転落への一歩 *ガリオ視点

 一方その頃、王都。

 《岩戸の隠れ家亭》のロビーでガリオ・ソニードは拳をわななかせていた。


「今、なんて言ったぁ……?」


 怒りに震える声で問う。あるいは聞き間違えかと。

 しかし対峙するエルシュはキッパリと首を横に振った。


「聞こえなかったか? 今日限りで宿を出て行ってもらう、と言ったんだ」


 そう言って、ガリオの足元へ袋を放る。それはガリオたちが宿に置いてあった私物だ。


「その手荷物以外の嵩張る物は冒険者ギルドに預けてある。ここにない分はそちらから受け取って――」

「んなこたぁ聞いてねぇんだよ!」


 ダンと拳を柱へと叩きつける。三階建ての宿を支える木製の柱は太く立派だったが、ガリオの怒りを込めた拳には耐えられず、表面が砕けてめり込んだ。

 歯軋りをして、ガリオはエルシュを射殺さんばかりに睨み付ける。


「出て行け、だぁ……? 自分が何を言っているのか分かってんのか?」

「もちろんだとも」


 並みの冒険者なら腰を抜かすような視線にも、エルシュは涼しい顔で頷いた。


「な、何の権限があってそんなことしてんのよ」


 ガリオの陰に隠れるようにして赤毛の魔女、バレリーが問う。


「いきなりこんな……横暴じゃない!」

「宿屋にとってもっともシンプルな理由に寄るものだ」


 溜息交じりにエルシュは告げた。


「君たちはもう、何ヶ月も宿代を払っていないだろう」

「えっ!」


 バレリーはバッとガリオの顔を見た。パーティ財産はガリオが管理している。


「ど、どういうこと?」

「……経ったの数ヶ月だろう。生憎、今は持ち合わせがないだけだ。言っておくが、貧乏なワケじゃねぇぞ」

「ああ。それはそうなのだろうね」


 冒険者は出世しても金回りが安定しない職業だ。依頼ごとに装備を調えたり素材を売却したりする都合上、資産はあっても手元に使える金が少ないということは往々にしてある。なので今手持ちがなくとも、《荒鷲の剣》が貧乏という証明にはならない。S級パーティとして確かな実績を積んでいる彼らには、査定待ちの魔物素材がわんさかとあるのだから。


「でもそんなの、どの冒険者も同じだ。宿代やらを計算して残しておくのは、普通のことじゃないか」

「いやいや。今まで催促とかしてこなかったっしょ」


 ヘラヘラとした態度でバンダナの男、コズモが指摘する。揚げ足だのなんだのを取って誤魔化そうとしているのだろう。

 エルシュは首を横に振った。


「こちらが催促しないことに甘えて滞納することが許されるワケじゃない」

「ぐっ……」


 至極真っ当な反論をされて、コズモは押し黙る。


「それにそもそも宿代の滞納を許していない。ウチに泊まりたがる客は多いからな、追い出したところで次の客が来る。それでもお前たちを置いていたのは、ピルカがいたからだ」

「アァ? あの無能がなんだって言うんだよ……!」


 聞いただけで苛立つ相手の名前を出され、ガリオのこめかみに血管が浮かぶ。


「あの子は友人の娘だ。だからお前らにもお目こぼしをしてやったんだ」


 ピルカがやってきた当初、エルシュは喜んで彼女を迎えた。

 かつてのパーティメンバーの娘。それだけではない。アルドには何度も命を助けられた。

 エルシュは凄腕の斥候だったが戦闘力は貧弱だ。いつも危ないところを守ってくれたのは他のメンバー、特にアルドだった。それを言うと奴は必ず否定したが、エルシュの中では揺らがない真実だ。

 やっと恩を返せる。

 そのつもりで、エルシュはピルカを宿へと迎え入れた。


 最初は全て上手くいっていたのだ。

 駆け出しゆえに大した依頼は受けられなかったが、それでもできることを精一杯やっていた。薬草採取に泥だらけになって帰って来た時も、楽しそうだった。

 エルシュの息子たちとも遊び相手になってくれたし、店を手伝ってくれることもあった。


 他の逗留客との仲も良好だった。

 しかし、それが良くなかった。

 転機は、その中にいたガリオたちと知り合ってしまったことだろう。


 その時までは《荒鷲の剣》も、ごく普通の中堅パーティだった。

 ただ諸事情で前衛が一人いなくなってしまい、募集しているという話だった。

 そこに、ピルカは手を挙げてしまったのだ。


 そうしてパーティに加入して、最初の依頼くらいまではまだよかった。

 だが、ほどなくしてピルカの無能体質が判明してしまった。

 そこからだ。彼女の扱いが奴隷に対するようなものになったのは。


(俺がそこで止めていれば、ああまでならなかったかもしれん)


 しかしその頃には既にガリオたちによってピルカが無能体質であることは吹聴されてしまっていた。

 昨今のスキル至上主義。わざわざ無能体質と分かって雇うことはしない。

 しかしソロの冒険者は無謀だ。どうしたって対処能力に限りが生まれるし、魔物は大抵群れをなしている。

 一人でこなせる依頼は薬草採取が限界で、魔物の討伐となればどれほどの実力差があっても難しいというのが通説だった。

 だから《荒鷲の剣》を追放されてしまえば、もうピルカに行く当てはない。

 ゆえにどんな扱いを受けようと甘んじて受け入れるしかなかった。


 それにピルカはエルシュの宿のことも気にしていた。

 エルシュがガリオたちを追い出して、そのことをガリオたちが悪し様に言いふらせば宿の評判はがた落ちだ。

 自分を置いてくれる恩人に、そんなことはしたくない。

 だからピルカは耐えたし、エルシュの助力もなるべく断った。


 しかしことここに至っては、最早遠慮する必要も無い。

 エルシュが気遣ってきた少女は、もういないのだから。


「もうお前たちを許してやる義理も無い。すぐに出て行け」

「……俺が《勇者》と知って、言ってるんだろうな」


 怒気を立ち上らせるガリオ。確かにその威迫は、《勇者》という称号に相応しいものだった。


二十以上・・・・のスキルを使いこなし、S級の魔物を討伐したこのガリオ・ソニードを知らないとは言わせないぞ」

「ああ、知ってるよ」


 少なくとも王都の人間なら。

 ガリオは張りぼての勇者ではない。確かな実力を備えた、国から称号を与えられるに相応しい実力の持ち主だ。

 通常スキルを持ったとしても一つか二つあれば良い方である今の世において、二十という数は尋常ではない。

 ただ、S級の魔物を討伐したという話についてだけはエルシュは懐疑的だったが……。

 いずれにせよ。


「関係ないな」


 エルシュは吹き付ける熱風ような怒気に対しても、真っ直ぐ立ち向かって言った。


「即刻、出て行ってくれ」

「テメェ……」


 ガリオの気配に殺気が帯びる。

 それを敏感に感じ取ったのか、バレリーとコズモは彼から離れて一歩後退った。

 周囲で成り行きを見守る冒険者も、固唾を呑む。


 腰に佩いた立派な直剣へ手を伸ばしかけた、その時。


「――ッ!」


 ガリオは、冷や汗をひとすじ垂らした。

 抜く。そう心に決めた瞬間、見えたのだ。


 エルシュによって己の首が刎ねられるビジョンを。


「………」


 エルシュは何も構えていない。エプロンを着たただの中年にしか見えない。

 だが《勇者》であるガリオが剣を抜くことを躊躇う何かがあった。


「……ハッ! こんな宿、こっちから願い下げだ」


 剣から手を離し、ガリオは荷物を拾い悪態をつきながら踵を返した。


「精々言いふらしてやるよ! 『あそこは《勇者》を追い出すような愚かで先のねぇ宿だ』ってな!」

「好きにしろ」


 元よりそんなことは覚悟の上だ。


「ガリオ!」


 バレリー、コズモも後を追いかける。

 《勇者》一行という台風が過ぎ去ったことで、ロビーはシンと静まりかえった。


 エルシュは、ひとりごちる。


「やれやれ、だ」


 確かに、ガリオを追い出したことで一時的に評判は落ちるだろう。

 だが、それが長続きするとも思わない。


「ピルカちゃんがいなくなったお前らの、お手並み拝見というところだな」


 今まで何百人もの冒険者を見てきたエルシュの眼力は既に見抜いていた。

 S級パーティ《荒鷲の剣》。彼らが今、没落への崖を転がり落ち始めたことを。

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