第6話 斜陽

 放課後、職員室から帰ってきたロイス(綾人あやと)のポケットが振動する。千冬ちふゆからのメールであった。このわずかな時間でロイスはかなりスマホを使いこなせるようになっていた。手慣れた様子でメッセージを確認する。


【超極秘 新しいセーフハウスが決まったので今日からそっちに帰宅するべし。場所は以下の画像から確認すること 以上】


 という簡素なメッセージであった。ロイスは超極秘という文字がちょっとアホっぽいなと思いつつ、送られてきた画像を確認した。そこにはかなり高級そうなタワマンの画像が表示されていた。住所も画像に書いてある。808号室らしい。


 くるりと教室を見回すロイス(綾人あやと)。既に天宮神無あまみやかんなの姿は無かった。昼に酷い目にあわされた須崎すざきのグループの姿もない。


「(……しまったな。護衛対象を見失うとは)」


 既に帰ったか、部活動に行ったか分からない。変な気を回した担任に呼び出されたせいだ。まあいじめの事実を知りつつも黙認するような教師である。2カ月ぶりに登校した生徒を形だけでもフォローをした履歴が欲しいのだろう。極めて簡素なヒアリングであった。


「おや、高瀬たかせ氏帰らないでござるか?」


 声を掛けてきたのは広田ひろたであった。


「ちょっと聞きたいんだけど、天宮あまみやさんって何か部活やってるのかな?」


 この国の高校生は授業の後、部活動という課外活動を行っている生徒が多いこともロイスはスマホで調べて知っていた。


「む?天宮あまみや氏ですかな。確か何も部活には入ってなかったと記憶しておりますが……高瀬たかせ氏昼も天宮あまみや氏を気にしておりましたな。……まさか!!」


 瞬間カッと目を見開き、ロイス(綾人あやと)の方をがっちりと掴む広田ひろた


「悪いことは言わないでござるよ高瀬たかせ氏。天宮あまみや氏は諦められよ。あれはとても人の心を持っているとは思えぬ氷姫こおりひめ。今まで数多の男がその美貌にあこがれ告白するも、全てトラウマになるレベルの酷い言葉で振られた伝説をまさか知らぬわけではありますまい」


氷姫こおりひめ?」


「みんな天宮あまみや氏を揶揄してそう言うのでござる。氷のような心と表情の美人ってことらしいでござるな」


 もちろんそんなことをロイスが知るわけがないのだが、どうも広田ひろたはロイス(綾人あやと)が天宮神無あまみやかんなに好意を寄せていると勘違いしてしまったようだ。さすがにそれが分からないロイスではない。


「違うよ、そんなのじゃないって」


「む、そうなのでござるか?なら良いのでござるが。それはそうと高瀬たかせ氏、この後時間があるならラーメンなど食いに行きませぬか?最近見つけた店がかなりの一品でござってな……」


 広田ひろたが得意げに最近行ったラーメンの話を流ちょうにし出したのでロイス(綾人あやと)は急いでそれを止めた。


「あ、ありがとう。でも今日は遠慮しておくよ。少し大事な用があってね」


 ロイスは見失った護衛対象を今からでも探しに行かなくてはならなかった。


「なるほど、用があるのなら仕方ないで御座るな。ラーメンはまたの機会に」


 ロイスは少し寂しそうな広田ひろたを尻目に足早に教室を後にした。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 夕日が赤く染まる頃、ロイス(綾人あやと)はタワーマンションの入り口に立っていた。


「……結局見つからなかったな」


 ため息交じりの落胆である。いくらロイスであっても昨日来たばかりの異世界で行動原理も何も分からない他人を見つけることなど出来なかった。当然である。まあ、よかったことと言えば町中探し回ったのでここいらの地形が頭に入ったぐらいである。


 しかし、かなり大きなマンションだとロイス(あやと)は見上げて思う。下手すると自分がいたシュラ国の王城より高いんじゃないかと思う。見た目もかなり高級な造りだ。


「……あれ?開かない……」


 マンションの入り口まで来たロイス(綾人あやと)は困惑した。入り口のガラス張りの自動ドアが開かないのである。勿論セキュリティがあるのでキーがないと入れない。しかし、ロイスはそんなことなど知るはずがない。千冬ちふゆからのメッセージにはこのマンションの場所と部屋番号しか書いていなかったからだ。


 そこでロイスはピンとくる。自動ドアの向かって右側にあるコンソール。そこには何やら数字が羅列した盤とその上に小さい液晶があった。ロイスはそのコンソールに808と打ち込んで呼び出しボタンを押してみる。何度か家主を呼び出す音が響く。しかし、何回鳴らしても応答は無かった。どうやら千冬はまだ帰ってきてないらしい。


「困ったな、一体どうすれば……」


 万策尽きて途方に暮れるロイス(綾人あやと)。

 その時エントランスから一人の女性が歩いてきた。薄い青系のスポーツウェアを身に纏いいかにもこれからランニングに向かうと言わんばかりのその女性にロイスは見覚えがあった。


「……ん?」

 その女性は自動ドアの前で立ち往生する不審な人物に目線を向けた際一瞬動きを止めた。


 それは間違いなく今回の護衛対象である天宮神無あまみやかんなだった。


「あなたは……、確か同じクラスの……」


 なんでお前がここにいるんだと言わんばかりの目でロイスを見る神無かんな。どうやらこのマンションの住人の様だ。


「こんにちは天宮さん。実は今日からここに引っ越すことになったんだけどまだ誰も帰ってきてなくて入れなくて困ってたんだよ、はは」


 突然の護衛対象の登場に若干戸惑うロイス(綾人あやと)。神無かんなはロイス(綾人あやと)の話を聞くとその美しい顔を訝し気に顰めた。


「へえ、そうなんだ。あなたのご両親事業が上手くいってるのね」


「え?」


「だって普通よりちょっと稼いだぐらいで入れるようなマンションじゃないわよ、ここ」


 恐らく家賃のことを言っているんだろうということぐらいは分かった。一体どれくらいの金額なのかはロイスには見当もつかない。


「ま、私には関係ないわね。じゃ」


 そう言ってあっさりと去っていく神無。これからランニングなのだろう。とても高校生とは思えないプロポーションはこういった日々の努力の賜物なのだとロイスは思った。


「あ、そうだ」


 かと思ったらすぐさま振り返る神無かんな


「余計なお世話だけど、あんたも少しは体鍛えたら?そんなへろへろだとまた須崎すざきたちに馬鹿にされるわよ。このマンションは居住者なら誰でも24時間使えるジムがあるから」


「あ、ああ。教えてくれてありがとう」


「別に。見ててむかつくのよね。あんたたち」


 神無かんなはそう吐き捨てるように言うと今度こそ走り去っていった。学校では話しかけるなというオーラをロイスは嫌なくらい感じていた。


「……あれ?」


 しばらく神無かんなが走り去った方向を眺めていたロイス(綾人あやと)は神無かんなが立ち止まっていた場所に何か落ちているのを見つけた。ロイス(綾人あやと)はそれを拾い上げる。


「なんだろうこれ」


 それは手のひらに収まるくらいの水色の物体であった。強いて言うならロイスがこの世界に来る前によく見た魔物、スライムによく似ていた。小さいチェーンのようなものもついている。


 恐らく神無かんなの落とし物だろう。これから追いかけて行って渡してもいいがあの感じだと冷たい態度を取られるのはロイスであっても容易に想像できた。


「……明日でいいか」


 どうせ明日も学校で会うのだ。ロイスはスライムの形をしたそれをポケットに入れるのだった。とりあえずロイスは神無のランニングコースを把握しておこうと神無に気付かれないように尾行を開始した。

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