第50話 謎の菓子

「君が何処かに拠点をもっているのではないか、そう考えてはいたけどね……ははは、これは僕の予想を大きく超えているよ……」


「見て下さい旦那様! 見たことがない魚が沢山泳いでいますよ!」


「いやはや……ここは一体……? このような広い土地に家が一軒だけ……?」


 周囲の景色に夢中になっている三人にマサシは苦笑しつつも、まあ仕方がないかと暫く声をかけずにそのままにしておく事にした。


(転移でかなり衝撃を受けてるはずだからな……少し落ち着いてきた頃を見計らってから家の中に招待しよう)


 マサシが女神から与えられた敷地は色とりどりの花が咲き乱れる草原に、少しの濁りもない美しい小川が流れており、それが流れ込む池の中には純白の水中花がゆらゆらとたゆたっていて。


 見る人が見れば、まるで楽園のようだと語りそうな景観は、転移ショックで倒れかけていたアルベルト一行の心を癒やすのにはちょうどよかった。


 しかし、これはあくまでも一時の休憩タイムだ。


 彼らの心がゆっさゆっさと大地震のように揺さぶられまくるのは――

 

 ――本番はこの後だ。



「アルベルトさん、そろそろ家に入りましょうか」


「おっと、私とした事がついつい夢中になってしまったよ」


 アルベルト一行に声をかけると、そうだった、庭を見に来たんじゃなかったと我に返る。


 さあ、こちらですよとマサシが家まで案内すると……今度はその外観に囚われてしまった。


 彼らはそれまで庭の景観に夢中になっていたためか、視界に入っていたはずの家も(少し変わった様式だな)くらいにしか捉えていなかった。


 しかし、改めて家と対峙すると色々アレな部分が見えて……しまったのだ。


「見た目は少々変わっているけど、基本はあまり変わらな……って、流石はマサシくんの家だね。見たまえ、君達。家の窓を! わかるかい? ああ、そうだね……その全てが透明度が高いガラスで覆われているよ……」


「……旦那様、あそこ凄いです。あんなに大きなガラス見たことがありません」


「向こうのガラスは敢えて曇らせ中が見えないようになっているようですな」



 家に入り、家電を見たら多少は驚かれるだろう、そう考えていたマサシだったが、これは予想外だった。


(リュカや銀の牙はノーリアクションだったのにな?)


 リュカに関して言えば、出会いからして衝撃的だったため、ガラスの窓に驚くヒマがないまま慣れてしまっただけであるし、銀の牙は(まあ、金持ちの家ならこんなもんなんだろう)と、ガラスの価値をいまいち分かっていないので、特に気にすることはなかっただけ。


 価値を知っている者が見て初めて驚くのがマサシの家なのである。


 

 靴を脱いで室内用の履物、スリッパに履き替えるように説明し、リビングに三人を案内する。


 マサシは三人共『お客様』として招いていたつもりだったのだが、お茶を手にして戻ってみれば、ライオットとリリィの二人がソファに座るアルベルトの両脇に控え、ピシリと背筋を伸ばして立っていた。


(気持ちはわかるんだけど、今日はお客様として過ごしてもらわないとやりにくいよ)


 それに苦笑いを浮かべながら『立ったままお茶を飲んでもらう訳にはいかないので』と、なんとか説得をして二人にも座ってもらい、茶菓子を添えて紅茶を薦める。


「色々と気になる物もあるかと思いますが、まずはお茶をどうぞ。あ、そちらの茶菓子は包み紙にくるまれていますので、この様に開けてから召し上がって下さい」


 マサシが出したのは船の模様が刻印されたチョコがビスケットとくっついているものだ。それぞれ袋で個別包装されているため、この世界の人から見れば言われるまで食べ物だとはわからないことだろう。


(そもそもお菓子という概念が発展して無いんだったな……)



 この世界は当初マサシが想定していた以上に発展しているようだ。


 製紙技術や印刷技術があり、新聞や、一般庶民でも手に取れる書籍まで存在していて、近世も近世、その後半に足を突っ込みつつある。


 食の面でもそれは同じで、フォークやナイフを使って食事をする習慣が庶民レベルにまで普及しており、その味付けもしっかりと塩や香辛料が効いていて、地球で舌を肥やしたマサシにとっても、そこまで不満に思わぬ程度には食べられる物だった。


 衛生面や、食の問題に不安を感じていたマサシにとって、(知識チートが使いにくいことを除けば)それは非常に喜ばしいことであったが、そこまで発展しているというのに、何故か砂糖に関しては手つかずのままである。


 甘味の概念自体が存在しないという、異世界物にありがちなぶっ飛んだ設定ではないため、果物を使った『甘味』自体は存在してはいる。


 果物自体を生食してみたり、ドライフルーツにしてみたり、果実水にしたり。


 生地に果実を混ぜ込んで焼き上げた菓子を食べているグルメな貴族も僅かではあるが居るらしい。


 料理に甘みを加える事に気付いた調理人も勿論いるのだが、甘みを得るには果実の搾り汁を使うしか無い。


 ……蜂蜜に辿り着いた者も居ないことは無かったのだが、採取の難しさと、やはり昆虫型の魔物由来というのが引っかかり、世に広めようとは思わなかったようだ。


 なので果実由来の糖分に頼る他無いというのが現状で。


 しかし、それはそれで果実の香りがどうしても料理の邪魔をしてしまうため、どうにか甘みだけを抽出出来ないかと、研究をしている料理人も居る……というかいっぱい居る。


 サトウキビやサトウダイコン的な物にたどり着けていないため、甘みを加える調味料の開発は成功していない、それがアルベルトが知っている範囲での常識だった。


 なのであの日、マサシが持ってきた砂糖は衝撃的だったし、大量に出してしまえば『製法を知っている者がいる』と感づかれ、ろくな事にはならないと判断したのだ。



 さて、目の前に出された『チャガシ』とやらは、どうやら甘い物らしい。


 大量に砂糖を持っていると仄めかしていたマサシの事だ、これにもきっと砂糖が使われているに違いないと、緊張するアルベルト。


 しかし、落ち着いてよく見ると、それ以外にも気になるものと言うか、世に出れば騒ぎにでそうな物が目についた。


(光沢がある紙なんて見たことがないぞ……この触り心地、これは本当に紙なのか? いや、それよりも多色で刷れる印刷技術……どんな魔導具を使えばここまで精巧な印刷が出来るのか想像もつかない。

 それを使い捨ての包み紙に使うだなんて……マサシ君の故郷はどれだけ技術力がある国なんだ)


 中身に至る前に驚きと畏れが最高値に達してしまっているアルベルト。


 マサシはそんな事には微塵も気づかないので、呑気な声で中身について説明をする。


「これはチョコ菓子というもので、カカオと呼ばれる植物由来の原料を使った甘みが強い菓子です。

 カカオそのものは非常に苦いのですが、それを加工して砂糖を加えて調理するとびっくりするほど美味しくなるんですよ」


「カカオ……ね。それも聞いたことが無いけれど、もしかすればこの辺ではまだ『食用』出来るものとして知られていないだけなのかもしれないね。

 正直、もう少し詳しい話を聞きたいところだけど、まずはご馳走になろうか」


 と、笑みを浮かべつつアルベルトは器用に包み紙を開けていく。小袋から半分ほど姿を見せたチョコ菓子を見て感嘆のため息をつく。


「ほう……凄いなこれは……船だ。それをここまで緻密に彫っているなんて……なあ、マサシ君、これは本当に食べ物なんだよね?」


 見事な彫刻も食べてしまえば当然無くなってしまう。


 どれだけ手間を掛けて作ったのかは分からないが、食べ物にここまで手をかける者が居るのだろうか? 貴族……いや、王宮の夜会でならここまで手が込んだ料理が出されるのかも知れないが、少なくとも気軽にお茶と一緒に出されるようなものではないだろう。


 アルベルトは本当にこれを食べてしまって良いのだろうかと、困惑した顔でマサシを見る。


「ううん……まあ、後で詳しく話しますが、そこは気にしないでください。船の彫刻……のようなものはあくまでおまけですので……」


 一番気になる部分を気にするなと言われ、アルベルトは苦笑いを浮かべる。


 しかし、これは興味深いが食べにくい。毒があるとかそういう話ではない。ここまで美しいものをあっさり口にしてよいのだろうか、アルベルトは頭を悩ませていた。


 可愛らしく作られたウサギを模したお菓子を『何だか可愛そう』と食べにくく思うのと同じような感情がアルベルトに生まれていたのだ。


 そして悩んだアルベルトはリリィにそれを手渡した。


「えっ? 旦那様?」


「ふふ、マサシ君が毒を出すとは思えないから毒味とは言わないよ。そうだね、未知の食べ物を誰よりも先に味わう名誉を君に譲ろうじゃないか。普段から頑張っているご褒美だよ」


 嘘だ。リリィはそう思った。


 アルベルトの表情はやや悪い顔をしていて、これは押し付けられたのだろうとリリィは見抜いた。しかし、なぜ押し付けてきたのだろうか?


 まあ、確かにこのチョコ菓子とやらは焦げたような色をしているし、そこに彫刻が施されているし。


 食べ物だと言われなければ、そうは思えないような物に見える。


 少なくとも、進んで食べたいとは思えないな、なるほどだから押し付けたのかとリリィはアルベルトを横目で睨む。


(まったくアルベルト様ったらもう……どうせまたこれも変な食材なんでしょ? 

 でも……マサシさんが出すものなのだからきっと美味しいものだよね。

 それに、この香り……嗅いだことはないけど、間違いなく美味しいものだ)


 甘ったるく漂う香りがあっさりとリリィを陥落した。


「では、お先にいただきます」


 特に船の模様に触れることもなく、ぱくりと一度に口に入れた。


 口に入れ、咀嚼した瞬間、目をパッチリと見開いて。


 それから味わうように、ゆっくりゆっくりと咀嚼する。


 そしてそれが終わると名残惜しそうにゆっくりと最後の一欠片を飲み干して、うっとりとした顔を浮かべると、紅茶で喉を潤し『チャガシ』の感想を語った。


「これは……恐らく嫌いな人は居ないのではないでしょうか。口に入れた瞬間、この漂っている香りが甘みとともに舌の上に広がって……裏側の焼き菓子自体にも十分な甘みがあり、それが表のチョコ? と混ざり合うことでより一層お口の中が幸せになって……はあ……なんて物をマサシ様は……」


 リリィが語る語る。あまり見せたことがない様な顔をして、褒めるところしか無いと菓子の良さをたっぷりと語る。


 それを聞いたライオットにもムクムクとチョコへの興味が湧いてきた。


「旦那様……」


 自分も食べてよいか? 暗に許可をもらうべく声をかけたライオットにアルベルトは首を縦にふる。


 そしてライオットと二人、恐る恐る口に入れた。


 「「!」」


 結果として、アルベルトによってチョコの説明を求められてしまった。


(この世界って地球と似たような食材がチラホラあるからな。カカオだって何処かにあるのかも知れない。

 けどなあ、チョコの作り方ってけっこう大変だったはずなんだよな……ネットで調べれば教えられないこともないけど、どうしようか……う、リリィさんの視線が……やべえ)


「マサシ様! この! チョコは! 人類の発展に必要不可欠なものです!」


「は、はい……」


「ぜひとも! 製法を! ご教示いただければ! ねえ、アルベルト様!」


「私としてもカカオは興味深いし、蜂蜜より扱いやすい商材になると思うが……しかし、砂糖が必要みたいだからね……あれはまだ世に出せないし、製法を知っても作れないから……」


「アルベルト様! それでもギルドマスターですか! それならカカオと一緒に砂糖もどうにかすれば良いのですよ! 我々が総力を上げてお手伝いすれば、マサシ様がきっとどうにかして下さるはずです! 砂糖だってそれ自体を売らなければどうとでも誤魔化せますし!」


(うっ……リリィの圧が凄まじい……けれど、そうだな。今なら確信を持って言える。あの砂糖……その製法もマサシくんは知っているのだろう。原料となる素材さえ見つかれば、技術を売ってもらって……はあ、とても骨が折れる事業になりそうだけどね……)


「う、うん……マサシくん、すまないが……」


「はは……ははは……ま、まあ……調査をしつつ、追々ということで……」


 リリィの援護射撃も相まってとうとうまいってしまったマサシは、詳しい情報は後ほど……と、とりあえず一時しのぎはできたのだが……


(まいったな、もう砂糖で儲けるとか言ってられなくなってきた気がするぞ……

 ……ていうか、なんでアルベルトさん達をここに呼んだんだっけ……)



 本来の目的をすっかり忘れてしまったマサシなのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る