再会

「……懐かしい夢を見たな」


 とある朝。ベッドの上で目覚めたアルドはそう呟いた。

 あの日から、十数年は経っていた。


「んん……」


 身体を起こすと、バキバキと音が鳴る。身体が鈍っているワケではない。加齢による変遷だ。

 流石に四十を超えると、いくら鍛えても身体の衰えは隠せない。


「ふぅ……王都にいた頃の夢を見た所為か、村の寒さが堪えるな」


 窓を開け、空気を入れ換える。外には牧歌的な風景が広がっていた。

 山裾に作られた棚田と、遠目に見える牧羊犬を連れた羊飼いの姿。寒村でも人は逞しく生きている。

 ここはヒーカ村。アルドの故郷だった。


「フリーラ! ……いや、いなかったな。となると、久々に一人か」


 アルドは名を呼んだが、頭を振って思い出す。そして朝食を用意すべく厨房に向かった。

 といっても寒村の家だ。竈と水瓶があるくらいで、大した設備ではない。


 竈に薪をくべ火を着けると、部屋が暖まっていく。

 その心地よさを感じながら、アルドは水を張った鍋を置いた。

 更にその中へ干しておいた野菜と干し肉を入れていく。

 灰汁を取りながら充分に煮えたところで火から離し、必要な分を木皿によそる。

 竈の火はまだ消さない。床下に掘られた溝を通って、家全体を暖める仕掛けになっているからだ。

 本来は雪が降って出られないような日に使う機能だが、今日のように秋の寒い日なら少しだけ暖めても罰は当たらないだろうと、アルドは少し贅沢をすることにした。


 リビングへと戻ってくる。一人の部屋。それを少し寂しく感じるのは、やはりあんな夢を見たからだろう。


「ピルカが旅立ってもう二年か……」


 アルドは結局、あの時拾った赤子を家に連れ帰ることにした。

 王都の孤児院よりも、ヒーカ村で自分の面倒を見てくれた近所の老婆に預けた方がいいと判断したのだ。

 ただ、帰ってきてみると件の老婆は既に孫たちに見守られ往生していた。

 両親も既に亡いアルドは、結局自分で育てることになってしまったのだ。


 折角だからその老婆から名前をもらい、『ピルカ』と名付けた少女はすくすくと育った。

 珍しい白い髪、ルビーのように赤い瞳をした少女は、よく笑い、よく泣くようになった。

 その徒然に、アルドは右往左往したものだった。


「剣を教えなければ、もう少し一緒に居られたのか……というのは、未練だな」


 チラリと一枚の扉を見て、自嘲気味に呟く。

 その先は家に併設された道場へと続いている。


 アルドの剣術は、代々受け継がれてきたものだ。

 ガイストの名は、実は親から受け継いだ家名というワケではない。

 その流派を修めた者が名乗ることを許される、免許皆伝の証なのだ。


 師から剣を受け継いだ者は、また誰かに剣を伝える。

 流派の伝統に則って、アルドもまた誰かに剣を教えるべく道場を開いてみたのだが……。

 ……これが物の見事に流行らなかった。寂れた寒村に、教わってまで剣を必要とする人間はいなかったらしい。


 そうして落胆する父の背中を見てしまったのだろう。

 ピルカは「あたしがお父さんの剣を継ぐ!」と言い出してしまったのは。


『剣を習って、修行して、そしてお父さんみたいな冒険者になって世界を冒険したい!』


 いつの間にかアルドが元冒険者であったことも村人から聞き及んでいたのか、いつしかピルカはそれが口癖となっていた。

 無論、純粋な外の世界への憧れもあったのだろう。だがその願いの大部分は、父への尊敬と気遣いで満ちていた。

 親として、嬉しくなってしまうのは仕方のないことだ。


 剣を教え、ピルカは真面目に打ち込み。

 そして、旅立っていった。二年前。ヒーカ村の風習で成人と見なされた、十五歳のことだった。

 その時もやはり、ピルカは同じ事を言った。


「あの時は、思わず泣いてしまったな」


 寂しさと誇らしさから号泣し、涙別れになってしまった。

 あの日から、アルドとピルカは会っていない。


「元気にしている、とのことだが……」


 朝食のスープが程よく冷めるまでの間、アルドは手慰みにピルカから届いた手紙を持ってくる。

 二年間の間に届いた便りは、なんと百枚を超える。


「最初は送りすぎと思ったものだが」


 それこそ旅立った当初は、毎日のように届いた。

 冒険者登録ができた。寄った村の人が優しかった。今日食べたご飯が美味しかった。

 何気ない日常も、他愛ない話も。ピルカは全部書いて送ってくれた。


「あの頃は返事が書けなかったからな。だから、量も多くなってしまったのだろう」


 王都に至るまでは、転々とした旅路の途中で一所に留まることは稀だった。なので返事を書いたとしても、届かないかもしれない。そのことはお互い留意していたので、アルドから返事は出さなかった。

 ようやく返事を書けたのは、王都に辿り着き、アルドの知り合いの宿に定住してからだ。


 手紙の量が多かったのは不安もあったのだろう。アルドとやり取りをするようになって、ようやく嵐のように届いていた便りも落ち着いた。


 それからも、近況報告は受けていた。

 どうやら同じ宿に泊まっていた冒険者たちとパーティを組んだらしいということも。

 そしてそのパーティのリーダーが国に《勇者》として認められ、ピルカのパーティがS級パーティとなったことも。

 娘の栄達に、アルドの涙腺は緩みっぱなしだった。


「だが、今は……」


 ふとアルドは表情を曇らせた。そして一枚の便箋を取り上げる。

 直近に届いた手紙だ。しかし、ここ一ヶ月で届いた便りはそれだけだった。


 リーダーが《勇者》となり、パーティがS級に繰り上がった頃。

 それからピルカの便りはめっきり減ってしまった。

 手紙の内容から順調にやっているとの報告は受ける。心配になって聞いてみても、忙しいからと詳しいことは教えてもらえない。

 まぁ、実際にS級ともなれば忙しいのだろう。そう思って、アルドも一応は納得していたのだが。


「しかしもう丸一ヶ月になるぞ」


 先に届いた手紙から、もう一ヶ月近くは経っていた。それだけの間ピルカが手紙を送らなかったことは、ない。


「………」


 心配しすぎ。そう言われては、そうなのだろう。

 便りが無いのは元気の証。親から独り立ちしたのだと、そうも思いたい。

 だが胸中には、いつも拭いきれぬ不安が渦巻いていた。

 何かがあったんじゃないかと。


「考え過ぎ、か」


 それでも無理矢理払拭し、元通り生活するしかアルドにできることはない。

 手紙をしまい、さて完全に冷める前に食べなくてはと、改めて朝食に向き直ろうとした、


 その時だった。


 カタン、と家の戸が微かに鳴ったのは。


「……誰だ?」


 誰何の声。だが返事はない。

 村人なら、すぐに返してくれるハズ。


 アルドは一応剣を手に、警戒しながら扉へ近づいていく。

 一線を退いたとはいえ、アルドは未だ一流の剣士だ。

 扉の前に誰かの気配があることくらい、容易に分かる。


「………」


 強盗。

 頭を過ぎったその可能性が、あり得ないワケではない。

 寒村の、しかも外れの方にあるこの家はなるほど、盗賊から見れば絶好の獲物だろう。

 明らかに実入りは少ないだろうが、食い詰めた輩ならば、あるいは。


 手にした鞘からいつでも抜けるようにしながら、アルドは扉に手をかけた。


「……もう一度聞くぞ。誰だ?」

「……ぁ」


 やはり人がいた。扉の前で、微かな吐息が漏れる。

 それを聞いた途端、アルドの耳がザラついた。

 何度も感じてきた、何かの予兆。

 行動しなければ、取り返しのつかないことになる。そういう経験。


「………」


 アルドは扉を開けた。勿論、その瞬間に斬りかかられても対応できるよう身構えて。

 しかし扉を開け放った先にいたのは、予想とあまりにも外れていた。


「……?」

「……ぁ」


 あまりにも見窄らしい格好の人間だった。

 まず、全身が煤けて真っ黒だ。多種多様な汚れに塗れているのだろう。髪の色は愚か、肌の色すら黒色の潰されてよく分からない。まるで野良犬のような汚れ方だ。

 そして衣服もどうやらまともではない。千切れかけた襤褸切れと呼ぶのが精々か。元から粗末な造りだったのだろう、穴だらけで辛うじて身体を覆っているというくらいだ。浮浪者ですら、もっとまともな物を着ているのではないのか。そう思えてしまうような格好。

 背は低い。なので男ではなく女なのかもしれない。しかしだからといって煽情的な気持ちも起こらなかった。何せ服と肌の色が判別つかない程なのだ。


 あまりにも汚らしい人間。アルドは訝しげに問い質した。


「何の用だ?」

「ぁ……ぁ……」


 汚い人影は先程からか細い吐息を漏らすだけだ。

 その小さな音が、一々アルドの耳にザラつきをもたらす。

 まるで誰かにしつこく肩を叩かれているようだ。

 早く気付け。さもないと取り返しがつかなくなる。そう言っているかのように。


 その感覚を不快に思い、されど無視もできない。

 アルドは今一度、襤褸のような人間をよく観察した。


「……? 剣?」


 そうしてよく見ると、人影は剣をぶら下げていた。

 汚い容姿でそれだけは丁寧に磨かれているようだった。鞘も持ち手も、年月でくすんではいるもののよく手入れされている。アルドと大差ないほどだ。

 そして……その剣に、アルドは見覚えがあった。


「まさか」


 それは、ピルカが旅立つことを決めた日に送った剣。

 村の鍛冶師に頼み込んで、アルドの監修の元に鍛えてもらった、餞別の剣だった。


 だとすると。

 この、汚い少女は。


「……ピルカ、なのか?」

「あぁ……」


 ボサボサの髪の隙間から、透明な雫が流れ落ちる。


「おとう、さん」


 それを最後に呟いて。

 少女はその場で崩れ落ちた。


「おい、おい! ピルカ!?」


 力尽きたように倒れる少女を受け止め、アルドは肩を揺さぶる。

 間近で見てようやく確信が持てた。彼女は紛れも無く、自分の一人娘であるピルカ。


 だが、何故。


「一体、何があったんだ……!?」


 どうしてこんな姿に。どうしてここにいる。

 アルドはワケも分からず、ただ介抱するために急いで家へと運び込んだ。

 変わり果てた姿の、愛娘を。

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