信じて送り出した愛娘が追放されて帰ってきた ~一緒に冒険をやり直している内に、勇者は勝手にざまぁされていくようです~

春風れっさー

出会い

 時刻は昼下がり。空は快晴。行き交う人々は今日も忙しなかった。

 急いで過ぎ去ろうとする馬車と、轢かれかけて怒号をあげる酔っ払い。

 看板娘の粋な客引き。道端でジャグリングをする大道芸人に、それを見てきゃあきゃあ笑う子どもたち。

 王都の街はいつも通り賑やかだ。

 だから――引退日和なのだろう。


「はぁ……」


 その溜息は落ち込んでのものか、それともやっと解放されるという安心からなのか。

 自分でも分からず、アルドはそれが原因でまた溜息をついた。


 荷物を背負い直し、王都の道を歩き始める。

 何年も住み着いた街を離れるにしては、思ったより軽かった。

 腰に佩いた剣よりも軽いかもしれない。

 だが……この剣もきっと、その内捨てるのかも分からない。

 もしその時が来たなら、自分には何が残るのだろうか。


 アルド・ガイストは冒険者だった。

 前衛で、剣士。他に頼れる技も術もなく、剣一本で成り上がってきた。

 難しい依頼もこなし、仲間からも信頼され、時折失敗はあれど順風満帆にやってきたつもりだ。

 つもりだった。


 だが、先日受けた討伐依頼でアルドは致命的な失敗をした。

 依頼自体は果たした。最後の意地めいて。だが拭いきれない失態の跡が、アルドの身には刻まれた。

 その、左目に。


 眼帯で覆ったその下に、光はない。

 魔物の爪を避け損ね、アルドはその左目を抉られた。

 仲間の治療を受けたが視力は戻らず、視界半分は永遠の闇に閉ざされた。医者に罹ったが、もう戻る見込みはないようだ。

 視力を失って剣士としてやっていける自信が無い。

 アルドは冒険者を引退することを決めた。


「意外と短かったな」


 そう呟く己の声は、まだ若い。いつか来るであろうこの瞬間を想像したときよりも、ずっと。

 剣しか取り柄のない自分が冒険者を始めたとき、自分は一生を冒険者として過ごすものと思っていた。中年になっても爺さんになっても、しがみついているようなそんな冒険者に。

 だが実際は、三十代にすらならず去ることになるとは。


「――アルド!」


 喧噪を切り裂くような凜とした声が、アルドの背に届く。

 振り返るとそこには、長い金髪を後ろで纏めた美女がいた。

 走ってきたのか息が切れ、豊満な胸元が上下している。

 アルドは名前を呼んだ。


「ヴァリア、か」

「……辞めるというのは、本当か」


 懇願するような声音だった。否定してくれと。

 しかしアルドはそれに気付きつつも、嘘はつけなかった。


「ああ。故郷に帰ることにするよ」

「何故だ! 辞めることはないだろう! お前ほどの実力ならば、隻眼になったところでそんじょそこらの輩に劣るものではあるまい!」

「そりゃあ、チンピラならな」

「なら――」

「だが、ドラゴンやらなんやらと切った張ったは無理だ」

「ッ!」


 冒険者の仕事とは冒険。つまり荒事だ。

 害獣を退け、暴漢と斬り結び、異形に挑む。

 そんな命を賭ける鉄火場に、余計なハンディキャップを背負った人間が出しゃばるなど。


 それに冒険者として成り上がるということは、受ける依頼の難度も上がっていくということだ。

 敵はより多く、強くなっていく。

 今受けられる依頼で不可逆の重傷を負ってしまった自分がこの先もやっていけるとは思えるほど、アルドは楽観的ではなかった。


「身を引くのが賢明なのさ」


 それが、仲間のためにもなる。

 こんなお荷物を抱えさせて、パーティメンバーたちを困らせたくはない。

 足を引っ張りたくないからこそ、アルドは引退を選んだ。


「……そう、か」


 ヴァリアも理屈は理解できる。彼女も腰に佩いているように、剣士の端くれなのだから。

 それでも納得いかない感情が迸り、その拳を握り込ませる。

 だが、それ以上にその激情を現出させることはなかった。


「……達者でな」

「ああ。エルシュたちにもよろしく」


 ただ、それだけ。

 ヴァリアから辛うじて告げられた別れの言葉を受け取り、アルドは踵を返す。

 その背中を切なげに見つめる視線があっても。

 アルドが振り返ることはもう、なかった。


 ……それから、どれほど人混みの中を歩いただろう。

 王都の大通りはやはり大きく広く、抜け出すのに時間がかかる。


「ここで迷って餓死したなんて与太話も、案外嘘じゃないのかもな」


 そんなことを嘯きながら、アルドは萎えかけた足を叱咤し歩を進める。

 今日中に故郷へと続く乗合馬車に乗らなければ。

 でなければ別れを告げて颯爽と出てきたというのに格好が付かない。


 ……だというのに。

 アルドはピタリとその足を止めた。


「………」


 ジッと見つめる先には、暗い路地。

 ひっきりなしに行き交う人々が目もくれない裏路地だった。


「……声?」


 アルドは己の耳にザラつきを覚えた。微かな何かが耳を掠めたのだ。

 冒険者として活動している間にも何度かあった現象だ。そして大抵、よくないことが起こった。

 魔物の奇襲。盗賊の罠。碌なコトがなかった。

 だが、無視してはいけない感覚だということを、アルドは身を以て知っていた。


「………」


 路地裏に向けて踏み出す。

 大通りは明るい陽が燦々と差しているというのに、その路地は切り抜かれたように闇が覆っていた。

 ヒヤリと肌を撫でる空気。漂う据えた匂い。それで冒険者として腕を鳴らしたアルドが気圧されることはないが、それでも心情的にはあまりいたくはない場所。

 だが外界から切り離されたことで、耳を掠めたモノの正体はハッキリとした。


「赤ん坊の、鳴き声」


 耳を劈く、本能的には不快なそれを辿ると、確かにいた。

 薄汚れた布に包まれた、赤子。それが路地の中に捨て置かれるように。


「ぎゃあ! ぎゃあ!」

「こんなところに……しかも籠にすらいれられず」


 十中八九捨て子だ。

 しかもこの粗雑な有様を見ていると、誰かに拾って貰うつもりがあったのかも怪しい。

 こんな路地裏に捨てられ、誰にも気付かれず。

 そのままひっそりと死に絶える。……そんなことを望んでいるとしか思えない。


「ぎゃああ!」

「………」


 アルドはおっかなびっくり赤子を抱き上げた。

 布越しに伝わる自分より高い体温。そしてあまりにも儚いその体躯を感じ取る。

 なんて弱い命か。


「あうっ……ひっく」


 誰かが抱きしめたことで少しは安心できたのか、あるいは単に泣き疲れたのか。

 赤子はアルドの腕の中で泣き止んだ。

 涙と鼻水に濡れた顔で、アルドをキョトンと見上げている。


「どうしたものか……」


 普通に考えれば、王都にある孤児院などに預けるべきだろう。

 だが王都で働く都合上、その現実を目の当たりにしてしまっていた。

 最低限の支援しかしない富裕層。劣悪な環境におかれて澱んだ目をした子どもたち。

 アルドの寄付金も焼け石に水だった。

 そんな場所に、送り出すのか?

 この手の中にある命を。


「………」


 それに、今日中に王都を出て行きたい。

 恥ずかしい思いをしてまで居残り、気まずくヴァリアに向き合うのは、どうにも。


「………」


 なら、どうするか。

 熟考を重ねて、出た答えは。


「……実家ウチに、来るか?」

「う?」


 赤子にそう問いかける。

 自分とは違う、赤いルビーのような瞳が見上げてくる。


 ……それが。

 アルド・ガイストと、ピルカ・ガイストの出会いだった。

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