第6話 とある下女の愚痴


「……見て、あの子」


 貧乏な家に長女として生まれてしまったから、進学は諦めるしかなかった。私が生まれ育った田舎よりは、少しだけ栄えている山岳地帯。そこへ下女として奉公へ出されて、数週間。主人は、気難しい人ではあるけれど、対応を間違えなければ何ということはない。仕事の内容だって、家で兄弟五人の面倒を一人で見ていた時に比べれな、簡単なものだった。下女の仲間たちも、みんな気さくで話しかけやすい。何より一番歳が下だから、あれこれと世話を焼いてもらっている自覚がある。だから、そう。何も不満はない。ただ一つ、一点を除いて。


「また一人で喋っている」

「あんなところで、何を漁っているのかしら。ああ、気味がわるい」


 私が支えているお屋敷よりも、さらに大きなお屋敷。この一帯を収めている一族の家には、子供が二人いる。まずは、主人と正妻の間に生まれた娘が一人。それから、愛人──現在の正妻の子供が一人。前の妻はなかなか子供に恵まれず、不運なことに身体も弱かったため、ようやく身籠った時には、愛人との子供が後継の立場に迎え入れられた後だった。さらには、生まれた子供が男児ではなく女児だったから、尚更母子の立場はなく、正妻は、ついには誰にも看取られず、最後はひっそりと息を引き取ったらしい。

 そして、残されたのが今、下女仲間たちの噂の的になっている、幼い女の子ただ一人だった。今年、幾つになったのだろう。まだあどけなさの残る横顔は、ちょうど故郷に残してきた妹と同じくらいに見える。


「でもあの子、きちんと面倒を見てもらっているのかしら」

「とてもそうは見えないけれど。見て、あの質素な着物」

「前妻の子供なんて目障りで仕方がないって、お屋敷ではずいぶんな扱いだそうよ」

「血の繋がらない兄にも疎まれているって」

「まあ、可哀想。でも、仕方がないわね。あの子の振る舞いも少し、不気味なところがあるから」

「きっと構ってほしいのよ。可哀想に、せめて男の子ならねえ」

「そもそもまじないで成り上がった家なんて、不吉で碌なものではないわ」

「しーっ、お屋敷の人に聞こえたらどうするの」


 噂話へ適当に同調しながら、作業の手は止めない。この頃、庭へ獣が侵入するらしく、よく花壇が踏み荒らされている。犬とも狸とも判別のつかない四本足は、そのまま裏の山へと続いていて、けれど先日仕掛けた罠には、何も引っかかっていなかった。だから最近の仕事は、家の手入れよりもこうして土を触っていることの方が多い。


「……あ」


 お屋敷の前を通り過ぎようとした女の子が、私と目が合うと、立ち止まる。先ほどまで噂話をしていた手前、他の下女たちは気まずくて仕方がないのか、さっさと他の持ち場へ来げてしまった。

 周囲に目がないのは好都合だ。私は手を止めて、女の子へ近づく。


「このお屋敷に何か用事?」

「…いえ。あの、お饅頭、ありがとうございました。おいしかったです」


 驚いた。この子は、私がわかるのか。

 ある、暇をもらえた日。街へ繰り出して、一人で食べようと、菓子をいくつか手に入れた。その帰り道、お屋敷の前に座り込む女の子を見つけたから、思わず声をかけたのだ。


「どうしたの?」

「……」

「ここはあなたのお屋敷でしょう。入らないの?」

「…お兄様の機嫌を損ねてしまったので、ここで反省しているんです」

「反省?」

「はい」


 よく見ると、女の子は素足だった。薄い着物の裾を一生懸命伸ばして、色のなくなった指先を温めようとしている。その姿が不憫で仕方がなくて、思わず私は、自分のために買った菓子をいくつか、この子へ差し出していた。


「これ、よかったら食べて。たくさんあるから、お友達と分けてもいいわ」

「…受け取れません。私、何もお返しできないし」

「私があなたに食べて欲しいの。良い?」


 それでもなお受け取らないので、半ば説き伏せるようにしてようやく、その小さな手に菓子を握らせたのだ。あれは一体、いつのことだっただろう。その時は、持っている物の中でも比較的綺麗な着物で、髪だってきちんと結っていたから、今の姿とはあまり似ていないはずだ。あの一瞬の邂逅で、この子は私の顔を覚えたのだろうか。


「ずっとお礼が言いたかったんです。あんなに美味しいお菓子は初めてで…本当に、うれしかったから」

「…そう」

「……話しかけてしまって、ごめんなさい。私がいるとあまり良くないと思うから、もう行きます」


 一瞬私の背後へ視線をやって、深々と頭を下げると、女の子は再び歩き出した。自分の家であるはずのお屋敷を通り過ぎ、そのまま山の方へ消えていく。足元には、小さな砂埃が舞っていた。まるで何か、獣が転げ回っているような動きだった。


「…あの子と何お話をしていたの?」

「まさか、懐かれちゃったとか」


 その場からは離れつつも、会話の内容が気になって仕方がない好奇の目が、私を一瞬で取り囲んだ。背後に潜むこれら全てが、きっと女の子には、初めから見えていたのだろう。


「…お屋敷の前に立っていたので、用がないなら立ち入ってはいけないと教えました」

「あら、あの子ってそんなことを知らないの」

「いやねえ。やっぱりきちんと躾けてもらえてないんだわ」

「躾と言えば、聞いた? 隣町にあるお屋敷のお話」

「なになに?」

「随分な権力者なんだけど、息子が本当に碌でもなくてね。年端も行かない女の子を集めては、ひどい事をしているって」

「まあ、嫌だ。もっと詳しい話はないの?」

「隣のお屋敷の下女が言っていたんだけど…」


 新たな火種が投下されて、下女仲間たちは尚更盛り上がる。もう誰も、女の子が山へ消えたことなんて気にしていない。

 仕方がない。

 あのお屋敷は、ここ一帯を治めている権力者の家だ。逆らったらどうなるかなんて、考えたくもない。私には、養うべき家族がいる。今この仕事を失うわけにはいかない。

 仕方がない。

 あの子にも、悪いところがある。誰もいないところで話したり、地面に積もった灰をじっと見つめていたり、言動が何か不気味だ。だから目をつけられるのだ。

 仕方がない。

 仕方がない。仕方がない。私にあの子を救う手はない。


 それなら見る目も、中途半端に伸びた手だって、なかったらよかったのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る