また明日

「おかわりいるか?」

「うんっ!」


 涙の跡が残る顔で、それでも笑顔で頷くピルカ。アルドは安堵しつつ、皿によそってやる。

 どうやら、ある程度の元気は取り戻したらしい。


「ほどほどにしろよ。何日食べてなかったんだ?」

「えーと……覚えてないや。王都を出てから、何も口にしてない……と思う」

「いっ……!? それじゃ、一週間の絶食状態だってのか!?」

「そうなる、のかな」


 ギョッとして目を瞠るアルドに、頬を掻くピルカ。

 もしそうなら、弱った胃に普通の煮込み料理は劇薬だ。内臓がひっくり返る。


「今からでも白湯を用意するか……?」

「あ、大丈夫大丈夫! なんか、痛くないし。むしろお腹減ってるから!」


 そう言って、宣言通りピルカはおかわり分もペロリと平らげてみせる。更にもう一杯ねだって、そちらも飲み干した。

 どうやら、胃腸はアルドの想像以上に頑丈らしい。

 更におかわりを要求したのは、流石にやめるよう言ったが。


「ふぅー……」


 ポンポンと満足げにお腹を叩くピルカに、アルドは笑みを零す。

 だらしがないと怒る気にもなれない。自分はむしろ、躾に厳しい親のつもりだったのだが。


「腹いっぱいか?」

「うん! こんなに食べたの久しぶりだよ」

「……もう寝るか?」

「ううん。もう少し、お話していたい」

「そうか……」


 食器を後片付けし、アルドは再びテーブルに座る。そして、表情を引き締めた。

 ピルカの様子は思ったより元気だ。なら、傷を抉りすぎない程度に本題は切り出した方がいい。


「エルシュの奴から、事情は訊いた」

「そっか。……あのね、黙っているようにお願いしたのは私なの。だから、エルシュさんのこと、責めないであげて」

「ああ、分かっている」


 頷く。もうそこは解決済みだ。

 ピルカはそれを一番に気にしていたらしい。あからさまにホッとした表情を浮かべる。


 次は勇者共のことについて聞き出すべきだが……。

 トラウマになっているかもしれない。寄り道して、後でゆっくり聞き出すことにした。

 それに、喫緊にはこちらの方が重要だ。何せ現在の体調に関わるかもしれないことなのだから。


「それで宿を追い出されて、一週間で帰って来たと?」

「追い出されてじゃなくて、私から出てきたんだけど……一週間経ってたんだ。時間の感覚とかなかったから、分かんなかったな」

「どうやったんだ。馬車でも一ヶ月かかるぞ」


 現に、ピルカから届く手紙は一ヶ月遅れだった。もっともこの時代の郵便は荷物のついでに届けられるものなので、ある程度は余計に時間がかかっているのだが。


「うーん。それが無我夢中で……とにかく北の方角を目指せば村に辿り着けるって思って」

「思って?」

「真っ直ぐ」

「まっす……まさかお前、本当に真っ直ぐ突っ切ったのか!?」


 王都からヒーカ村まで、真っ直ぐ道が伸びているワケではない。むしろ山や丘陵が多いので、かなり曲がりくねっている。馬車は道以外を走れないからそこを通らざるを得ない。なので時間がその分かかる。

 だが確かに、道なき道を行けば一週間かからない。

 獣が蔓延るような森や、荒々しく飛沫を上げる急流をものともしなければ、だが。


「なんて無茶を……それであんなに薄汚れていたってワケか」

「うん。……あ、もしかして石鹸使ってくれたの? なんか良い匂いする」

「今気付いたのか。そうでもしないと落ちなかったからな。一個じゃ足りなかったぞ」

「うぅ、恥ずかしい……」


 白い髪を掴んで隠すように、顔を赤くして縮こまるピルカ。確かに年頃の娘を相手には少々酷なことをしたが、緊急事態だったので仕方がない。


 それからも、色々な話をした。

 教えた剣は上達したか。冒険者として倒すのに苦労したのは何の魔物だったか。

 手紙に書いたこと、書ききれなかったことも。


 ただ、勇者共のことにはまだ触れなかった。

 アルドも自ら傷を抉るようなことはさせたくなかったし、またピルカも避けているようだった。

 嬉しかったことだけを報告して、それに頷いて、小腹が空いたら一緒に軽食を作って。

 ただただ、楽しいだけの時間。

 もうしばらくは、このまま過ごしていたかった。


 どれほど時間が経ったのだろう。

 ピルカが席に着いたときにはまだ高かった日は既に傾き、西の尾根に消えようとしていた。


「もう良い時間だな。ピルカ、もうそろそろ休め」

「えー……まだお父さんとお話していたいのに」

「明日にすればいいだろう。もう離れているワケじゃないんだから」

「えへへ……それもそっか!」


 笑って、ピルカは自分の寝室へと続く扉を開ける。

 そして閉め切る前に、扉の向こう側からひょっこりと顔を出した。


「お父さん」

「ん?」

「また、明日」


 どこか揺れている瞳。

 不安なのだろう。今、この時が夢なのだと疑っているのかもしれない。

 明日になったら、消えているのではないか。

 その疑念が、まだ拭えない。


 だからアルドはしっかりと頷く。

 その言葉は何でもない、普通のことなのだと。


「あぁ、また明日」

「えへへ……うん!」


 それで安心できたのだろう。

 ピルカはにっこりと笑みを浮かべ、扉を閉じた。


 残されたリビングで、アルドは椅子の背もたれに沈み込む。


「……そうだ。ゆっくりやればいいさ」


 何をするにしろ、しばらくは休み、日常を送る時間が必要だろう。

 ピルカにはもちろん、アルドにも。

 まずは、元通りになる。だからまだ、いい。


「………」


 このグラグラと煮える腹の底をどうするのか。

 それを決めるのは、まだ。



 ※



「おはよう! お父さん!」

「おう、おはよう。早いな。ちゃんと眠れたか?」

「うん、ぐっすり!」


 翌朝、顔を出したピルカの表情は晴れやかだった。

 どうやら寝ずに夜を明かしたということはないらしい。

 一安心し、アルドは密かに息を吐く。


「なら外で顔を洗ってこい。その後、朝食を用意しよう」

「はーい」


 素直に頷き、ピルカは家の裏手にある井戸へと向かった。


「うぅ、さぶさぶ」


 外でぼやく声が聞こえる。

 昨日の冷え込みは、今日もまた続いていた。

 自分が顔を洗った時もそんなことを言ったな。親子らしい一面にアルドは苦笑する。

 なら同じように温かいものを出してやるか。

 そんな風に朝食の献立を決めようとした、その時だった。


 ギィ、と扉が開かれる。


「? 早いな、もう顔を洗って……」


 井戸から水を汲み上げるのは結構な重労働のハズ。

 意外に思い振り返ると、玄関にいたのはピルカではなかった。


「お師匠!」


 そこにいたのはパッと手をあげ、二つ結びにした黒髪を揺らす少女の姿。

 背嚢を背負い、腰には剣。防寒着を兼ねた布鎧の胸元は、上から見ても分かるくらいに盛り上がっている。

 少女は、華やぐような笑顔を見せながら告げた。


「フリーラ・ケイ! ただいまおつかいから戻りました!」

「……あー」


 そうだった。と思い出し、どうするか、と頭を悩ませる数秒。

 それが命取りだった。


「へ?」

「え?」


 バッタリと、二人は出会う。

 片や、手拭いを首にかけ、水気を滴らせる白髪紅眼の謎の少女。

 片や、何やら大荷物を背負い、父に笑顔を向ける黒髪黄眼の謎の少女。


 二人はお互いの姿を認めると同時に静止。

 そして同時に動き出し、口にした。


「「誰!?」」


 さて、どこから説明したものか。

 アルドは小さく溜息をついた。

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