第10話 共犯


 拾った麻紐を持ち手に通し、しっかりと結ぶ。固定ができたら両端を頑丈に繋いで、輪っかになったそれを首から下ろした。ぶら下がる鍵は、着物の下に隠す。これで、万が一私がいない時に誰かが部屋に来ても安全だ。

 あの夜。次の日の早朝に目を覚ますと、もうお屋敷のどこを探しても、キクエさんの姿は見当たらなかった。他のお手伝いさんに聞くと、私に話しかけられて気まずそうにしながらも、日が昇るより先にここを出て行ったのだと教えてくれた。銀色の鍵にはもう、あの時のような温もりはない。薄い布の上から、複雑な形をぎゅっと握りしめる。

 何としても、首都へ行かなくてはならない。

 そこで貸金庫を開けて、お母様の残したものを見届けなくては。首都は、よくお父様がお仕事で出かける場所だ。この山岳地帯から列車を乗り継いで、何日もかかる場所にあると聞いた。交通機関を利用するお金はおろか、この辺り以外の土地に対する知識もない私では、到底辿り着けないだろう。本当はいますぐにでも行きたいけれど、実行へ移すのはまだ無謀だ。それならせめて情報収集を──せめて本が、読めれば。


 本を読むことを禁止されたのは、私にまじないの才能がないとわかってからすぐだった。お母様がいなくなった後、そのお葬式が終わってすぐ。部屋へやってきたお父様が「何か一つでも術を披露してみろ」という言葉と共に、お兄様がよく使うような、声を奪う術や、四肢の感覚がなくなる術の書かれた本を渡してくれたけど、私はどれも使うことができなかった。まじないを使うことができるかどうかは、生まれついての素養──まじないを発動するための力である神力が、身体中でどれほど生み出せるかに依るらしい。それさえあれば、あとは本や口頭で伝えられた、術を発動するための印を模倣さえすれば……その術の難度にも依るけれど、理屈上はどんな術も使えるようになる。全て、お父様が言っていたことだ。

 私は、何もできなかった。お父様が使う術も、お兄様が使う術も、見かねたシクラが用意した、より優しいまじないだって、満足に使えなかった。シクラがいうには、生まれ付いての神力が弱すぎてまじないを使いこなすどころではないのだという。それを知ったお父様は、才能がない者が触れても意味がないと言って、本やそれが保管されている書庫から私を遠ざけた。

 せめて書庫へ入ることができれば。

 保管されている本は、まじないに関するものだけではない。この世界の寓話や、地理について記された本もある。それをみて、首都への交通手段や位置関係を知ることができれば、すぐの実行は難しくても、首都へ行く計画を立てることはできる。


 行動を、起こさないと。

 置かれた環境に納得して、仕方がないと受け入れるだけでは駄目だ。このままではまた、同じことを繰り返す。大切な人がいなくなる後ろ姿を、黙って見届けるしかない。そんなのはもう、嫌だ。

 何年かかっても良い。生きているうちに、私は絶対、首都へ行く。



 書庫へ入る方法は、今のところ二つある。一つは、お父様やお兄様にお願いをして、鍵を借りる。もう一つは、どうにかして扉を突破し、書庫へ忍び込む。一見、荒唐無稽と思われる後者の方が現実的なのが悲しい。そもそも、書庫へ入ってはいけないと言う命を出した張本人であるお父様が私の願いを素直に聞き入れてくれるわけもないし、お兄様だって然りだろう。


「……でもなあ」


 そう思ってやってきたお屋敷の裏。場所的にはこの壁の向こうが書庫だ。見上げる先には、はめ殺しの窓がある。書庫は、差し込む日光で書物が傷まないよう、小さな窓がいくつかついているだけで、どれも開閉はできない。仮に打ち破ったとして、私の身体では窓の位置まで届かないだろう。

 そうなるともう、扉をどうにかするしか手立てはないのだけど…。


「…ここで何をしている」


 また、考え事をしていて気が付かなかった。書庫の扉の前で立ち尽くし、途方に暮れている私の背後に、いつのまにかお兄様が立っていた。今日は群青のお着物で、奥様によく似た口元が、怪訝そうに曲がっている。


「…おはようございます、お兄様」

「何をしているのかと聞いたんだ」

「……お気に入りのビー玉が、扉の隙間から中に入ってしまって」


 咄嗟に嘘をつくのなんて初めてで、心臓がばくばくと破裂しそうに痛い。それでも表層は取り繕うことができたのか、お兄様は特に訝しむ様子を見せず、鼻を鳴らした。


「朝からビー玉遊びか。本当にお前は何の責務もなく、能天気で良いな」

「はい。これもすべてお兄様のお力あってのことです」

「……書庫へは、この鍵がないと入れない」


 お兄様が、懐から小さな金色を取り出す。しばらく手の内で弄んで、それからまた、同じところへしまった。

 視界の端に、白い毛玉がちらつく。


「お前は父様からここへ近づいてはいけないと言われているだろう。ビー玉は諦めて早々に離れろ」

「しかし」

「二度は言わない。…あまり俺を苛つかせない方が良い」


 痛いのも、苦しいのも嫌だろう。お兄様がそう付け加えると、今までの記憶が一度に蘇って、思わず足がすくむ。顔色を変えて、何も言えなくなった私に気分を良くしたのか、お兄様は踵を返して離れて行った。身支度をしていたところを見ると、これから出かける用事があるのだろう。そうでなければいつものように、私に術のひとつでも残していったはずだ。


「……リク」


 名前を呼ぶと、物陰から白い毛玉が飛び出してくる。荒い息で尻尾を振って、しきりに褒めてくれと伝えてくるその口元には、小さな鍵がくわえられていた。先ほどの一瞬で、どうやってお兄様からこれを拝借したのだろう。


「…悪いことをさせてごめんね、リク。ありがとう」

「わん!」


 ねだられるままに、頭を腹を撫でる。満足げにのたうち回る姿は、やっぱり犬そのものだった。思う存分構ってあげたいけど、いまは時間がない。受け取った鍵を差し込んで、ゆっくりと扉を開く。木々の軋む音が雷鳴のようにも聞こえて、この音を聞きつけた誰かが今にも飛んでくるのではないかと、不安で仕方がなかった。

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