいいだけの話だ。


「じゃあ、稽古しましょうよ!」

「……そうだな。時間も丁度良い。昼食を食べたら、腹ごなしするか」


 引き摺ってきた丸太を丸太置き場に転がしたアルドも頷く。

 そういうことになった。



 ※



 アルドたちの家には道場が併設されている。

 広さは充分で、多少なら暴れても大丈夫なように頑丈に作られていた。


「うぅ~、中でも寒い~」

「仕方ないですよ。ここまでは竈の熱も届きませんから」


 裸足をバタバタさせながら文句を言うピルカを同じく寒そうにしたフリーラが宥める。

 道場に張り巡らされた床は木張りなので、今日のような日は冷え込む。動きやすい道着に着替えれば尚更だ。

 アルドの家は冬場でも暖められるように竈の熱が行き渡るよう造られているのだが、流石にその熱が隣に建てられた道場にまで届くようにはなっていなかった。


「耐えるのもまた修行だぞ」


 そういうアルドもまた寒さに顔を顰めているが。


「動けば温かくなる。さ、やるぞ」

「は~い」

「はいっ」


 それぞれに木剣を握り、稽古を始める。


 アルドの言う通り、動き始めればすぐに汗を流すほど熱くなる。


「はぁっ!」


 柔軟。素振り。型の確認。ウォームアップを一通り終えて、稽古は立ち合い式の指導へと移行していた。

 今は、ピルカがアルドへ遮二無二打ち込んでいる。


「頭、胴、膝……狙いは悪くないが、読みやすいぞ。もっとフェイントを入れろ」

「っ、はいっ!」


 ピルカの怒濤の打ち込みを、アルドは涼しい顔で捌いていく。木剣で逸らし、足捌きで躱し、目測を誤らせて狙いを外す。


「小手……の後に、脇が甘い」

「ひゃん!」


 手の甲を狙った突き出しを、すり抜けるように躱してアルドはピルカの背後へ回る。そして空いていた脇を突っつく。

 不意を突かれ跳ね上がるピルカ。そこへ木剣が脳天へ直撃した。


「あたっ! ~~っつぅーっ!」

「脇は太い血管の通った明確な弱点だ。腕を使う以上完全に隠すことはできないが、今みたいに甘ければさぱっと斬られて失血死するぞ」

「もうっ! だからって触ることないじゃん!」


 道着は動きやすさを確保する都合上、袖が無い。なので脇は肌が丸出しだ。そこを突っつかれれば、くすぐったさに飛び上がりもする。

 特にピルカは脇が弱かった。……それを知っているから、アルドもそんな悪戯をしたのだろう。


「はー……やっぱりお師匠の方が強いんですねぇ」


 その立ち合いを見ていたフリーラが感嘆の息を漏らす。

 何故か胸を張ったのはピルカだった。


「ふふん! そうでしょ、お父さんは私なんかが及ばないほど強いんだから!」

「こら、何を威張るか未熟者」

「あてっ」


 自分の方が弱いと言われて何故か喜ぶピルカの額を木剣で小突くアルド。だがピルカは額を擦りながらも嬉しそうだった。


「へへ……」

「なんだ。王都に行っている間に痛いのが好きな性癖になったのか」

「違う違う! ……お父さんがまだまだ強いのが嬉しくて」


 ピルカはアルドの強さを再確認し、喜んだ。

 王都で、《荒鷲の剣》として活動する中でピルカは確実に強くなった。

 奴隷のように扱われようと、依頼の中で魔物討伐にいそしんだのは事実だ。命のやり取りを繰り返し、ピルカの腕前は確実に上がっていた。

 それでもまだ、アルドの領域には遠い。

 その事実に、ピルカは笑みを深めた。


「ふふ……♪」

「やれやれ」


 アルドは呆れた風に溜息をつくが……内心では、それほど穏やかではなかった。

 ピルカの腕は……自分に迫るほどに上がっている。アルドもまた再確認し、そう確信していた。

 今はまだ、あしらえるだけに差がある。しかしそれも、辛うじてというところ。

 外面は余裕そうに振る舞ったが、内心では冷や汗を流していた。

 予想を超える成長速度だ。あと少し、それこそもう何年もしない内に抜かされてしまう。


「ピルカさん、今の間合いって……」

「ああ、うん。最初にお父さんの剣が上の方にあったから――」


 立ち合いが終わって、フリーラがピルカに質問をしにいく。

 成長しているのはピルカだけではない。フリーラもまたこの一ヶ月で急成長していた。

 同年代で競い合う仲間ができたことが刺激になっているのだろう。また同じ女同士ということもあって、体格や筋力の問題を相談しやすいのかもしれない。

 ピルカとフリーラはお互いに切磋琢磨し、いいところを吸収し合っているようだ。


(子どもは親の想像を超えていくというが……)


 ピルカもフリーラも、ぐんぐん伸びている。

 自分もうかうかしていられない。

 もう少しの間くらいは師匠面が続けられるように、研鑽しなければ。

 アルドは姦しく論議し合う二人を見て、密かに気を引き締めた。


(……それにしても)


 アルドは、道場の小さな窓へと目を向けた。


(流石に、寒すぎるな)


 今年の寒波は並みではない。一度冒険者として出て行ったとはいえ、アルドのヒーカ村で暮らした年月は長い。

 そのアルドからしても、経験の無い寒さだった。


(嫌な予感がする。……何も無ければいいが)


 耳元が微かに、小さくザラつく。

 窓の外では……早すぎる雪がチラホラと降り始めていた。

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