第3話 実験台



 今日も空は曇天だ。私が生まれるよりもっと前は、一面が青空で、太陽の光が痛いほどに照らしている日があったらしい。想像ができないけれど、視界に収めきれないほどの青色は、眩しすぎて倒れてしまったりしないんだろうか。


「おい」


 庭の隅でじっとしていると、背後から声をかけられた。しまった、少しぼうっとしすぎた。いつもなら、足音が聞こえたらすぐ逃げられるように、耳を澄ませているのに。


「聞こえてんだろ。返事しろよ」

「…ごめんなさい、お兄様」


 いらついた様子で、けれど、不機嫌なわけではない。よかった。それならまだ、対話の余地がある。振り返ると、私よりも少しだけ高い位置から、二つの黄金が見下ろしている。それが驚きで丸くなった時、私は声を出したことを後悔した。


「お前、まじないを自力で解いたのか? …いや。お前にそんなことができるわけない。数週間は効果が持続するはずだったのにおかしい…やり方を間違えたのか?」


 不思議そうに首を傾げた後、ぶつぶつと呟きながら、嵐が来る前の空みたいに機嫌が悪くなっていく様子を見て、やっぱりこんなところで時間を過ごすのではなかったと、心の底から自分を責めた。

 お兄様は、お父様が迎えた新しい奥様の子供で、私とは血が繋がっていない。年は三つ上で、唯一の男児。才能もあるから、このお屋敷の跡取りとして、日夜色々な教育を受けている。そして、そんな生活に嫌気がさしたり、何かうまくいかないことがあったり……あるいはただ単に好奇心が抑えられなくなくなった時。お兄様は、私を術の実験台にすることがある。初めてバケくんと出会った日もそうだった。自分の部屋で眠っているところを叩き起こされて、訳もわからずに声を奪われた。戸惑っていると、さらに別の術をかけられそうになったから、私は急いでお屋敷を飛び出して、無我夢中で走っているうちに、あの場所へたどり着いたのだ。


「俺は、こんな簡単な術も満足に使えないのか? …そんなはずはない。きっと何か、他に原因がある。そうだ、今度はあれを試そう」

「…あの、お兄様」

「この前、本で読んだんだ。捉えた敵に拷問をするときに使うもので、かけられると、術者が解除するまで、皮膚の内側から食い破られるような苦しみが襲うらしい。声を奪うものより高度な術だから、これが成功すれば、やっぱり俺には何の落ち度もなかった、と言うことになるよな」


 こうなるともう、会話はできない。どこかへ、逃げ出さないと。助けを呼んだって、このお屋敷で、お兄様より私を贔屓してくれる人間なんていない。一歩後ずさると、背後の塀に身体があたる。


「前にかけた、息ができなくなる術は数秒しか持たなかったよな。歩けなくなる術は一週間続いたけど、結局自然に解けてしまった。今度はうまくいくといいな。…お前もそう思うだろ?」

「…い、いえ。お兄様、わたし、もう苦しいのも、痛いのもいやです」


 勇気を振り絞って声に出して、お兄様の表情を見て──また、激しく後悔をした。


「棄てられた子供のくせに、俺に口答えするのか」

「そんな、つもりは」

「俺はお前の何倍も苦しいんだ。お前が女で、母様の実の子供ではないばかりに、俺だけが跡取りとして毎日辛い思いをしている。お前が自由に暮らせているのは、俺という犠牲があるおかげだ。だからお前は俺に感謝をして、何を言われても頷かなければならないんだ。何度もそう言ってやっているのに、どうして忘れるんだ、その頭は」


 どうして、自分の意見なんか言ってしまったのだろう。いつものように黙って俯いておけば、何の禍もなく通り過ぎたのに。俯きながら、心の中でリクを呼ぶ。私の部屋でぐうぐう眠っていた毛玉は、果たして来てくれるだろうか。頭上で、お兄様が大きく息を吐く。


「見えなくなる術も追加しよう。感覚を奪う術は使うほど精度が上がる。俺がたくさんの術を使えるようになって、お前も嬉しいだろう。…ほら。俺の部屋へ行くぞ」

「…っ」


 腕を掴まれて、無理やりに歩かされる。もう何度見たかわからない光景だ。お兄様の大きな背中。きっとそれほど力が込められていないのに、私がどう頑張っても振り解けない手。その場に踏みとどまろうと力を込めるのに、数秒も稼げない両足。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る