第3話 とりあえずパンツは女物でいいか

 トイレを後にして、アタシは自室に戻った。扉を閉めると同時に、スマホからメッセンジャーアプリの通知音が鳴り響く。


 ポコポン!


「ん」


 そうだ。男になった衝撃ですっかり忘れていた。この通知も、きっと幼馴染のアイツからだ。


「……やっぱりな」


 アタシがトイレしていた間にも、いくつか文章を送っていたようだ。スマホを手に取って、最新のものを確認した。


『本当に困っています。俺には何が何だか分かりません。色々と相談したいので、どこかで会ってもらえないでしょうか?』


 いつになく丁寧な文言で懇願していた。朝起きた時は一笑に付したアタシだったが、今ならヤツの気持ちがわかる。


「アイツは女になったって話だけど……」


 真実味を帯びてくるよな。なんせアタシは男になってしまったのだ。ほかならぬ自分自身が、この奇妙な性別逆転現象の一例だった。


「しかし、アイツが女の子、ねえ」


 まるで想像できん。すごく小さい頃は女の子と間違われたこともあったが、今や運動部所属の男子高校生だ。高1の時からレギュラーだったな。


「……ゴリラみたいな見た目だったらどうしよう」


 女の子を傷つけてはいかんよな。アタシだって鬼じゃない。会ったら慰めの言葉くらいはかけてやるさ。


「『どこかで会う』、か」


 そうだね。お互い情報交換するべきだろう。とりあえずこっちの状況を伝えておくか。アタシはフリック入力した。


『こっちはイケメンになっちまったぜ。アイドル事務所が黙ってねーかもな』


 本当はイケメンというよりフツメンだったが、多少の脚色はご愛嬌だろう。イケメンかどうかなんて個人の感想だしね。おっ、さっそく返事が。


『どういうことだ? お前は男になったってことか?』


 まあ混乱するわな、実際会ってみなきゃ。いやもっと混乱するかもしれないけど。でもまずは落ち合わなきゃ。


『そういうこと。〇×公園来て。何かわかるかもしれないし』


 公園を指定したのは、お互いの家はマズいと考えたからだ。こんな体、家族に何と説明すればいいのやら。幸いまだ朝早い。両親が起きる前にさっさと出てしまおう。


 そう思ったのはアイツも同じようだった。白いフキダシが同意のメッセージを表示した。


『分かった家族に見られる訳にいかねえしすぐ出る』


 相当慌てているようだ。句読点を挟む余裕もないらしい。何気にしっかり者のアイツがこうも焦るとは、余程ショックだったのだろう。ここはイケメン風に励ましてやるとするか。


『よしよしベイビーちゃん。すぐ慰めに行くからね。うっかり惚れんじゃねーぞ♡』


 いやー、自分の文才が怖いね。アタシが男に生まれてたら、きっと学校中の女子たちがほっとかなかったよ。アイツも今は女なんだし、ときめいちゃうんじゃないのー?


「……」


 いつまでたっても返事か来なかった。ていうか未読のままだし。さてはもう出たな。スマホはカバンの中にでも入れてしまったのだろう。


「アタシも出るか」


 あ、服はどうすりゃいいんだ? 今日学校だけど……。アタシは壁にかかったセーラー服を手に取った。


「……」


 うーん、男の体でこれって訳にもなあ。単純に目立ちすぎる。かといって男物なんて持ってないし……。


「……お父さんのでいいか」


 制服じゃないけど、学校行く時はまた改めて考えよう。ていうか学校行けんのかなあ。行ってもアタシだってわからないよね。ちゃんと出席扱いになるかな。


 考えても仕方ない。今はお父さんだ。廊下に出たアタシは、抜き足差し足で父の寝室へぬるっと入り込んだ。


『おじゃましまーす……』


 一応小声で断っておいた。なんか寝起きドッキリみたいになってるな。動画回しとけばよかった。性転換したので父親に寝起きドッキリ仕掛けてみた。これは伸びるぞー!


『ご覧くださいみなさん。スヤスヤ寝てますねー』


 夫婦仲良く布団を並べて眠っていた。お疲れなんですね。いつもありがとう。親に感謝。YOー!


 本当ならここでバズーカの一発もかましたいところだったが、目的を見失ってはいけない。アタシはコソ泥のようにタンスの中を物色した。


『暗くてよく見えないなあ』


 とりあえず地味で目立たなそうなやつを選んだ。Tシャツとズボンとベルト。これだけでいいか。パンツはさすがに抵抗あるもんね。


『お邪魔しましたー』


 音もたてずに扉を閉めた。さっさと着替えるか。自分の部屋に戻って、さっそくパジャマを脱ぐ。


「……」


 ズボンを下ろそうとして手を止めた。待てよ、いま穿いてるのは女物パンツ。だけど、そのパンツの中身は男物な訳で……。


 ひょっとしたら、パンツからはみ出したのが見えちゃわない? だって女物パンツって面積少なめだし。男性用のトランクスとかボクサー? の方が大きいでしょ。


「一応また目つむるか……」


 着替えるだけならトイレほどの難易度ではない。少々手間取ったが、アタシは手探りで父のズボンを穿いた。


「オッケー。上は」


 目を開けても大丈夫。上裸になってからTシャツを着た。


「男子は簡単だなー。ブラつけなくていいんだもんな」


 素肌にシャツ一枚で外出できるとは。締めつけもないし手軽でいいね。


 姿見でザッと確認する。うん、幸いサイズは合ってるみたいだ。まるでモブキャラのような地味スタイルだね。男の子のオシャレを楽しみたい気持ちもなくはなかったが、今はそれどころではない。


 アタシは行ってきますも言わずに玄関の扉を開けた。急がねば。通学用の自転車に勢いよくまたがった。


 チーン!


 そんな効果音が聞こえるかのようだった。鋭い痛みが股間から突き上げてきた。


「はヒっ!」


 あまりの痛さに声が裏返った。そ、そうだった。今はがついてるんだった。


「いったぁ~……」


 苦痛にもだえながらサドルを降りた。情けなくも涙目になってしまう。学習しろよアタシ。ビデの時も痛い目見ただろ? もうこんな悲劇は繰り返しちゃいけないよ。


「ゆ、ゆっくり乗れば大丈夫だよね……」


 だって男の人も普通にチャリ乗ってるんだし。深呼吸一つ。今度は落ち着いてまたがってみた。


「……よし。いけるな」


 脊髄に直接刺さるような痛みも引いてきた。チカチカしていた視界も徐々にクリアーになってくる。


「チャリンコでうっかり昇天しかねないよ」


 歯を食いしばってこぎ出した。待ってろよゴリラベイビーちゃん、すぐに合流するからな!

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