物置の掃除

 日曜の昼下がり、彼女を待っていたのは突然の知らせと断れない依頼だった。朝の苛烈な眠気と空腹を乗り切り温かい食事、推しの番組を消化しおえた彼女は夢に再び盛ろうとソファに体を横たえたばかりだったというのに、人情的な電子音がスマートフォンから電話を伝える。


「え、えぇ。今から、ですか?」


 サークルの先輩の声は悲しいとも、嬉しいとも読み取れない無機質で抑揚の大きい声だった。


「うん、人手が足りなくって、ほら、貸しあるでしょ?」


 講義の資料や過去の問題をよく貰っていることを盾にされてはなにも言い返す言葉もない。諦めの境地で彼女は了承した。


「わかりましたよ、その駅前で待っときますから迎えに来てください」


「うんうん。終われば奢ろうか、また手伝って貰いたいしね」


 先輩は彼女自身よりも遙かに彼女の扱いというものを熟知している。

 着替えのために立ち上がっていた彼女はふとカーテンを開けて外をみた。


 雨。


 髪に服にその他諸々、面倒になった彼女は急用の電話を一本いれようとしたが、先輩の顔が脳裏に張り付き真っ赤になって支度を始めたのだった。






 *






 ソワソワしながら運ばれた先は見知らずのお宅、古くとも新しいとも断定できない一般住宅である。人手がいるようなゴミ屋敷なのだろうかと窓を眺めているとドアが独りでに空いた。いや、晴れた天気の下で先輩が開けてくれたのだ。


「話し終わったから行こっか。片付け」


「ゴミ屋敷なら帰りますからね」


「タクシー高いよ?まあただ、物置を掃除するだけだよ」


 彼が指さす方向には金属製の赤さびが目立つ物置が佇んでいた。


 目論見通り動きにくい扉をギギギとこじ開けると長い間溜まっていた埃が宙に舞う。ボールや絨毯、ぱっと見使い道の分からない道具類が煩雑に置かれ、まさに適当に物を詰めてきたのだろう。彼女は埃から逃げるように雑草だらけの庭に戻った。


「ぇえぇ、これ全部は明日までかかりますよ……」


 住民が片付ければいい、とは言わなかった。もし金銭を貰っているのであれば、奢られることにも合点がいく。


「掃除だけだよ。ほら、埃。溜まってるだろ?」


「えっ」


 物置の掃除と聞いていた彼女は偏見で中身を処分することだと解釈していたが、先輩が請け負った仕事は白い埃掃除らしい。一気に下がったハードルに持ち込んだ手袋に体が勝手に向かっていた。無意識は早とちりだった。


「やりますよ。掃除得意なんで」


 掃除機、クリーニング剤を駆使して物置の中身を綺麗にしていくのは苦ではない。処分するためにものを移動させることが苦行なのだ。彼女は夜までに終わると確信して先輩の苦笑いすら気にも留めず綿埃を黒いゴミ袋に詰めていき、瞬く間に舞い上がる埃が激減する。


 余裕が生まれると思考が蘇り無駄なことを考え付く、彼女は先輩の顔を見たいがために質問をした。


「そういえば、なんで先輩がここの掃除をしようと思ったんですか?」


 先輩は掃除の手を止める。


「部屋の整理って、家族がするものだろ。それが、してないって最近知ったんだ」


 彼は机の上からオモチャを手に取った。

 黒くて汚れているが戦隊シリーズなどのオモチャだろう。それらしきエンブレムに埃が積っている。


「子供ころよく遊んだなぁ……十年ぐらい前になるのに、ずっとここにあったんだ、馬鹿正直なやつめ……あぁ、ここの物置って、あいつの部屋だったんだよ。そのサッカーボールは俺のおこずかいで買ったプレゼント」


「あの、ここ物置ですよね」


「そう、物置。一人部屋にはちょっと狭い物置」


 彼の目は揺れている。

 そして彼女の掃除の手は完全に止まり、突然人間味が溢れだしたものたちを見渡した

 段ボール箱には夏服と書かれ、冬服と書かれた段ボール箱が開けっ放しになっている。引き出しの取ってはすり減り、椅子のクッションには尻の跡が付いている。


「もしかして」


「ちょっとした事故だったらしい。サークルの集まりで宅飲みと焼肉、嬉しがってたんだけどな……」


 彼女は何も言えなくなってしまった。そして黙々と掃除をするしかなうなり、先輩もないも言わず手を動かした。


 ものの一時間で掃除は終わり、埃は全く浮いていない空間になった。彼女は先輩の言い訳を受け入れてその気持ちに寄り添おうとした。贈り物を送るまでの関係だったのだから、長い人生の一瞬の思い出に刻まれている筈で、短い記憶の一部分を刳り貫いて立っているのは相当つらいだろう。


 彼女は蒼白な彼の顔に赤い口紅を付けたくなるのを堪えて言う。


「行きましょう、先輩。それと……どこか綺麗な場所に行きませんか?」


「……」


 癒したい、その一心で付け加えた。


「ちょうど行きたい場所があるんです。夕日がきれいで、近くに美味しい食べ物屋さんもあるらしいです」


 不安定な天気はまた、雨をしとしと降らし始める。建付けの悪い扉をそっと閉じて、二人はどこか遠きに消えていった。

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