第2話
それから幾ばくかの時間が過ぎ、目を覚ました俗はソファーの上からすっかり明るくなった空模様を眺めていた。
「随分とまあ、ぐっすり眠ってくれたわね」
いつもなら夕方に起きる俗からすれば昼間に起きた分だけ頑張ったといえるが、空気を読まない鬼の娘はその名に違わぬ性格の悪さを見せてくれた。
「それで、いつになったら消えるんだ」
彼女をなるべく視界に入れなように呟く俗。
残念ながら、目が覚めたら全てが元通りという幻想は虚しくも塵となった。現実は現実としてただそこに存在し続け、彼の前に立ちふさがっている。
変わったことといえば、いつの間にか起き上がったお掃除ロボットが軽快な吸引音を奏でつつリビングを走り回っている事くらいだろうか。
「消えないわよ。暫く厄介になる事にしたわ」
厄介だと? お前は最初から厄介者だっただろ。というツッコミはさておき、俗は自分の耳を疑って聞き返す。
「いつ決めた、誰が許した。ここは俺の家で、俺が家賃を払っている。何より、亜人は嫌いだ」
俗の言葉を聞いて、少女は始めて目を丸くした。
「不服があるの? あなた、もうずっとソロで冒険をしているらしいじゃない」
確かに、俗はソロ冒険者である。それも、一人が好きだとか足手まといは要らないだとかの事情ではなく、単純に誰もパーティを汲んでくれないという理由で。
なにせ迷宮は完全に踏破してしまうと、少し大きな結晶と引き換えに自壊が始まるのだ。
政府としても崩壊の際に周囲へ危険が掛かるという理由で個人での踏破。というか、最後の部屋に置いてある結晶を持ち出すことを禁止していた。
そんな訳で、ルールを無視した行動をする者にはある程度の罰則が与えられる事となっており、俗は周囲から距離を取られていた。
……罰則が下っているという事はつまり、前科があるという事でもある。
「ソロで不便を感じたことはない」
「感覚が鈍くなっているのよ。それに、不便じゃないだけで実際は給金も減っているんじゃないの?」
冒険者における仲間の存在とは加算ではなく乗算だ。当然人数が減れば対応幅にも差が出てくるわけで、それが給料自体にも響いてくることは道理といえる。
問題は、なぜ彼女が俗のソロ活動を知っていたのか。
「お堅い役所の連中の中にロリコンが混ざっていたか? いや、言わなくて結構。知りたい訳じゃない」
その瞬間、彼女の体が黒い液状と化してベッドに沈み込んだ。
墨汁の液でも垂らせばそうなるような動作、しかし直前まで彼女は生身の人間、いや、生身の亜人だった。筈である。
俗は自分の目を疑う暇も無く、気が付けば、少女に馬乗りにされていた。
首元には鋭利なナイフが突きつけられて、薄っすらと血が滲んでいる。この能力を使えば情報の出所など言うまでもない。その事を体現したのだ。
「なるほど、便利な能力だ。夜這いにはうってつけだっただろう?」
「この状況でも減らず口が叩ける事は褒めてあげる。でも、遺言ならもう少し言葉を選びなさい」
俗は押さえつけられた体を見下ろした。手足は拘束されているが体格では勝っているので抜け出す事自体は苦労しないだろうが、問題はその前に喉笛を書ききられかねないという事。
つまり、絶体絶命の状況である。
「余計な気を起こす前に教えてあげるけど、私は特異体質で死んだとしても特定の場所で何度でも生き返るの。そして、あなたが眠っている間に復活する場所をこの家のベッドに設定しておいたわ」
「……不死種かよ。噂に違わぬ奔放ぶりだなクソが」
俗は昨晩に彼女を山奥で殺そうとしていたが、そもそも死なないなら意味が無かった訳だ。道理で剣を向けられてもおびえないわけである。
寧ろ、彼女の反感を買って嫌がらせをされる可能性だってあった。
部屋を荒らされるとか。
「私はどれだけ時間が掛かってもこの世から人間を絶滅させるわ。亜人も、人類も。手始めに私以外の亜人を全て殺してから人間を殺してあげる。どう?アナタの目標とも重なるところがあるわよね」
ダンジョンを破壊しながら亜人を殺して回る。その後の人類に関してはさておき、その行動は確かに俗と一致するといえた。
それに彼女はそもそもが不死種という埒外で冗談みたいな存在だ。
俗の協力がなくともきっと何時かは達成できるだろう。だが、それが何年、何十年、或いは何百年後になるかは分からない。
ならば自分が協力してその時間を減らしてやるのもやぶさかではないと、俗は思ってしまった。
その後の人類滅亡に関しては途中で飽きてくれればよし。さもなくば、人類に魔の手が襲い掛かる前に彼女を殺せばよい。
不死種の討伐に何をすれば良いかなんて知ったこっちゃないが、それも一緒に行動している内に閃くかもしれないだろう。
「どのみち亜人は全員殺害対象だ。後か先かの問題でしかないのなら、精々利用し尽してから捨ててやるよ……」
すると鬼娘はそのままの体制のまま妖艶に目を細めた。
「そう、じゃあ私もアナタを殺すのは最後にしてあげる」
少女は笑っていない顔で言う。
「……笑えねぇ冗談だ」
◇
そして、その後。俗は迷宮へと向かった。
だが今日という日に関して、彼は仕事を休む予定でいた筈である。
懐こそ暖かくはないが、一応昨日はそれなりに大きな仕事もこなしているし。お掃除ロボットを買い替え、食料品を買い出し、ピカピカに磨いたキッチンで優雅なランチを楽しもうと思っていたのだ。
……それがどうだ。家に帰ってきた時には憎き亜人から空き巣を食らい、聖域とも呼べるベッドを荒らされていた。そして、その亜人から脅されて共闘まで約束させられた。
(これは、俺の運が悪いのか?)
俗はそう首を傾げる。
昨日の出来事を擁護するわけではないが、彼だって普段から定員に対して大きな態度を取る人間ではないのだ。
人を馬鹿にもするし、騙しもするし、セクハラだってする。政府や周囲の人間からは問題児として認識されているが、問題行動といえばダンジョンを踏破しようとするくらいのもので。
暴力に訴えた事だって数えるくらいしか無いのだから、ならばして普段の行いも冒険者の中では寧ろ善良な方だと言える。少なくとも彼はそう思っていた。
休日を返上してまで迷宮に行こうと決めた理由は、折角起きたのだから早くに行って早くに帰って来ようという目論見が無かったわけではない。
金が無かったので小銭を稼ぎに出かけたという捉え方もできる。
しかし、元を辿れば鬼娘と一緒の空間に居たくなかったという考えが先行していた。
「そういえば、アナタ。迷宮に行く前に能力の入れ替えをしないのかしら?」
なのに、少女は俗が迷宮へ行こうとしている事を目敏く察し、着いてきている。
「頼む、殺させてくれ。もしくは死んでくれ。俺に迷惑が掛からない所で」
「無理な相談ね」
一考の余地も無くピシャリと言い放った少女に。だろうな、と俗は空を仰ぐ。
「……言っておくが能力の入れ替えだって無料じゃねぇんだ。変えるにしても、お前の"底"を見てからに決まってるだろ」
当然、パーティが一人と二人では、持つべき能力も変わってくるだろうが。とはいえ俗は少女の能力が不死と仮称液化だけだとは思っていない。
シナジーがあるかも分からない能力に変更して普段の戦い方を制限されるくらいなら、リスクのある上振れを狙わず堅実に戦いたかった。
当然、彼女を信用しきれていないという事も原因の一つだが。
そんな初歩的な事すら考えが及ばないのは、彼女が生まれ持った能力で固定されている亜人だからか。
「へぇ、具体的にどうやって能力を変えるのかしら?」
きっと少女は分かった上で好奇心に身を任せたのだろう。俗はそう決めつけて敢えて強い言葉を考える。
「簡単だ、お前ら異形をぶっ殺して結晶を取り出す。それを加工した魔道具を使って能力を覚えんだよ」
そして、能力を保持できる限界は全人類平等に十つと決まっていた。上限を超えて覚えようとすればどれか一つを諦めなければならないのだが、狙った能力だけを削除するのも手間なのである。
しかし手間というのは純粋な人間からすればの話で、亜人である鬼娘はというと「羨ましいわね簡単で」とシニカルに笑っていた。
「因みに、学のないアナタは知らないのでしょうけれど、亜人に対して異形と言うのは差別なのよ」
「……何分俺には亜人も異形も一緒に見えるもんで」
悪びれずに肩を竦める俗に対し、少女は舌打ちを一つ。殺すぞと呟いた。
(殺したい相手と一緒に行動するか?普通)
「……そもそも、どうしてお前は俺に執着するんだ。別に他の奴と組む事だって出来ただろ」
「居ないわよ、大した利益も無いのに政府に対して楯突く馬鹿なんて。仮にいたとしても口だけか最初だけ。最後の最後まで、日本を敵に回してまで、ダンジョンを潰して回ろうという気概を誰しもが持っていると思っているの?」
俗はそれもそうかと納得しかけたが、
「待て、じゃあお前は何を目的に人類の滅亡を目論んでいるんだ」
「……あら、気になるの? 私のプライベートが」
「やっぱ聞いてやらん。知っても最後に殺す決意が揺らぐ訳でもないしな」
決意が揺らがないからこそ聞いておくべきなのだろうが、俗は咄嗟にそう言ってしまった。
先ほどの件もあり、彼女にマウントを取られることが癪だったのもある。
そうこう言い合いながら街を歩いている内に、とうとう二人は迷宮の麓にまでやってきていた。
「精々、足手纏いにならないよう頑張りなさい」
「お前こそ死んでくれるなよ? 俺の部屋が汚れるんだから」
初めての共同作業が、始まる。
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