第54話 マサシ、頭を下げられる

 アルベルト達に秘密を打ち明け、深く交友を深めた日から一週間が経った。


 あの日、彼らに夕食を振る舞う中で、パンケーキとレモネードを屋台で売ると話題に出したところ


『それがチョコレートへの第一歩となるんですね!』


 と、リリィに力強く言われてしまった。


 どうやら本気でそれを期待しているらしいリリィに『現状では無理かも知れない』と伝えるのは酷だったし、なによりマサシ自身も街で気楽にスイーツを食べられるようになればいいと思っている。


 なので、ぼんやりとではあるが、ある程度ハチミツの普及が出来たら街を出てカカオや砂糖の原料を探すのもいいかも知れないなと考えた。


 原料の捜索については、アルベルト達も協力してくれると言ってはいたが、折角異世界に来ているのだ、自分の足であちこち歩き回り、見て回ってみたい。


 その目標として、カカオや砂糖はいいかも知れない。


 ……その旅にリュカが着いてきてくれるのなら、凄く嬉しいが、にも事情はあるだろう。


 もし、旅への同行を断られたとしても、自分には転移がある。


 いつでもラナールに戻ってこれるし、リュカが希望するのなら、その際待ち合わせでもして、自宅で一緒に遊んでもいい。


 つまり、もしも『一緒に行くのはここでおしまい』となったとしても、涙溢れるお別れシーンとはならなそうだ。


(一緒に来てくれたら嬉しいけど、だめでも別れらしい別れにならないからな……)


 なんとも微妙な気持ちになったりしたマサシなのであった。



 というわけで、そろそろ屋台販売を始めようと考えたマサシは、リュカと二人で屋台を出す広場の下見に行こうと、宿の女将にその旨を伝えていると……思いもよらないところから声がかかった。


「頼む! 俺にも手伝わせてくれ!!」


 朝からマサシ達に頭を下げている男、マサシ達が泊まっている宿の経営者であり、調理師であるキータである。


 キータはマサシからパンケーキを試食させられてからというもの、日々悶々としていた。


 日々新たな味を追求し、客の舌を飽きさせない努力をしていて居るおかげか、宿の料理は評判がよく、それを目当てにリピーターとなってくれている客が多い事から自分の腕に誇りを持っていたのだ。 


(食材を知り、その良さを引き出せてこそ調理人よ。ただ漠然と作るだけの奴とは違うのさ)


 この辺りで手に入る食材にキータが知らぬものはない。食材に対して最善な味付けが出来ている、そう自負する彼は調理人としての自身に満ち溢れていた。


 しかし、それもマサシのパンケーキを試食するまでの事だった。

 

 あの日、あれをひとくち食べた瞬間、すっかりと打ちのめされてしまったのだ。


 それまでキータにとって料理といえば塩や香辛料を使ったものであり、生きるために腹に入れる糧であり、酒の友に口に運ぶ肴であった。


 しかし、パンケーキはどうだ。


 特に食事をしたいという時間帯ではないにかかわらず、娘や妻が心より嬉しそうに口に運び、娘に至ってはおかわりをねだる始末。


 それまで娘からそこまで料理を褒められたことがないキータにとって何かにガンと頭を殴られたかのような衝撃を受けた。


(あれは……ただ、純粋に『食べる』という行為を楽しんでいたんだな……)



「ちょ、ちょっとキータさん? 頭を上げて下さい……っていうか、説明を……!」


 そんな事を知らないマサシはキータの様子に慌て、説明を求めるので精一杯である。


 説明をされたところで何の問題も解決しないのだが、今は取り敢えずそう言うしかなかった。


「甘みを持った料理と言える物、俺はそんな物を今まで食ったことがなかったんだ。

 果実水や干した果実は作っているし、店でも出しているが、それとは話が違う……。

 パンケーキは新しく、そして凄まじい……まさかポラがあそこまで顔を綻ばせる料理があるなんて……俺も、そんな料理を作ってみたい、ポラの笑顔を見たい……そう思ったんだ」


 もう完全に本音が出てしまっていた。


 この父親は結局の所、ポラに『お父さん凄い』と言ってほしいだけなのだ。


 娘の言葉が達者になってから長らく聞くことがなかった『美味しい』という言葉。


 ポラの口から自分の料理に対してその言葉を言ってもらいたい、ただそれだけのことなのである。


 理由を察した女将とリュカはそれぞれ呆れた顔と困った笑顔を浮かべていたが、マサシだけは察しが悪く。



(なんて探究心なんだ……彼もまた、職人……やはり職人はそうでなくっちゃな)


 と、謎の感動をしていた。


「キータさんのお気持ちはわかりましたが……手伝うと言っても難しくありませんか?」


「なぜだ? 俺ならやれるぞ」


「馬鹿だねアンタは! マサシはアンタの何処にそんな時間があんのかっていってんだよ!」


 冒険者も泊まる宿で働く調理人の朝は早い。


 早ければ六時前には宿を発つことも有る冒険者のため、キータは四時に起きて朝食の仕込みを始める。


 流石に早朝発つ冒険者には通常の朝食ではなく、簡易な物しか用意することは出来ないが、それでも飢えさせること無く、適切な食事を提供している。


 朝食のピークは八時には終わり、後は片付けをしつつ、寝坊をした冒険者向けに待機をする。


 それが終われば常備食の仕込みだ。


 日持ちする常備食は食事の彩りに使ったり、夕方から出し始める酒の友として重宝する。


 それが終わればようやく休憩時間となるが、それも十四時には終わりを告げ、昼食と仮眠をとった後、夕方の仕込みが始まるわけだ。


 宿の夕食の他に、十七時からは酒場や食事処のような事もしているため、休んでいる暇はない。


 そして二十時には店を閉め、片付けと朝食の仕込みをして二十二時前には布団に入る。


 そんなハードな一日を送っているキータの何処にパンケーキ屋を手伝う暇があるというのだろうか。


 女将からキチキチとその様なことを伝えられ、言葉に詰まるキータ。しかし、少しでもマサシが始める屋台を手伝いたい、俺もパンケーキを作りたい! その思いから一つの提案をする。


「ぐ……であれば、その……そ、そうだ! うちの前でやれ! そうだ! 屋台を今から出そうにも場所の確保で揉めるはずだ! な? どうだ? 悪い話じゃないだろ?」


「アンタはまたそんな無茶言って!」


 ゴツン、と女将のげんこつがキータに飛び、頭を抑えてうずくまる。


 屋台の場所、確かにそれは問題だった。アルベルトからもそれについてはちらりと聞かされていた。


 屋台を出している者たちにも縄張りというものは有る。


 怖いオジサンたちが仕切っているというわけではないし、役所や警察に届け出が必要というような物でもない。その代り、暗黙の了解で『ここは誰それの場所である』という縄張りが決まっている。


 そして、いくらなんでも何処にでも出して良いというわけではない。


 場所が問題なのではなく、純粋に邪魔になるからだ。


 極端な話、馬車が走るような場所にデーンと屋台を構えてしまったら大変だ。文句は言われるし、蹴散らされても何も言えるわけがない。


 そして良い場所というものは完全に埋まっていて、今から出そうにもろくな場所は残っていない。


 店の前という選択肢もあるが、それをするには店主の許可がいるし、客寄せ代わりにどうですかと言ったところで新参の、しかも得体が知れない『蜂蜜』なる物の販促屋台となれば快諾する人を探すのがむずかしい。


 アルベルトから聞かされた難関がそれであった。


 故にマサシはちょっといいなと思ってしまう。キータの提案、それは渡りに船だと思ってしまう。


「女将さん……キータさんの話って受けても大丈夫ですか?」


 流石のマサシも蜂蜜という、禁忌感たっぷりの商品を食堂も経営している宿屋の前で出すのはどうかと思い、女将に確認を取る。


 女将は少しの間何かを考えていたが、頭をかきながら了承をしてくれた。


「はあ、しょうがないねえ……いいよ。ただし、店を出す日は家賃の変わりにあたしとポラに毎日一回パンケーキを提供すること。それでどうだい?」


「願ってもないことです! よろしくおねがいします!」


 固く握手を交わす二人、俺の分はないのかと悲しげな顔をするキータ。


 そしてマサシは屋台を出すスペースを無事確保することが出来、蜂蜜販促作戦が一歩前進するのだった。

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